立ち向かう勇気
《…生体反応は…こっちか!》
自身の熱源探知を利用して影継はある場所へと向かっていた。釼甲探知を併せて調べれば、十数人の生存者が複数体の敵に囲まれており、身動きが出来ないという状況に陥っているようだった。
最初追いかけていたのは二人だけだったのだが、それ以降一人、また一人と、合流したのか数が増えていき、最終的には動けずにいた十名に駆けつけていったのだった。
それ以降は神技による応戦でもしているのか、押されたり押し返したりの応酬を繰り返していた。
(…何かしらの傷害を負ったのだろうか…?)
だとすれば今すぐに救出できなければ、彼らは切り殺されるだろう。
それだけはさせまいと、影継はようやくその場所にたどり着いた。
…天領学園・学生食堂
平日だけではなく休日も開かれており、通常に比べれば少ないが、それでも職員がいるということは確かであることは、影継も要から聞かされていた。
そしてその言葉通り、食堂の隅には何度か見たことがある職員の顔がいくつもあり、迫り来る釼甲に怯えていた。当然だろう、彼らはごく普通の一般人であり、戦うすべを持たないのだから。
そんな彼らを守るように、三人の神樂が神技によって二騎と応戦しているが、それも限界が来はじめているのだろう、威力は目に見えて弱くなり、徐々にではあるが無人釼甲との距離が縮まっていた。
《……! そこの神樂三人! 意識が敵の後方に向かわぬように神技を放て!》
金声で彼女たちだけに伝えると、突如聞こえた声に動揺をしつつも、言葉通りに最後の力を振り絞って敵の体勢を崩した。
《良くやった!》
彼女らを褒めながら自身の大顎を開き、二つの鋼を同時に挟み込んだ。
そして先程の無人釼甲同様、一気に噛み砕いた。
上下に分断された釼甲は、糸の切れた人形のように微塵も動かなくなった。
《…無事か!?》
「か、影継さん!?」
声をかけると同時に、聞き覚えのある声が大きく響いた。
視線を向ければ、相変わらずのメイド服に身を包んだアンジェがそこにいた。ただし、彼女の服は、所々が破れ、その隙間から白い肌が覗いていた。
《…アンジェ嬢!? 何故このような場所に…それにその無残な服は…!》
問い詰めるような気迫に押されながらも、アンジェは震えながらも答えた。
「い、いえ…あ、アンジェは……そう、そちらの神樂のお方に助けていただいて…それにこれは…と、途中でどこかに引っ掛けたようでございまして…」
「何……言ってるの! 真白さんが…みんなに呼び掛けてくれたから、今まで全員……無事だったのよ!? それに、服は怪我している人の止血のためにわざわざ切って…」
アンジェの答えを聞いて一人の女子が聞捨てならないと言わんばかりの勢いで怒鳴り込んだ。先程応戦していた神樂の一人で、疲れで少し息は荒れているが、それでも彼女を庇おうと必死の様子だった。
それに刺激されたのか、先程まで腰の抜けていた男性が、足元の覚束無い状態だというのにも関わらず、立ち上がって影継の前に立った。
「そ、そうだ…この子がいなければ、私たちは今頃生きていなかった…この子が混乱している私たちを見かねて合流してくれたから…」
その恐怖を思い出したのだろう、男性の体は小刻みに震え、それを押さえ込むように身体を抱きしめた。
その際、白いシャツに全く対照的な黒の布が巻かれていた。
端に白のレースの刺繍があり、影継はアンジェの服の『ソレ』と見比べた。予想通り、スカートの端が所々引きちぎられているが、それは引っかかったというよりも、自身の手で引き裂いたといった表現が当てはまるほど真っ直ぐにちぎられていた。
《…話は諒解したが…何故そのような危険な真似を?》
「あ…アンジェも…」
地面に視線をやりながらも、彼女は確かにその言葉を口にした。
「…アンジェも…要さんの様に、誰かのお役に立ちたかったのでございます!」
…それは、彼女の心からの言葉なのだろう、真っ直ぐに影継と向き合い、意気込むように両の拳を胸の前で握った。
「ですが、アンジェは神樂ではないので、要さんの様に戦うことは出来ません…なら、学園の構造を充分に知っている事を利用して、皆さんに無事避難してもらおうと…」
《………》
影継は言葉を失っていた。
彼女のような、本来普通の世界で生きるような少女が、要に影響されたが為に、恐怖で身体を震わせながらも自分にできる精一杯を、最善を為そうとする…
その姿に、なんとも言えない…感動を覚えていた。
《…ここから一番近い避難場所は決闘場だ》
何時の間にか、影継から言葉が自然と漏れていた。
《学内の構造を熟知しているというのならば、ここからその場所までの最短距離を我に伝えて欲しい。既に危険な状態なのはここにいる者たちだけだ。可能な限り迅速に主の下へ向かわなければならぬのでな…》
「…なんだ、アイツはまだくたばってないのか?」
