危機
「…これで交戦していた生徒は全部か…」
切り伏せた鋼の塊を背にして要はそう呟いた。
駆け出してから三十分。
その間一度たりとも休むことなく学園内を駆け回り、苦戦していた生徒たちを誰一人として見捨てることなく助けることに成功した。
具体的には、無人釼甲に囲まれているところを後方から奇襲をかけ、一点の突破口を用意して、そこから生徒たちが抜け出すようにしていたのだった。
ただ、それも度重なる戦闘によって疲労が蓄積され、徐々にではあるが要の動きも鈍り始めており、この戦いで左腕に損傷を負った。
「…あとは影継と合流して、大本を叩けば…」
血を滴らせながら影継がいるであろう場所へ走り出そうとしたところ、突如眼前を何かが空を切って横切った。風圧により身体を押し返され、要の出鼻は見事にくじかれた。
「…何だ?」
『お、要か? 無事に生きていて何よりだ』
《…というより、この状況を釼甲無しで生き残れるって…》
吹き飛んできた物の方へ要が視線をやると、空色の武者がゆっくりと立ち上がってきた。両の手には刀が握られており、何かと戦闘をしていたことは直ぐに分かった。
「…その声は…昴か?」
『ご明察。みっともないところを見せたな』
それだけ言うと、彼らは足音の鳴る方に顔を向け直した。
要もそちらに視線をやれば、重々しい足音と共に黄緑の釼甲が姿を現した。
進行を妨げる物全てを薙ぎ倒しながら、ゆっくりと歩を進めていた。
『おいおい、これで終わりになってくれんなよ? ようやく楽しくなってきたっつーのに? つまらない死合したら容赦無く向こうに隠れている奴ら皆殺しだぜ?』
楽しげに笑う声が二人と一領の耳に届いた。
要と昴は同時に構え、歩み寄る敵に備えると、初めて見る敵に興味を示したのか、彼の視線は要の方へと向けられた。
『…そっちの男はお前の援軍か?』
「…偶然鉢合わせただけなのだが…一応そういうことにでもしておけ」
『ふーん…この状況を生き残っていることには驚いたが…見た感じ、この俺、陣場恭弥の相手になるとは到底思えねぇな…』
つまらなさそうに大剣を構えながら恭弥は呟いた。
その間、要は黄緑の釼甲を必死に観察していた。
西洋釼甲独特の装甲形状に加え、大和の物ではないグレートソードと呼んでもおかしくない程の直刃の大剣。
そして何より、感情を露わにした数々の発言。
「…この武人が、今回の騒動の原因か?」
《多分間違っていないはずよ。生体反応も確認出来るし、何より主の動きに少し遅れるけど、ついてこられている…どんな神樂を封神しているかまではわからなかったけどね》
自身だけで探りきれなかった事を恥じているように、雷上動が口にした。
機動力特化であろう雷上動の動きについてこられる…昴と一度手を合わせたことのある要は、雷上動の言っている意味が良くわかった。
昴の戦闘方法は動きの速さで翻弄するものであり、生半可な戦闘経験では目が追いつかない。追いついたとしても、体の反応が間に合わないというものだ。学内で対処出来るのは精々佐々木傭兵、獅童龍一、加えて業物を持つ突出した人間程度だろう。
《情報を付け加えれば、飛火が備えられていないから、私との相性は最悪ね》
「…騎行による衝突が出来ない…か」
《正解。さらに情報を加えれば、主の一刀をまともに受けても傷一つつかない甲鉄練度よ。手数で勝負する主じゃ、負けはしないけど、勝ちもないわね》
鏡花教諭の講義では触れられなかったが、空中戦闘を得意とする釼甲相手にするときの対処法が、実はもうひとつある。
それが『自分は地上で応戦する』というものである。
位置エネルギーを運動エネルギーに転化することによって莫大な攻撃力を得ることができると話されていたが、逆に言えば応じ方次第でその攻撃力がそのまま自分に返ることがある。
第一の理由としては、騎行している武者にとって、攻撃が非常に困難になるというものである。より明確に語るなら、攻撃後の動作が非常に難しい、ということだ。
高所から降下する際には当然勢いというものが生じる。そして、その勢いを保ったまま陸で構える敵が『受け流し』で対処した場合、その先にあるのは『地面』である。
