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二人の出会い《二ノ宮椛と五十嵐》

 要が倒れたと聞いてから、椛は落ち着きというものを完全に忘れたかのように取り乱していた。それこそ、普段の彼女を知っている人間全員が『別人ではないか』という疑問を抱いてしまうほどに。

 誰よりも早く要のもとへ駆けつけたが、冷静さを失っている彼女を合わせるのは、龍一も不本意ではあるが得策ではないと考え、部屋に入ることを断った。

 自身もそれを聞かされて幾分頭を冷やすことができたが、それでも普段通りというわけにはいかなかった。

 影継から金声で『無事』ということを聞いて、ようやく自分の行動を振り返られるだけの冷静さを取り戻すことが出来たのだ。その恥ずかしさを紛らわせるように、現在は寮の中庭で竹刀を一心不乱に振っていた。

 一刀を振り下ろすたびに自慢の長髪と道着の袖が揺れ、袴が草に擦れる音が小さく、そして、竹刀の風きり音が鋭く響いた。

 幼い頃からの習慣であり、普段は千で終わらせているのだが、既に数える余裕もなくなっているのか、目標の1.5倍は超えていた。

 それでも、彼女は竹刀を振り続けた。

 日が沈む頃になって、ようやく疲労を認知し、素振りを終え、構えを問いた。

「…はぁ…」

「お疲れ様です、二ノ宮さん」

 溜め息をついたところ、見計らったかのように後ろから声をかけられる。振り返れば、そこには水と手拭いを持ったアンジェが笑顔で立っていた。

「…これは?」

「差し入れでございます! 二ノ宮さんがここで訓練しているのを見てご用意させていただきました!」

「あ、ありがとう…」

 押し付けられるように渡されたそれらを、礼を言って受け取った。さすがに数時間連続で振り続けていたためだろう、喉は渇き全身は滝のように汗が流れ、道着が肌に張り付いていた。

 渡された水を数回に分けて飲み干し、手拭いで顔や特に汗で濡れている箇所を重心的に拭いていった。そして、ある程度身嗜みを整え終わると、手早くアンジェがそれを受け取った。

「あ、ありがとう…」

「いえ、これもアンジェのお仕事のうちでございますのでお気になさらず!」

 少し躊躇いながらの感謝に、アンジェは満面の笑みで応えた。

 同じ女子である椛から見ても、花が咲いたような可愛らしい笑みだった。

 自分にはない魅力に、椛は思わず身動ぎしてしまっていた。

「? どうかなさいましたか? それともアンジェ何か不手際でも!?」

「あぁ、いや、そうじゃないから落ち着いてくれ! 少し考え事をしていただけだ!」

「そ、そうでございましたか…アンジェ思わず、二ノ宮さんから逃げ出そうかと考えてしまいました」

 椛が宥めると、あわてふためいていたアンジェはすぐに落ち着きを取り戻し、自身の勘違いが恥ずかしかったのか、照れたような笑みを浮かべた。

 慌てたかと思えば、安心したように表情を和らげたりと、コロコロと表情の変わるアンジェは、誰から見ても愛らしいものだった。アンジェの百面相に椛も思わずクスリと笑っていた。

「何を言っているんだ? 責められるような事をしたのなら話は別だが、アンジェはむしろ褒められるような事をしたんだ。逃げ出す理由などどこにも無いではないか?」

「いえ、アンジェはもう二ノ宮さんの神技は懲り懲りでございます…と、反射的にそんなことを思っていたようで…」

「…あぁ、あの時か…」

 椛は二週間前の、要たち武人科が射撃訓練をしていた時の事を思い出した。

 あの時はアンジェが椛の名前を出しそうになったので、緊急手段として神技を用いたが、それ以外では椛も、余程のことがなければ神技は一切使わないようにしている。

 そのことについて謝ろうとするよりも先に、アンジェが切り出してきた。

「ところで、二ノ宮さんにお尋ねしたいことがあるのですが…」

「私に、か?」

 予想外の発言に、椛は面食らっていた。

 というのも、学内では好成績を収めているが、彼女は要ほど狭い分野に限るが雑学・知識を豊富に持っているわけではないし、御影のように専門知識に突出しているわけでもない。龍一のように、広範囲をある程度知り尽くしているわけでもない。

 それ故に、何が聞かれるのか分からず、椛は思わず身構えてしまった。

「はい、二ノ宮さんは要さんと幼馴染、ということで…要さんの幼い頃のお話を宜しければ…」

「聞いてみたい、と?」

 アンジェが言うよりも先に答えると、彼女は力強く頷いた。

「はい。といっても、二ノ宮さんがご気分を害さない程度でよろしいので…」

 そう言いながらも、彼女の瞳は真剣そのものだった。

 ただ、自分ではそのことに気付いていないのだろう、いつもなら卵を扱うかのように持つ手拭いに、目に見えて力が入っていた。

 そこで、椛は気が付いた。

(…アンジェも、要に惹かれているのだろうな…)