怒りの混じったような低い声に体を向ければ、そこには傷だらけの少年がいた。
…福原浩…
元風紀委員であり、蜥蜴丸の武人だった男子生徒だ。
痛みに顔を歪ませながらも、見覚えのある釼甲を見て皮肉を言いに来たのだろう、その隣では心配そうに飯島可怜が彼に連れ添っていた。
既に蜥蜴丸との契約が完全に切れたのだろう、業物の武人特有の傷が回復するような事は無く、腕を押さえながら近寄ってきた。
《…貴様か、福原。如何に蜥蜴丸を失った身だとしても、数物すら纏わずに傍観か。良い身分になったものだ》
「うるさい…元はといえば、こんなことになったのはお前たちの所為だろ! …っつ!?」
「…駄目! まだ傷が塞がってないんだから無茶は…」
影継の蔑むような言葉に、福原は声を荒らげた。
その声が自身の傷に響いたのか、痛みによって更に顔を歪めるが、それでも鬱憤をぶちまけることは止めなかった。
「お前たちがいなければ今頃俺は蜥蜴丸を装甲して戦っていたはずだ…この程度の状況なら、俺の手一つで…」
《実際このような状況に置かれては、何もできずに…立ち向かおうとする意思すら見せずに…心の弱い人間は戯言を良く言う》
彼にそれより先を言わせんとばかりに、影継は言葉を遮った。
《なら聞こう。貴様は何かを武器に立ち向かったか? 受けた傷は逃げている…背を向けている最中に受けたものだろう? なら、アンジェのように誰かを救おうとしたのか? それも否だろう。先程、釼甲に襲われている間常に自分だけ助かろうと活路が開くのを待っていただろう?》
怒りに満ちた、低く図太い声だった。
それこそ、そこだけ戦闘の熱気が全て奪われるかと思われるほどに。
自分のことではないと分かっているアンジェでさえも、恐怖に身体を震わせた。
《一度や二度負けた程度で奮起できなくなる程度の人間ならば、我が主に遭わずとも近いうちに死に果てていただろう。それが先日のことか、数年先か程度の違いだ》
「…ひ、人が黙って聞いていれば…!」
《死ななければ、覚悟をし直すことは充分に出来る》
激昂しかけた福原よりも先に、影継は言い放った。
《…これを契機に、覚悟を決め直せ。一度は蜥蜴丸殿も認めた男だ、非凡なる才があるのは承知の上で貴殿に話しているのだ…我はそれ以上は言わん》
「………………」
思うところがあったのか、福原は完全に黙り込んでしまった。
飯島も同様に口を一切開かず俯いていた。
すると、食堂の出入口から新たな敵が踏み込んできた。
数にして三騎…既に力尽きている神樂に一般人が相手をするには分が悪すぎる。
《チッ…! もう駆け付けたか!》
急いで生徒たちの前に立ちふさがるように影継は構えるが、自律形態でこの状況を打破するのは難しい…それが嫌というほど理解できていた。
策を練っている間に、新たな敵は間合いを詰めてきた。
それも互いに距離を置いているため、同時に破壊ということは『この形態』では無理だと判断した。
(…一か八か…試してみるか…)
思い至れば、影継はすぐに行動に移した。
《これより修羅を開始する
鋼の志は如何なる障害にも折れる事無し
我、天照らす世の陰なり!》
…それは、装甲の祝詞。
唱えると同時に影継の体が眩い光に包まれた。
装甲音が鳴り終わると、漆黒の武者がそこに居た。
《為せば成る…か。まさか出来るとは思わなんだ…》
自分のしたことに驚きを隠せない様子ではあったが、それでも自身の腰に差された鎧通しを静かに抜き払い、青眼に構えた。
突然現れた武者に驚きを隠せないようで、先程まで一定の速度で詰めていた距離を、目に見えて緩めていた。
驚きは後方にいる人間も同様で、ざわめき立っていた。
「…武人無しで、装甲展開?! そんな事聞いたこともないわよ!?」
「…もしかして、私たちを安心させたところを切り捨てるとか…!?」
「ふざけるな! 誰か、この釼甲に神技をぶつけろ!」
影継に対しても恐怖を抱くようになった一般人の声が背に投げかけられた。
それを一身に受け止めながらも、影継は敵を真っ直ぐに見据えた。
(……主は、これ以上の罵詈雑言を受けても引かなかったのだな…)
何時か見た要の悪夢を思い出した。
愛する家族を失い、助けたかった者全てを救えず、救えなかったことを呪われた…それでもなお、人々を守るために戦おうとする己の主を、改めて強いと実感した。
(…我は、主に恵まれたな)
そんな主の、護るための力として求められたことを、誇りに思う。
「皆様! ここは影継さんを信じてくださいませ!」
批難の声を投げかけられる中、アンジェが影継の背を守るように立ち上がった。
大勢に睨まれる場所に立ち、その敵意に怯えながらも、しっかりとその小さな体から声を絞り出していた。
「お願いします!」
小刻みに震える身体を震わせながら、彼らに対し必死に懇願した。
その純然な願いに、皆言葉を失っていた。
(…有難い!)
