鬼哭
翌朝。
朝食を摂るために食堂に向かい、料理を受け取る際に職員と幾つか会話した後、要は椛、遥、アンジェの居る席を見つけた。椛と遥が並んで座っており、アンジェはいつも通り席の後ろに立っていた。
二人の皿は既に空になっており、それでも動こうとしない様子に、周囲で席が空くのを待っている生徒が困っている様子を見せていた。
向こうも要に気がつくと、揃って彼の顔を眺めた。
「ふむ、影継の言っていたとおり、大分顔色が良くなっているようで何よりだ」
「……その確認のためだけに食堂のテーブル一つを二時間占拠していたのか?」
「なっ…!? 一体どうしてそれを!」
呆れたように要が返すと、椛は目に見えて動揺していた。
「…先程、職員の人が『開いてからずっと動かないあの人をどうにかしてくれ』とお前を指さしていたからな。思わず代わりに俺が謝っておいた」
「ぐぅ!」
「アンジェも慣れているとはいえ、動かずにずっと立ちっぱなしは少々キツイところがございました…ところで要さん、お体の調子は? あと、影継さんを見かけませんが…」
「別段気にするほどでもなかったんだが…この通りだ。あと影継は御影の下で調整作業中だ。半日位掛かりそうだと言っていたな…」
そう言って要は自分の持ってきた料理の量を見せつける。
「…私と…同じ位?」
遥は自分のトレイに乗った空の皿と見比べていた。所狭しどころかはみ出した皿は少しでも気を抜いてしまえば落としてしまうかもしれない…それほどまでに要のトレイには料理が置かれていた。
朝ということで食堂の朝食メニューはある程度塩・油分を抑えられているとはいえ、その量は明らかに体調不良の人間が食べるものではなかった。
つまりは完全回復した、という意味だろう。女子三人はそれだけで理解する事が出来た。
「…栄養が偏らないようにしつつ、たくさんのお料理を召し上がる…さすがは要さんですね! アンジェも負けていられません!」
「…一体何と戦うつもりだ?」
「…あれ?」
要の指摘に、アンジェは首を傾げた。彼女自身も特に理解していなかったようで、何故か悩み始めていた。
そんな彼女を気にかけながらも、要は椛に向かい合う席に座った。
「とにかく、それだけの量が食べられる程には回復した、と見ていいのだな?」
「そういうことだ。いただきます」
そして、要はおみおつけに口をつけた。
不足していた栄養を補うように、要は早く、それでいて丁寧に料理を片していった。
その間僅か十分…大食い・早食い大会でもあれば上位に入れそうな速度だった。
「御馳走様でした」
「……早い…」
「ほわぁあ…あれだけのお料理があっという間になくなってしまいました…」
「そ、そんなに空腹だったのか?」
「…まぁ、そうだな。というよりも釼甲の行動熱量も俺が供給しなければならないから、というのが大きな理由だ。それで、わざわざ俺が食べ終わるのを待っていたんだ。何か聞きたいことでもあるのか?」
食後の緑茶を飲みながら要は言った。
図星だったようで、椛とアンジェは僅かに肩を強ばらせた。
三人は目配らせして決心したのか、椛が口火を切った。
「…昨日、放課後に何があったかを、少しでも良いから聞きたくて、な…」
「…と、いうと…」
「風紀委員の方々と何をお話したかを、でございます」
付け加えるようにアンジェが続いた。
「…と言っても、試験に合格していたから『委員』になる資格ありという事と…」
「……事と?」
一瞬口篭ると、遥が続きを勧めた。
「風紀委員長と五十嵐君に面識があった、ということでしょ!」
要が話すべきかどうか悩んでいると、椛たちの後方から一度聞いたことのある声が聞こえた。四人が声のした方向へ顔を向ければ、昨日の報道委員会の少女・加賀三春がいた。
「…どこから聞いていましたか?」
「う~ん、相変わらず他人行儀だね。親しみを込めてみっちゃんでも…」
「加賀三春さんでしたね。では加賀さんと呼ばせていただきます」
「取り着く島も無しって感じかな? それで、質問への答えは五十嵐君がお食事を終えた辺りからかな?」
ほぼ最初からだった。
彼女の態度に少しばかりの苛立ちを覚えながらも、要はまだ落ち着きを払っていた。
「…加賀さんは、昨日のことをご存知なのでしょうか?」
「よくぞ聞いてくれました、巨乳メイドちゃん!」
期待していた反応が来たことに喜んでいるのだろう、加賀は左手人差し指をアンジェに突きつけた。あまりにも指先が近すぎたのでアンジェは当たらないよう後ろに引いた。
「私の神技『聴覚移動』を持ってすれば、学園内の会話は全部筒抜けなんだよ!」
「…つまりは盗み聞きをした、というわけか?」
「…あまり褒められた趣味ではありませんね」
当然というべきか、椛と要の反応は厳しかった。そして、そんな対応にも彼女は反省の色も、めげる様子も無かった。
「情報は鮮度が命ってね! それで、お聞きしますが…」
何時から出したのだろうか、彼女の左手には記録媒体が握られていた。
「五十嵐要君は『鷺沼事件』にどう関与していたのか!」
「「「!?」」」
三人は驚いた様子を見せた。
