療養
「今回の学生救出に手を貸していただき、有難うございました」
場所は変わって学園の医務室に。
さすがに両足を複雑骨折していては、自室まで戻ることは困難なので、二日程度要はここで過ごさなければならなくなった。
一般人ならば病院で数ヶ月の入院生活になるだろうが、業物の武人はこれに当て嵌らず、一週間絶対安静にしていればすぐに普段通りの生活に戻ることが出来る。リハビリは無しで、だ。
とはいえ、その間は身体を動かすことも出来ない…そこで暇になるだろうと思った龍一たちは、激戦の後だというにも関わらず医務室で要を中心にして談笑していた。
その最中に、月島心が躊躇いながら、昴も別段怪我した様子もなくそこに現れ、要たちの姿を確認すると真っ直ぐに歩み寄り…現在に至るという訳だ。
突然のことにさすがの要も唖然としており、周囲にいる龍一、遥、御影、椛、アンジェも訳が分からないといった表情を浮かべていた。
「…委員長、主語が無いから何に対しての礼か、だれもわかってないぞ?」
後輩である彼らの様子を悟った昴が、頭を下げている心にそういうと、彼女は慌てて頭を上げた。上級生の威厳はあまり感じられなかった。
「え~…っと、今回は貴方がたの協力が有ったおかげで、これだけ大規模な襲撃にも関わらず、死傷者・重傷者共にありませんでした。そのことについて、改めてお礼を…」
「…風紀委員長…月島さんだっけ? 別に俺たちは感謝の言葉が欲しくて戦った訳じゃないから、礼はいらないぞ?」
詰まりながらも感謝の言葉を述べ、再び頭を下げようとしている心を制して、龍一が断った。この反応に心は驚きを隠せず、勢い良く顔を上げて龍一と要を見た。
「…学園の生徒全員が生きている…その報告だけで、自分たちは充分です」
心が医務室に現れると同時に上体だけを上げていた要が静かに答えた。怪我に慣れて入るのだろうが、それでも痛いものは痛いのだろう、少しだけ顔を歪めたがすぐにそれを抑え込んだ。
「馬鹿! まだ骨が砕けているのに無理をして起きるからだ! 大人しく寝ていろ!」
「身体を起こせるのに寝たまま応じるのは失礼だろう。それに少し痛みが走っただけで、別段問題はない」
「……分かった。だが、少しでも無理をしていると判断できたら無理矢理にでも、神技を使ってでも寝かせる、それが条件だ」
「それで充分だ。俺もあの重力はまともに喰らいたくはないからな」
それで交渉は終わったのだろう、そのまま椛は立ち上がり、客人である心に席を譲る動作を見せた。それを恐縮しながらも心はその好意を受け取った。
「その…これだけは言わせてください。お疲れ様でした」
「……ありがとうございます。そちらも、混乱していた生徒を宥めるのは大変だったと思いますが…」
「……えぇ。ですがほとんどの生徒が不安になって集まっていただけなので、それほど大したことはありませんでした」
目の前で手を振りながら、彼女は要の言葉を否定した。
その瞬間、彼女の手首に何かが光を反射したのを、要は見逃さなかった。
「…その手に着けているのは…もしかして月島先輩のご母堂のものでは?」
「…え!? なぜそれを!?」
彼女は左手首の物を、反射的に右手で隠し、上体を捩らせた。
大きさは女性の指で輪を作った程度だった。
要の目に見えたのは、二年前月島の母親に胸倉を掴まれながら見せつけられたロケットペンダントで、当時は心の父親の写真が入れられていた。
要が守れなかった、その人の写真が。
一瞬要は目眩がしたが、それをすかさず椛が受け止め、静かに背中をさすった。それだけでも大分要の内心は落ち着き、再び体勢を直した。
「…失礼、見苦しいところを見せました」
「…いえ、私こそすいません…」
二人が互いに謝ると、数秒の沈黙が生まれたが、すぐにそれを要が決心したかのように尋ねた。
「…しかし、それは…今でも先輩の厳父の写真が?」
要が恐る恐る尋ねると、心は三秒ほど口に手を当てて考える仕草をしたが、すぐに顔を横に振った。
「…いえ、これは母が私に渡したものではありますが、中には別の物が入れられています」
「? 月島さんはご覧になられていないのでございますか?」
