日常風景
「あの追い上げで勝てないとは……先輩、あんたどれだけ足速いんだよ……」
「これだけは昔から負け知らずだからな。一番以外になったことが無い」
「……御影、椛、少し多いから食べてくれるか? ……月島先輩も良かったらどうだ?」
「別に構わないが……さすがにこれを一人で食べるのは無理があったのでは?」
「これはまた……随分と甘そうな昼食ね……」
「私としては嬉しい限りですが……この量は……」
《熱量の確保という意味では優れているのだろうが……見ているこちらが胸焼けをおこしかねん……》
「……美味しい……」
訓練終了直後の昼休み。
先日の乱戦による爪痕はまだ残っているが、それでも講義・訓練を完全に中止するわけにもいかず、比較的被害の少ない場所で無理矢理時間を詰めて行なっているものが多い。
先程の持久走も、一年全組(計五つ)が合同で行なったものである。二十人ひと組の配分であるので、合計が百数名。少人数制を採用していたことがここで役に立ったと言えるだろう。
要たちは学生食堂に集い、午後の講義に向けた腹ごしらえをしている最中だった。
学園内の親しい人間全員が集まり、食堂の大テーブル一つを余すことなく利用しており、周囲からは奇異な目で見られていた。
それも当然と言えば当然だろう。学内でも有名な人間が、これでもかと言わんばかりに集まっているのだから。
風紀委員・月島心と村上昴。
二人は学内でも公に認められた屈指の実力を持ち、更にはその人間性で上下問わずに人望を集めている。加えて言えばその美貌は、共に憧れの的という言葉が良く当て嵌る。
稀代の天才・獅童龍一。
学園創設以来の高成績をたたき出しての入学、実践試験では唯一の試験官倒しを実現し、その実力はどの学年にも知れ渡っている。時々ではあるが、その実力を知って仕合を申し込んでくる生徒がいるほどだ。結果は当然と言うべきか、全戦全勝。無敗記録を更新中である。
対要戦を除いて、ではあるが……
そして、学年美人を称される二ノ宮椛と綾里御影、そして首藤遥。
自身で目立つ行動をしたわけでないにも関わらず、口伝てでその噂が広まり、興味本位で見てそれを事実だと確認する、という流れによって既に確固たる事実として受け入れられた。本人たちとしては非常に迷惑らしく、一度報道委員の加賀三春にインタビューをされた際に『噂を弱める』ように頼んでいたりする。
そして、その中心にいるのは、名前通りというべきか、五十嵐要が座っていた。既に夏服に移行しているにも関わらず、見ている方が暑いと感じてしまう長袖…つまりは冬服である。学内のほぼ全員半袖になっているため、少しだけ浮いているように見えるが、彼の周囲にいるメンバーは別段気にした様子もなかった。
ここにいる全員、彼を中心に集まった人間であり、この場にいる七人が徒党を組めば、恐らく教師でも相手にするのは非常に困難だろう。その気になれば、異国軍隊一個小隊を相手取り、勝利することも可能ではないか、と教師陣で囁かれるほどである。
ただ、本人はそのことに気づいていないのか、相も変わらずの無表情で昼食らしきものを口に運んでいた。
「……ところで要、一つ聞いても良いか?」
「? 何かあったのか?」
昴との口論も充分に済んだのか、龍一が食べ終わった食器と箸を置いて要に尋ねた。質問されるような覚えは全くないのか、要は変わらぬ速度で『ソレ』を食している。
「……いや、俺が、というよりはお前が、なんだが……『ソレ』は何だ?」
要の目の前に置かれたソレを指差して龍一が尋ねた。
…座っているとはいえ、要の額の高さはある。
容器だけでも鼻の高さまであり、その中にはアイスクリーム、フルーツを主体として更には山のようにクリームがかけられている、いわゆるパフェ、というものだった。