彼女の期待に応えるように、影継は一歩踏み込み、鋭く正面の敵に突いた。全身を駆動し、大気を裂く音と共に鋼を穿ち、喉を貫かれた敵機は膝を崩して後ろへ倒れていく。
仲間が倒れてようやく両側の釼甲も動き出したが、反応が遅すぎた。
既に漆黒の武者は左に切り払いを、右側に蹴りを見舞って二騎の体勢を崩していた。
《今だ! 全員出口に向かって駆けろ!》
影継が合図すると、一瞬躊躇いを見せたが、アンジェが先方をきって走り出すと、それを追う様に一人、二人と駆け出していった。
ようやく全員が影継の後方を走り去ったのを確認して、出口に向けて身を翻すと、足を押さえながら屈んでいるアンジェがまだ残っていた。
《…な…!? 真白嬢、一体何が…!》
「い、いえ何も! 少し足をくじいただけでございますので、影継さんは気にせず先に…!」
気丈に振舞って見せてはいるが、よく見れば彼女の足首は青く充血しており、見ている影継でさえも痛みを錯覚しかねなかった。
《…それほどの怪我を負いながら何故真っ先に駆け出した!?》
「…誰かが踏み出せば、皆様も走り出すと…そう思って…」
《!?》
あまりの健気さに、影継は何も言えなくなった。
…どんな事でも当て嵌ることだが、拓かれていない道を歩むには相応の覚悟を必要とする。それこそ、踏み出す人間が居ないがために永遠に未踏の道になってしまうことも少なくない。
けれども、一人でも先駆者がいれば、それに続いて行こうとする人間が現れるのも、どんなことにも当て嵌る。例え先駆者が居なくなっても、その勢いを保てば自ずと道が切り開かれる…
それを、彼女は身を持って実現したのだった。
先程まで影継を信用できずに動けなかった生徒職員たちは、既に姿の見えない場所まで走り去っているようで、今も順調に決闘場の方へと向かっているのが生体反応で影継には分かった。
「アンジェの事は気にせずに…要さんを…」
《…失礼する》
アンジェが何かを言い切るよりも先に、影継はその腕に彼女を抱きかかえた。
膝と背を腕に乗せる体勢になったアンジェは、何が起こっているかを理解できずに狼狽していた。
「か、影継さん!? 一体何を…」
《口を閉じるように。舌を噛まないようにだけ注意していただきたい。加えて、しばらくの間、真白嬢の熱量を拝領する》
言うと同時に、漆黒の釼甲の飛火が灯った。
轟音と共に、鋼の体は空を切った。
「わっ………はう!」
《全速力で貴女を安全な場所まで運ぶ、それまでは耐えてもらえぬか?》
影継の言葉にアンジェは首だけで肯定を示した。狭い道をとてつもない速さで駆け抜けているために揺れが激しく、まともに口を開くことすらできないのだ。
吹き付ける風にアンジェは強く目を瞑っており、胸に手を当てて縮こまっているが、決闘場までは持ちそうだった。
《…安心しろ。主は我が必ず力となって助ける。真白嬢は主が無事に帰ってくるよう祈ってもらえぬか?》