今世紀における、大和最悪の虐殺事件。
それに、親しい人間が関わっているという疑惑。
それだけで、彼女たちを動揺させるには充分だった。
「…どうしても、お答えしなければならないのでしょうか?」
「出来れば、で良いけどね。私としても無理に問い詰めるつもりはないよ? でも答えられるぎりぎりまで教えてくれると嬉しいね!」
「……………」
明らかな不快感を露わにしたことに、彼女は気付かなかった。
自身の欲求に目がくらんでいたがために、他人の心理的機微を察することができなかったようだ。
「それじゃあまず、世界で唯一生存者ありに貢献することが出来たことについて、良かったなどの…」
その発言からの要の行動は迅速だった。
二人の間を妨げるテーブルを、椛と遥を、ひと足で飛び越え、加賀の眼前に降り立ち、目にも留まらぬ速さで彼女の胸倉を掴んでいた。
「キャッ…!」
「良かった…だと…?」
鬼も逃げ出すような、重く低い声だった。
伏せられた顔から表情は見えなかった。
ただ、両手に込められていく力が、触れていなくても分かるというくらいに怒っていることは確かだった。
「人が死んでいるというのに、良かった、だと!?」
「え? え?!」
勢い良く上げられた要の顔は、怒りと悲しみを混ぜ合わせたような表情だった。
突然の豹変に、さすがの加賀も明るく振る舞うことはできなくなっていた。
「確実に救えなかった人は八千六十三名! 生き延びていたとしても、心に大きな傷を残している人は、あの事件で生き残っていた全員だ! 世界で唯一生存者がいた? そんな物糞くらえだ! 貢献? 何十、何百、何千、何万を見殺しにせざるを得なかった……間に合わなかった……にも関わらず、か?」
言葉尻は聞こえなくなるほど弱まっていたが、それに反比例するように拳に込められる力は増していった。
ただならぬ雰囲気に、誰も口を開くことができなくなっていた。
そして、込められた力は許容量を超え、高々と振りかぶられた。
「ヒッ…!?」
殴られると思った加賀は、力一杯にまぶたを閉じた。
「! いけない、要! 止め…」
危険に気付いた椛が止めるより、圧倒的に速く、要の拳が降りおろされた。
要の右頬に。
乾いた音が食堂に響き渡った。
「…え?」
何が起こったのか、その場にいる生徒が理解するのに数秒かかった。
その間、食堂は火が消えたように静まり返った。
振り上げた拳を自身に殴りつけるという、あまりにも予想外の行動に、誰も何も言えなくなってしまった。
「取り乱したことに関しては謝らせていただきます。申し訳ありません…」
小さな声で、聞こえるか聞こえないかというほどの音量で、要が呟いた。
「ですが、その事に関しては、防人部隊及び生存者一同にとっては、これ以上無いほどの『最悪』であったことは理解していただきたい…お願いします…」
か細い、頼み込むような要の態度に、加賀は思わず首を縦に何度も振った。
視界の端で彼女が肯定を示したことを確認すると、要は彼女の胸倉を掴んでいた手を放した。それと同時に、怯えた加賀は一目散にその場を立ち去っていった。
残されたのは、要と、その友人である三人だけだった。
「…要…」
「要さん…」
「…三人とも、済まない。折角の休日を、こんな始まり方にして…」
要は顔を伏せたまま体の向きを変え、心底申し訳無さそうに三人に頭を下げた。
「い、いえいえ! アンジェと致しましては要さんの人間らしい部分を見られて少し安心した気持ちで…」
「……アンジェ…」
無理矢理場を明るくしようとするアンジェの裾を、遥が引っ張った。
それに気付いたアンジェが遥の方を見ると、彼女は静かに首を横に振っており、その意味を理解したアンジェは大人しく口を噤んでしまった。
「…何があったのかは…あえて追求しない」
沈黙を破ったのは、幼馴染の椛だった。
「けれど、微細ではあるが、私たちで力になれることがあれば、遠慮無く言ってくれ…それだけは、心に留めておいてくれ…」
誰よりも言いたいことはあるだろう。
誰よりも尋ねたいことはあるだろう。
しかし、それでも彼女は、要が語ることを、待つことを選んだ。
彼にとって、それは今何よりも求めている優しさだった。
「…諒解。頭の整理が出来たら話す…」
頭を上げるが、それでも要の顔は伏せたままだった。
体の向きを変え、ゆっくりと出口に向かって歩いていくが、覚束無い足取りは幽霊のようにも見えた。
「…二ノ宮さん…」
「…何だ、アンジェ?」
「本当に、よろしかったのでしょうか?」
散らばった食器類を片付けながら、アンジェは椛に尋ねた。
その傍らでは、遥が布巾で飛び散った汚れを丁寧に拭いていた。
「…要は、昔から頑固な所があるんだ」
今は見えない、彼の背を追う様に、彼女は視線を移した。
何か昔を懐かしむような、そして、今何もできない自分を呪っているような、複雑な心情だった。
「一旦決めてしまえば、余程の事が無ければ譲らない…今無理に問い質しても、要は何も話さない…だから、私は『待つ』んだ」
彼女の瞳には、昔から変わらぬ、幼馴染の姿が写っている。
「要は、一度決めた約束を絶対に守るからな」