普通の物と異なるのは、果物の方が割合として多いことと、その圧倒的な量。そして、それが三つ置かれているということだ。
『ソレ』を指さされた要は、数秒考えたあと、口にしていた物を飲み込んでから口を開いた。
「……夏に向けた新メニューの試作品らしい」
「……いや、何となくは分かっていたが……それが何故三つも?」
昴も黙っては居られなかったのか、無意識的にその疑問を指摘していた。
女子四人が手分けして二つずつ食べているが、それでも時間が掛かるようで、減りが非常に遅かった。
「言っただろう、試作品だと……色々試しに作ってみて、一番味の良かったものを教えてくれと頼まれたんだ」
「……それじゃあ遥たちが食べたら意味が無いんじゃ?」
《既に主は全て一口ずつ食べておる。その感想を記した物も出来上がっているので心配は無用だ》
要の後方に控えている鋼の鍬形虫が応えた。
五十嵐要の釼甲である、神州千衛門影継だ。
漆黒のその身は陽光すら飲み込むのではないかと思われるほど黒く、瞳に光る青は見慣れぬ者が見れば不気味と言っても過言ではないだろう。綾里御影渾身の一作であり、
《しかし、五十嵐殿も何故断らぬのかが不思議じゃ。これほどの甘味を食えぬのは目に見えて明らかじゃろうに…》
天井には若竹色の鋼の蜥蜴が張り付いており、上から彼らを見守っていた。
蜥蜴丸という名のとおり、縦横無尽に歩き回ることが出来る、主無しの釼甲であり、現在は新しい主が見つかるまでの間、要たちの部屋に居候している。遡れば千年ほど昔の釼甲になるため、口調は老人の様で、何かとこの場にいる全員を気にかける保護者的存在でもある。
《まぁ、嬢ちゃんたちも楽しんでいるみたいだから、良いんじゃないのか? 甘味は女子の原動力とも言うそうじゃないか!》
影継の隣、龍一の後方には茶色の甲虫が楽しげに笑い声を上げていた。
大和の最高傑作と謳われた相州五郎入道正宗である。
天をも突かんといわんばかりに、隆々と一角が反り、王者として相応しい気品を持ってはいるが、話し方で少しそれが崩れていた。ただ、彼も実際の戦闘になれば、この場にいる全機を相手取ることも可能な性能を持っていることは確かである。
『其の一領、一国に勝る』と言われるほどの性能を持っていたがために、扱える武人が存在せず、長年その時代の幕府・政府を渡り続け、ようやく獅童龍一を初めての武人とし、世に出たのだった。
《原動力もあふれればただの起爆剤よ? あの子達みたいに分ければ確かに何とかなるだろうけど……五十嵐殿が一人でそれを食べることになっていたらと考えると恐ろしいわね……あ、これ貰うわよ?》
昴の隣で焼き魚を二度と返さない拝借をしながら空色の水鳥が反応した。
名家・摂津源氏の名甲であり、村上昴の釼甲である雷上動。
釼甲の中では比較的大人しい性格をしているが、実戦になれば隠している爪を惜しむことなく出す。機動力に関して言えば、恐らくこの中でも一位は揺るがないだろう。時折主を主と思わない行動には多少問題があると思われるが、それは逆であり、武人と釼甲は対等の関係であることが一番望ましいので、これが理想的な関係だと言えなくもない。
「取ってから申告するな……しかも主菜の焼き魚を……」
《男ならそんな細かいことは気にしないの。それに自律活動にも熱量は必要だから、これも有効なのよ。普段は主から供給するのだけれど、食べることでもある程度賄えるし、場合によってはこっちの方が効率良かったりするのよ》
「ふむ……なら、影継も食べるか?」
《申し訳ないが断らせてもらう。西洋の甘味は少々口に合わん》
差し出された器を拒み、影継は鋏でそれを押し返した。
予想通りの反応に安心を覚えながら、要は昼食を再開した。食べ始めれば消費は非常に早く、二人掛かりで食べている二組より先に食べ終わっていた。
「ごちそうさま」