月島の隣に座っているアンジェが不思議そうに首を傾げた。ちなみに普段のアンジェならこのような場面では誰かの後ろに控えているのだが、今回は足を怪我しているため、負担をかけないよう全員(特に要)に言われて椅子に座らされている。
アンジェの質問に再び心は首を横に振った。
「…母の手紙が…五十嵐君に当てられた手紙が入れられているようです」
「……お借りします」
震える彼女の手の下に、こぼれ落ちるものを受け止めるように手の平を置いた。
それを見て、心は両手を開いて、それを渡した。
渡されたペンダントを数秒眺めた要は、一度深呼吸をして、たっぷり十秒ほどの間を空けた後、脇にある出っ張りを弾いて中に入っているものを見た。
「……? これは?」
そこに入っていたのは、手紙というよりはメモと言った方が正解と思われる小さい文字の書かれた紙片だった。
要は、その紙片を横にスライドさせることで取り出した。三度折り曲げられたそれを全て広げ、要はそこに書かれたものをしばらく見つめていた。
誰も、何も言えないほど緊迫した空気に包まれ、無音の世界が生まれた。
が、それも要によって破られる。
…彼が流した涙によって。
「!? 要、一体何が!?」
「二ノ宮、何が書かれているか読めるか?!」
「え、いや、小さすぎて読みづらい…!」
「…五十嵐君が……泣いた?」
「…まさか、母がまた?!」
「みみみみ皆様おお落ち着いてくださいましぇ!?」
突然の、予想外の出来事に周囲がこれまでに無いほどあわてふためき始め、軽い混乱状態に陥り、更には要が目頭を押さえる仕草まで始めたのだった。
だが、それと同時に要が自身の手に持っていた紙片を皆に見えるように差し出した。
代表して椛が受け取ると、龍一たちも興味をもったのか、心以外が椛の背後に回ってそれを見た。
内容は以下の通りである。
『
以前、私たち親娘を救ってくれた武人様はお元気でしょうか? 娘の心は会っていればおわかりになるだろうとは思いますが、親娘共々元気です。
あの事件以降、時間は掛かりましたが落ち着きを取り戻し、大和軍の方々にお話を聞いたところ、武人様はあの時にご家族を全て失った、と…耳にしました。
そんな中、自身も傷ついているにも関わらず、貴方様は【愛する人を失った人】達に対して、守れなかった事を、ただ一人謝罪に来ていただきました。
それだというのに、私含めた大の大人たちは自分の事ばかり嘆いていて、その怒りをあろうことか私たちを救っていただいた貴方にぶつけてしまいました。
今思えば、それがどれだけ恥ずかしいことか、醜いことか、痛感しました。
単に謝って済む問題でないことも、重々承知しています。
今更な話だということも理解していますが、遅れながらも一つだけ…
【ありがとうございました】
今、私たち親娘の、そして、あの事件で生き残れた人たちがいるのも、武人様方が決死の覚悟で戦ってくれた御陰です。
昨年、娘の心は念願の天領学園に入学し、親しい友人にも恵まれ、学園生活を謳歌しています。
貴方様がもしあの場にいなければ、娘の心はどこかで折れていたでしょう。私はあの場で旦那と骸を並べていたでしょう。
今、ここに命あることを感謝します。
そして、もう御自分を責めないでください。
貴方は、私の旦那が一番守りたかったものを守ったのですから』
…紙片に書かれていたのは、心の母親の、感謝の言葉だった。
文を読み、抑え込んでいたものが一気にあふれ出たのだろう、要は声を殺しながら泣いていた。
要が泣き終わるまで、誰一人として口を開かなかった。
だがそれは、先程とは異なり、皆、顔に僅かな笑みを浮かべていたのだった。
「…二度も見苦しいところをお見せして、申し訳ありませんでした…」
十分後。
充分に泣き終わったのか、要は少し目を赤くしながら静かに頭を下げていた。
「いえ、お気になさらずに…しかし、手紙が入っていたのは予想外でした」
ペンダントから取り出された手紙を眺めながら心はそう言った。
文字からして彼女の母親からの手紙であることは間違いないらしく、心は何度もその文章を読み返していた。彼女自身も釣られて涙ぐんでいたのだろう、目尻に少しだけ水滴が浮かんでいた。