 それがどのような感情であるのかは、椛には分からない。

 恐らく、アンジェ自身も気づいてすらいないのだろう。

 それでも、彼を正しく見て、接する事が出来るのならば、これ以上に椛にとって嬉しいことは無い。

「それならば…」

 少し時間をかけて話題を探していると、丁度自分の手にあるものが話題になると考えた。

「今思いついたのは私と要が出会った頃の話だが…そんなもので良いか?」

「是非!」

 意気込むアンジェは既に聞く姿勢になっていた。


 今の彼女からは想像はできないだろうが、五十嵐要に会う前の二ノ宮椛はいわゆるガキ大将という存在だった。並大抵の男子では敵わないほどの剣の実力を持っていた。それは、同年代どころか上級生……時には三つ以上離れた男子すらも圧倒したことがある。

別段、実家が剣術道場というわけでもない、ごく普通の一般家庭に生まれ、両親も武人でも神樂でもない平和で小さな一家だった。

 しかし、彼女の身体能力の高さの所為か、女子からは仲間内から外され、男子からも畏怖に近い感情を持たれていた。男子よりも剣の実力がある、ということで、釼甲を纏って戦うことがあるだろう少年たちのプライドを容赦無く傷つけたというのも大きな理由のひとつだ。

 それ故に彼女は疎外されることになった。

 遊びたい盛りの子供にそのような状況を耐え続けろというのは酷な話だろう。そこで、彼女は幼いが故に未熟な手段を取った。

『力で言うことを聞かせる』というものだ。

 誰も敵わないほどの実力を持っていたからこそ為し得た手段である。最初のうちは、反対できる子供がいなかったために皆黙って従っていた。しかし、これも彼女同様子供に耐え続ける事が出来るわけもなく、時間とともに周囲の不満は募っていった。

 しかし孤独の寂しさに耐え切れなかった彼女にはそれを察することが出来なかった。というよりも、察していたが爆発する様子がないと見ると、一抹の罪悪を感じながらも知らないふりをした。

「済まないが、嬢ちゃんがこの子たちの中で一番強いと見たが…如何だろうか?」

 それは突然かつ奇妙な事だったので、今でも彼女は鮮明に覚えている。

 子供たちの輪の中に、突然七〇過ぎた老人が笑いながら近寄ってきたのだった。体格はそこいらにいる大人の男性よりも遥かに高く、着流しを着ていたが服の上からでも筋骨隆々なことが分かるほど鍛え上げられていた。

 周囲の取り巻きをしていた子供はその異様性に、そして、椛は自身の行いが罰せられるのではないか、ということで怯えた。彼女たちの反応の意味を挙動から察したのか、老人は快活に笑い飛ばした。

 そしてその直後、老人の言葉に従って同い年の少年が現れたのだった。

 身長は椛より少し大きい程度、雑然と伸ばした髪を取り敢えず前で分け、後ろ髪はくくっておく程度の身だしなみ、そして、白の道着と紺の袴という、歩き回るには微妙な衣装だった。

そして、その直後に言われた老人の言葉が…

「嬢ちゃんの実力を見込んで、孫と勝負してもらえないか?」

 というものだった。

 突然現れた老人に、孫息子との勝負を申し込む……これ程までに奇妙な出来事は、幼少時代に限って言えば全くなかっただろう。

 そして、その勝負を申し込まれたとき、彼女の内心は『勝てばこの子も遊んでくれるかな?』というものだった。大の大人でも手古摺るほどの実力を持っていた彼女に『負け』の二文字は完全に想定外だった。