「……相変わらずの早食いだな。私たちはまだ半分にも達していないというのに…」
「熱量の消費が激しいからじゃない? たしか今は蜥蜴丸の熱量供給も請け負っているはずだから…」
さすがは釼甲に関して語らせれば並ぶものはいない、現役釼甲鍛冶師は鋭く指摘した。
実際、蜥蜴丸が主人となる武人である福原を失うとほぼ同時に、要の食料消費量が単純計算で1.5倍になっている。それが蜥蜴丸への熱量供給が原因であると、御影は見抜いた。
《御仁には本当に頭が上がらん。居候の身だと言うのにも関わらず、要らぬ負担までかけてしまって申し訳無いばかりじゃ……》
「気にしなくていい。それに、蜥蜴丸の仕手が見つかるまでの話だ。それくらいなら別段問題はない」
要は言いながら食後の緑茶を啜ったが、口の中に残っている甘味と飲んでいるものの苦味が不協和音でも奏でたのか、少しだけ顔を歪めた。
要の言う、蜥蜴丸の仕手が見つかるまで…それが何時になるのかは、全く見当が付かない、というのが現状である。
蜥蜴丸は主を失ってから一ヶ月の間、怪我した要などの治療時間や要への進行報告などの時間を除いて、ほぼ全ての時間を費やして相応しい武人を探しているのだが、全生徒を見た結果、『全員不適合』であり、いたとしても、既に業物釼甲を持っているため、主になれない者ばかりだった。
次に考えられる可能性は、要、御影のような編入生か、数ヶ月以上先の新入生の入学を待たなければならない、ということだ。
それだけの期間があるということは、要も言わずとも理解している筈であるが、それでも何の躊躇いもなく『問題はない』と断言した要に対して、蜥蜴丸は心の中で深く頭を下げていた。
「確かに、焦って変な武人を主にするくらいなら、時間をかけて良い主を探した方が賢明だと私も思うぞ」
「そうそう。影継と私を見習ってみたら? 四百年待った結果、要みたいな良い武人に巡り合えたのだから、焦りは禁物よ?」
丁度パフェを食べ終わった椛と御影が、会話に入ってきた。
五年と四百年。
共に待ち続けた二人の言葉は、彼女たちのことを深く知らない蜥蜴丸にも心に響いた。
《かはは! 御影の嬢ちゃんが言うと説得力があるのぅ! 成程、それじゃあ老骨は老骨らしくゆっくりと主人でも待つとするか!》
二人の持論に、老人口調の釼甲は一本取られたと言わんばかりの明るさを持って彼女たちに答えた。
「蜥蜴丸の話はこれで一旦終わりにして…五十嵐君たちは『実地訓練』についての話は聞いていますか?」
「……確か十月に行われる模擬サバイバル……だったか?」
「本来ならばその予定だったが、先日の一件もあって今月中に実行される事が決まったみたいだ。佐々木教諭から直接聞いたからほとんど間違いないだろう」
要の確認に対して昴が答えた。一番手の掛かる主菜が無くなったことで速く食べ終わる事が出来たようだった。その話に龍一も反応を示した。
「随分と急な予定変更だな……まぁ、無人釼甲相手に手間取っていれば仕方無いというべきなのか?」
「……佐々木教諭が、突然人が変わったように、訓練内容を厳しくしたのもそれが理由かもしれませんね……」
「どうだろうか…要は何か心当たりはあるか?」
「…………」
「…? どうした、そこまで深く考えなくても良いんだが…」
返事が無いことに違和感を覚えた龍一が問いかけると、顎に手を当てて何かしら考えていたような要は顔を上げた。
「…ん? …あぁ、いや、少しほかのことを考えていただけだ。あの人……少佐はむしろ本性をのぞかせただけだと思うぞ? 実際に本格的な訓練を始めたら今頃自主退学者が武人科の半分にのぼってもおかしくないと思うのだが…」
「……俺たちも入った当初は扱かれたな……何度逃げ出そうと思ったことやら……」