「…要…」
心の隣に立っていた椛が、要の隣に場所を移した。その拍子に長い黒髪が揺れ、彼女の髪に刺さっている赤の簪も揺れた。
「…これからは何でも自分一人で抱え込もうとするな。勿論全部を話せ、とは言わないが、それでも、要一人では無理だと思ったら周りを頼れ。昔からの悪い癖だ」
「……いや、これでも大分矯正した方…」
「『はい』か『諒解』で答えろ!」
「……諒解した」
椛の気迫に、要はそれ以上何も言わずに頷いた。
その様子に周囲で見ていた龍一たちが感心したように声を上げた。
「さすがは要の幼馴染、か。俺じゃ出来なかった事を平然とやってのけたぞ…」
「…怖い…」
「まぁ、心配だったのは分かるけど、今回はもう少し労ってあげても罰は当たらないと思うのだけれど…」
「…な、なんか私失礼したほうがいいのでしょうか?」
「参考に見ておいたらどうだ? 男をしつけるのにどんな手を使うのが有効かを知るのも今後の為になるぞ?」
「…そうですね。今後のために学んでみます」
心はそう言いながら昴の方に視線をやったが、向けられた本人は気付いていない様子で、雑談と言う名の議論に参加していた。
龍一の言葉を皮切りに、それぞれ思い思いの言葉を吐き出していった。椛もそれに煽られ、勢いそのままに龍一たちへと反論していた。
それを止めようと手を伸ばしたところ、足に痛みが走り、ベッドに手を突いた。
すると、その手から落としたペンダントから、もう一枚紙切れが挟まっていることに気が付いた。
(……何だ?)
騒がしくしている見舞い人に何も言わずそれを開けば【追伸】と書かれた、手紙というよりは無理矢理後付けしたもののようにも見える。
「…………成程、諒解した」
そこに書かれていた文章に、要は思わず肯定の言葉を零していた。
その声が聞こえたのか、椛は口論を途中で止めて要の方へ向き直った。
「…? 要、どうかしたのか?」
「……いや、何でもない」
誰にも気付かれないようその紙切れを背に回し、何でもないことを主張すると、椛も深くは追求しようとはしないのか、大人しく引き下がった。
「さて…お前たちいい加減にここから出て行け。もう閉寮時間になるぞ」
すると前触れなく部屋の扉が開き、佐々木が気だるそうに現れた。
既に外向けの態度を取ることをやめたのか、言葉遣いも要たちを相手にするときのように荒々しくなっていた。
「っと…規範となる風紀委員がこれじゃあ駄目だな…というわけで、俺たちはひと足先に帰らせてもらう」
「あっ! 村上君、待ってください! ペンダントを…えっと…それでは五十嵐君、皆さん、失礼しました」
風紀委員の二人は慌ただしく医務室を去っていった。
それをしばらく見送ったあと、龍一と遥が次いで席を立った。
御影はアンジェの傍により、椛はその反対側について立ち上がる。
「それじゃあ、俺たちも失礼するぞ?」
「……安静に……」
「看病したいのは山々でございますが…アンジェもしばらくは安静を言い渡されておりますので、今日のところはここで失礼させていただきます」
「じゃあ、間違っても訓練なんてしないようにね」
「……ゆっくり…休んでいってね」
「……諒解」
別れの挨拶が済んだのか、五人はそれで去っていった。
部屋に残されたのは、怪我人・要と今までベッドの下に潜んで会話に参加しなかった影継、そして、時間を告げに来た傭兵だった。
「……行ったか……」
全員がかなりの距離を歩いたところで、佐々木は煙草を口に銜えた。火はさすがに医務室で吸うつもりはないのか、灯さずにいた。
そして、足音を静かにたてながら先程まで龍一の座っていた椅子に腰をかけた。
「……何か用か?」
「まぁな。今回の件で気付いた事でも話し合おうかと思って、な」
肘を突いて、手の平に顎を乗せる格好は意外と様になっていたが、要はそれよりも佐々木の切り出す話題の方が気になった。
「…釼甲を確認したところ、二年前の事件同様、ほぼ全機が『無人』での奇襲攻撃だったことが分かった。それに加え、陣場恭弥と水上紫亜を一応だが危険人物として登録しておいた」