 老人の申し出に頷き、そして、勝負を申し込まれた場所で仕合をし…

 椛は、完膚なきまでに叩きのめされた。

 彼女に不満を持っていた、大勢の目の前で。

 誰も勝てなかった少女が、目の前で手も足も出なかったのだった。

「ありがとうございました」

 手にした木刀を下げ、彼が礼をすると同時に、今まで溜まっていた取り巻きの少年少女の怒りが爆発したのだった。

「やっぱり女は女だったんだ!」

「少し男相手に剣で勝っていたからって調子に乗ってたんでしょ!?」

「皆、仕返ししてやろうぜ!」

「神技も使えないくせに、生意気意だったのよ!」

 ここぞとばかりに、負けた彼女に容赦ない言葉が投げつけられた。

 中には今までの不満を拳に込めてぶつけようと、腕をまくる者もいた。

 諦めて、痛みを堪えられるよう目を瞑っていたが、いつまで経っても衝撃は来ない。それどころか、一つの悲鳴の後、騒がしさは完全に静まり返っていた。

「な、何をするんだよ!?」

 声に反応して目を開けると、力自慢の、先程殴りかかろうとしていた男子が腰を着き、腫れた頬を押さえながら声を荒らげていた。

 椛と集団の間には、先程仕合った少年が木刀を下ろし、拳を構えて立ちふさがっていた。

「武人の一端として、数による暴力を見過ごすわけにはいかないので、こちらに助太刀させていただく」

二十人以上に囲まれているのにも関わらず、少年は堂々とそう断言した。

 予想外の人間が立ち塞がった事で、少年少女には戸惑いが生まれた。

「お前、誰だか知らないが、そいつが今までどんなことをしてきたか知ってるのか?!」

「そうだよ! 皆そいつにはやられた恨みが……!」

「だからといって数の暴力を行使する事への正当化出来る訳ではないと思います」

 先ほどまでの仕合とは大きく異なった気迫を持ちながら、剣道着の少年は一歩歩み寄った。

「うっ……!」

この気迫に押され、包囲網は二歩分程度後退した。

「……勝負して分かりましたが、彼女の腕は相当なもの……恐らくはその突出しすぎた運動能力故に仲間内から外されていたと想像できますが……反論は?」

「…………」

「原因は皆さんにもあると自分は思います。他人と少し違うだけで集団により叩く、といった所でしょうか……それに関して幾つか言わせてもらえば……」

 そこで一つ息を吸って、少年は怒鳴った。

「負けたというのなら勝つ為の努力をしろ! 差に嘆いている暇があれば、少しでも前に進もうと足掻け! 負けたからといって寄り添い合って傷の舐め合いをしていないで自身を磨き合え! それすら出来ない人間に他人を評する資格はない!」

 どこまで届くのだろうかと疑問に思ってしまうような大音声に、周囲の少年少女たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。

 その場に残されたのは、倒れて動けなかった椛、少年とその祖父の三人だけだった。

 二分ほどその状態が続いた頃だろうか。

 遠くから見ていただけの老人が腰を上げて、孫ではなく椛の下へと歩み寄った。

「いや、嬢ちゃんのその腕、なかなかのものだった。ただ、振りは良いが少しばかり荒い部分が目立ったな」

「……うっ…!」

 声をかけられた途端に、彼女の心の奥底から負の感情が溢れ出した。

 投げ付けられた暴言に、心を傷付けられたのだ。

老人の言葉は微塵も届いていなかった。

「は!? いや、何故泣き出す!? 儂が何か間違えたのか!?」

「自分に聞かないでください。ただでさえ人付き合いをしたことのない自分に答えを知っている訳が無いでしょう」

「ほらほら、お爺ちゃんは少し下がっていて。要君は一緒に来てね」

 老人と少年が軽く狼狽していると、どこから出てきたのか、少年より数センチほど高い少女が夕焼けに紛れて現れた。

「…済まん、これでも出来る限り努力はしているんだが…」

「一朝一夕で出来たら誰も苦労しないよ。優しくなったのは分かるけど、これは多分ほかのことが理由だろうね」

 突然現れては巨体の老人を押し退け、少年の空いている手を握って椛の前に膝をついた。

「こんにちは! いや、この時間だともう今晩は、かな?」

「………………」

 嗚咽を噛み殺しながら、椛は二人に背を向けた。

 拒絶の意思を示していたつもりなのだが、それでも少女は何の躊躇いもなく話を続ける。

「泣いてばっかりだと私もあなたが何をしたいのかわからないよ? けどまぁ良いや! 私は千尋! 五十嵐千尋っていうの! よろしくね!」

「…………」

 明るく話しかける千尋に対して、椛は少し視線を合わせただけですぐにそっぽを向いてしまった。

「実は私たち最近この辺に引っ越してきたんだけど……頼れる人が全くいないの」

「……それが……何?」

 黙り続けても話し続ける千尋に対し、椛もついに我慢しきれずに答えてしまった。その反応に千尋は嬉しそうに笑った。

「つまりは、私にも、要君にもお友達が居ないの。そこで……なんだけど」

 そこで一つ言葉を句切って、その言葉を口にした。

「私たちのお友達になってくれませんか?」

「…………え?」

 あまりにも予想外すぎる言葉に椛はそれだけしか言えなかったが、それでも少女はとどまることなく話を続ける。

「要君なんか私以外の子とお話できないからね。それに、あなたは多分良い子だから」

「姉さん、それは出来れば……」

「黙っていたら要君が無愛想だと思われるでしょ?」

「………………」

「それじゃあ、みんなで握手!」

「なら儂も…」

「お爺ちゃんは力加減を覚えてから! …えっと、名前は?」

「……椛…」

「そう! 椛ちゃんの手が潰されたらいけないからね!」

「…それなら、自分はこれで…」

「何言ってんの? …要君もほら!」

 そう言って千尋は要の手を取って無理矢理椛と握手をさせた。逃げられないよう両手で二人の手を包み込んだために、要も拒むに拒めずその状況を受け入れることにした。

「やったね、要君! 初めてのお友達だよ!」

「……よろしくお願いします」

「…え、っと…こ、こちらこそ?」

 …それが、五十嵐要と二ノ宮椛の出会いだった。

 その後、要と千尋の祖父・源内にその腕を見込まれ、晴嵐流の修行を施された。同時に、千尋の天性の明るさにより、彼女を介してではあるが真に親しい友人ができ、今度はガキ大将ではなく、集団のまとめ役となった。

 力ではなく、和で。

 ただ、力を振るうべき時には、全力を。

 それが、最初の友人である要から教わった数少ないものだった。


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