「いや、逃げ出そうとしていたのは龍一だけだろう……俺はあれくらいなら爺さんの修行の方がまだ厳しいと思っていたが…」
「……要のお爺さんは本当に厳しかったからな。むしろあれだけの事をやられておいてよく今まで生きていたと本当に思う……」
何かを思い出したのか、突然要と椛の纏う雰囲気が重くなった。
僅かだが顔が俯きがちになり、瞳の光が一瞬弱くなった。
どうやら彼らは触れてはいけないものに触れてしまった様だった。
「そ、それは置いといて、だ! 実地訓練が早まったのは分かったけど、話に出すってことは何かあるのか!?」
二人の様子が急におかしくなったことに、慌てて龍一が話の脱線を戻すようにした。それに応じるかのように、丁度パフェを食べ終わった遥も会話に参加し始める。
「……その時に……皆さんに殺し合いを……」
「いや、殺し合うのは不味くない? というよりそんな訓練はこっちからお断りするわよ?」
長スプーンを何に見立てたのかは分からないが、遥はそれを龍一に突き付けた。ノリ良く彼も降参をするように両手を上げていた。
「さすがに流血沙汰は学園で起こったらどうしようも無いが……そういうことじゃなく、武人科・神樂科合同でやることと、数人でチームを作る必要があるようだから、心に留めておけ、ということを言っておく」
言いながら昴は水を口に含んだ。
「? それだけなら後で佐々木教諭辺りが話そうなことだが?」
「……それだけなら、な。実はもう一つ佐々木教諭から言い渡されていることがあってな……」
半分ほど残った水を一気に飲み干してから、昴は口を開いた。
「……要、龍一の両名は、実地訓練では一度の戦闘のみ参加を許す、とな」
「「は?」」
二人は同時に疑問の声を上げた。
「な、何故そんな条件が?」
「いやいや、三日間の中で装甲して戦闘出来るのが一度だけって……厳しすぎるだろう?」
「全体のバランスを維持するためだと、言っていましたね。厳しい条件ですが……二人の実力を考えれば妥当かな、と思いますが……」
心が躊躇いながらもそう答えた。
先日、要が見せた、無装甲状態での甲鉄両断。
そして、龍一の釼甲・正宗の圧倒的殲滅能力。
これを数物釼甲で相手をしろ、というのは正直『無理』を三乗しているようなものであり例え手加減をしていたとしても戦力差は圧倒的だろう。生徒の中には一応業物釼甲持ちもいるが、二人に関してはそれらの群を抜いている。
それを踏まえてでの条件だとすれば、心には妥当な線に見えて仕方がなかった。
「……まぁ、さすがにそれでは長期戦になると厳しいから、俺と月島も、組み合わせ次第ではそれに参加することになっているから安心しろ」
「……組み合わせ次第、というのは一体?」
椛が不思議に思ったのか、鸚鵡返しに尋ねた。
「いや、ほとんどありえないとは思うが、チームの武人が要と龍一しかいない場合に限り、俺たちがそれに同行する、ということになっているんだ。さすがに切札二枚だけで戦うのは無理があるからな」
いくら強力な切り札も、それだけでは有効な手段にはならない。
様々な種類の手札があってこそ戦略が意味のある物になるのであって、単体では個で勝つことは出来ても、団で勝つことは敵わない。さらには回数制限があるというのならば、勝つのは無茶でしかない。
それを理解してでの提案なのだろう。要は上官の考えが嫌というほど分かり、思わず頭を抱えていた。
「……とにかく、次の時間あたりでチームを作れといわれるだろうから、もしそんなことがあったら教えてくれ。微力ながら協力する」
「私も、です。でも、チームが出来ないように、というのは少し不謹慎でしょうか?」
心の最後の呟きに、椛と御影が彼女を鋭く睨んだ。
その反応に、心は悪戯っ子のような笑みを浮かべていたが、要はあえてそれを無視した。
「……取り敢えず、外されないよう最大限の努力はします」