「……水上紫亜は…」
要の問い掛けを全て聞かずに、佐々木は静かに頷いた。
「お前の想像通り、天領学園の生徒だ。衝突して、飯島可怜が庇っていた、あの少女だ」
やはりというべきか、嫌な想像があたって要は少し頭を抱えた。
無人釼甲は如何に人工知能が備わっているとはいえ、学園の構造をある程度把握しているような動きに関しては不審に思わざるを得なかった。
要が駆けつけた場所は、全て無人釼甲逃げ場を失うように追い詰め、効率的な、そして有利な戦闘を行なっていた。
一つ二つならばまだしも、八つ九つとなれば偶然で片付けるには無理がある。
そこで気づいたのは、学園の構造を熟知している人間が敵方にいる可能性があるという事だった。
そして、それが見事に的中していた、というわけだ。
「……気付けなかったのは俺の失態でもあるが、彼女が周囲に溶け込む才能に優れていたのも原因だろうな。気の弱い女子学生を演じていたのかどうかは分からないが…ただ、これで内部情報が漏れることは少ないだろう」
「……」
断言では無いところから絶対の自信があるというわけではないのだろうが、逆に警戒を怠るつもりはないという意思表示なので、それ以上要が言えることは無かった。
返事が無いことを確認すると、佐々木は面倒臭そうに頭を叩いた。そのあとしばらく考え込んだ彼は、思い出したように口を開いた。
「……そういえば、要が装甲無しで釼甲を両断した、と月島から聞いたが…それは本当か?」
「……? あぁ、旧式の釼甲は甲鉄練度が低いから、大したことはなかったが…それがどうかしたのか?」
「…出来るだけそれを詳しく話せるか?」
「…構わないが…」
傭兵の要望通り要が釼甲の装甲貫通をどのようにして達成したかを答えると、口に煙草を挟んだ手を当てて、考え込むような仕草をした。話し終わってからしばらくすると、何の前触れも無く笑い出し、それを抑えるように腹を抱えていた。
「……成程成程…! そういうことか…? そうだとしたら、俺もうかうかしていられないな…!」
一人で勝手に納得したような言い草に、要は理解が追い付かなかった。
「……少佐、一体何が…」
さすがに気になって問いかけると、来たとき同様前触れなく立ち上がり、身を翻して歩き始めていった。
「悪いが、要が甲竜を装甲できなくなった事に関しては自分で解明してみろ…といっても、大体俺には予想がついているがな…」
「!? 少佐、その理由は一体…!」
要が問い質す間も無く、傭兵は医務室から去っていった。
一人残された要は、一つ溜め息と疑問の声を零した。
「…影継、俺が甲竜を装甲できなくなったことについて、何か思い当たることは?」
《…どのような状況になって装甲できなくなったのかを知らぬ限りは断言出来ぬが……考えられる理由はある》
「…それは?」
《単に実力不足に拠るものだ……装甲出来る人間は、一般の人間とは異なる故に『武人』と呼ばれるのだ。ただ、装甲出来る人間の腕が落ちるとはそうそう考えられんが…》
その言葉に、要は頭を悩ませた。
鷺沼事件以降、彼は一日も休むことなく剣を振り、己を鍛え上げてきた。にも関わらず、それまで装甲できていた甲竜がある日突然反応しなくなったのだ。
ありとあらゆる手段を用いて調べ上げたが、原因は一切不明。
装甲出来ない武人を長期間軍に置いておく訳にもいかず、この天領学園に編入する事に決まったのだった。
《――――――もありえるが…まさかな…》
「? 済まない、聞き逃したからもう一度言ってくれるか?」
軽く昔のことを思い出していると、影継が小さく零していたが、考え事をしていた要は上手く聞き取れず、影継に聴き直した。
《いや、聞こえていないのだったら気にしなくて良い。我の覚え違いだったのでな》
が、影継の反応は否定だった。
「…そうか。だが、何か分かったら、もしくは思いついたら迷わず教えてく…れ…」
不審に思いながらも深くは問わなかった。
そしてようやく睡魔が一気に襲いかかってきたのか、要は上体を勢い良く倒し、そのまま眠りの世界へとついた。
…その日から、要が悪夢を見ることは無くなった。