騎行技術が相当なければ、地面に構える敵相手に攻撃することは自殺行為に等しく、失敗すれば地面に衝突して…あとは想像に難くないだろう。
第二の理由は、地面という確固たる支えを上手く利用する事が出来れば、敵の勢いをそのまま自分の攻撃力に転換することができるということだ。
空中戦では衝突の際に飛火を弱めれば、与える攻撃が弱くなる代わりに、自身も与えられる攻撃を弱めることができる。これは、飛火によって生じる力量を無くすことで、力の挟み撃ちを避けるためである。
これの使い方次第では避けられない攻撃を緩和することも可能であり、仕手の能力によっては攻撃を無力化することも可能だ。しかし、地に立ち近接戦闘に持ち込めば、高い威力を期待できる反面、防ぎきれなければ莫大な損傷を受けることになる。
まさにハイリスクハイリターンの戦法である。
しかし、そのリスクは釼甲の甲鉄練度が高ければ高いほど軽減される。
それ故に、昴は迂闊に騎行からの衝突という手段を取ることが出来ず責めあぐねているということだ。
『…影継はどうしたんだ?』
「今現在は逃げ遅れた生徒と一般人の救助を行なっている。合流しようと思っていたところに昴たちが現れたものだから、行くに行けなくなったがな…」
先程の話を全て統合すれば、昴が恭弥をここで食い止め続けることは不可能だろう…そう判断しての行動だった。
要の後方には決闘場が有り、今要がこの場を離れれば、間違いなく敵は強引にでも押し進み、避難している人間たちを蹂躙するだろう。
《悪いわね。私たちの実力不足が原因でこんなところに留まらせて…》
「最善の選択をしただけだ。影継もすべて終わればこちらに向かってくるだろうからな…」
『作戦会議は終わったか?』
待ちかねたように恭弥は身体を前に倒してきた。
重心を前方に移した特攻の構えだということはすぐに分かった。
『それなら、死合開始と行こうじゃねぇか!』
大きく一歩踏み出し、大剣で要を叩き割らんばかりに鋭く振り下ろしてきた。幸い、初動が大きい上にかなり遅く、見切ることは容易であり、『前方に』進むことで回避した。
『…お?』
「晴嵐流合戦礼法―鬼道―」
仕返しと言わんばかりの袈裟斬り。
その軌道は迷うことなく首に目掛けて走ったが、デュランダルの装甲に容易く弾かれてしまった。手に感じた衝撃で充分にそれを理解した要は深追いせずに、恭弥の胴を蹴ることで素早く引いた。
『…っしゃあ!』
そしてそれに続いて昴が追撃を放つ。
飛び退く要を避けるように、両側からの同時一閃、併せて二閃。
地面にめり込んだ大剣をすぐに引き抜けず、恭弥はその攻撃を受けざるを得なかった。が、これも彼を数歩引かせる程度で、有効打とは程遠かった。
『はっ! 大分楽しくなってきたじゃねぇか! これでこそここに来た甲斐があるってんだ!』
攻撃を受けた恭弥は、更に加熱されたかのように喜び始めた。
数回引くように身体を動かし、ようやく大剣を地面から抜くことができ、最初と同じように構えた。
「…成程、確かに甲鉄の練度は相当な物だ。傷一つ付かないなんて初めての事だぞ?」
『動きが鈍いことだけが救いだな。見切るのは簡単だが、攻撃が重すぎてまともに受ければ防御ごと持っていかれるのがオチだろうな』
無事着地した要と、一回の攻撃で身を引いた昴は再び道を阻むように立ち塞がった。
(…神技があれば、何とかなるかもしれないが…)
ふと脳裏に浮かんだのは、要の親しい友人…御影と椛だった。
それを認識した要は、その考えを振り切るように太刀の柄を強く握り直した。
(…二人を、危険な目に合わせるわけにはいかない…なら、昴と協力して倒すしか…)
『要! 上だ避けろ!』
「…なっ…!」
一瞬、意識が別の方向にそれていたために、反応が一歩遅くなり、判断を一つ間違えた。
再び降りおろされた一刀は辛うじて避けることが出来たが、その軌道上に学園の渡り廊下があり、それがいとも容易く砕かれ、落ちていった。
要の真上に。
(…! これは、避けられない!?)
横に飛んだ為、体は宙を浮いており、瓦礫は当然止まることなく降り注いでくる。方向転換も出来なければ空中を蹴ることも出来ず…
要は石と鉄筋に潰された。
場面転換を多用したために、一話以上に数が多いです。
終わるのが二月の最終日ギリギリでした。