『無能』の所以
一・二限は室内講義だったが、三限は場所を移されていた。
晩春と初夏の狭間、吹き抜ける風は徐々に暖かくなり始め、つい二か月前は桃色に染まっていた木々は新緑へと移り変わり、夏の到来を告げ始めていた。
照りつける太陽の下、武人科一年五組の面々は小校庭に集合していた。
生徒たちは何列かに並べられ、その視線の先にはあからさまな『的』が設置されていた。
それぞれの手には小型の銃が握られており、全体がまだかまだかと興奮を抑えきれない様子で教師の到着を待っていた。
銃といっても中に装填されているのは殺傷能力を極力抑えられたゴム弾であって実弾ではないのだが、そこはやはり本格的な訓練になりつつあることを喜んでいるのだろう。
入学後の二ヶ月間は徹底的に基礎体力をつけるための訓練であり、ただひたすらに下地を整える地味なトレーニングの繰り返しの日々だったのだ。
大和で数少ない釼甲を専門的に扱う学園とはいえ、武人科卒業生全員が釼甲を纏って戦う、というわけではない。むしろ釼甲を纏う…つまりは大和国衛軍などに所属できる人間は極めて少数であり、年に十数人輩出出来れば上出来である…それほどまでに狭い門である。その争いに敗れた人間は学園で培った経験を活かして要人警護・警邏(警察)などの職に就くことが多い。
しかし、そんな職業に就いた卒業生も、ここ数十年起こってはいないが、有事の際には防衛力として駆り出されることがある。これはそのために備えた訓練であると言っても過言ではない。
そのため、今回のような実践的になりつつある訓練に対して多くの生徒が期待に胸を膨らませていた。
一部…というよりも一人を除いて…
「待たせたな! それではこれより射撃訓練を開始する!」
始業時刻より僅かに遅れて、校舎からいかにも教官といった風貌の男教師が現れた。
生徒の中には遅れたことを咎めるような視線を送っている者もいたが、大半はそんなことよりもすぐにでも練習をさせてくれ、と意気揚々としている者だった。
「昨今の戦闘において、佐々木教官の講義を聞いていれば分かると思うが、徐々にではあるが遠距離からの攻防戦へと移りつつある! 俺はお前たちに基礎的な射撃技術をこの一年で叩き込む! 覚悟は良いな!」
このような水無月の太陽に負けぬ熱い宣言から本格的な射撃訓練が始まった。
最初は大まかな基礎知識・動作を教え込むが、十数分後にはすでに順々に「実際に撃つ」練習をし始めていた。
火薬の爆ぜる音が断続的に響く。
半分以上は教官の予想以上の命中率を上げており、所々で感嘆の声があがっていた。
その中でも抜きん出た成果を上げているのは当然というべきだろうか、獅童龍一だった。
シングルハンドで針の穴に通すほどの正確さで悉く的の中心を打ち抜いていた。
それも数発程度ではなく、数十という数だ。
一発の弾丸も外さないその精度は、今まで数多くの生徒を見てきた教官をも驚かせた。
「…さすがは今世代の天才だな! お前たちも獅童に負けないよう努力を…!」
と、ほかの生徒に対して激励の言葉を挙げようとしたところで、突如発砲とは異なる爆発音が響いた。
何かと思って全員が音のした方向へと視線を向けると半ば予想通りの光景があった。
「…そこの…お前……!」
「…なんでしょうか?」
教官は怒りを抑えたような低い声をひねり出していたが、当の本人は何事もないような平然とした様子でそこに立っていた。
手に握られているのは、暴発によって原型を留めることができなくなった拳銃だった。
要の周辺には金属片が飛び散っていたが、幸いにも他の誰かに当たるような事は無かったのか、誰も痛みに声を上げるような事態は免れた様だった。
「何をどうすれば学園側で充分に管理されていた銃が暴発するなんて事が起こる!」
「自分は銃火器の類を触れば、問答無用で破壊してしまう性質があるようで…」
「そんな馬鹿げた話があるか! どうせ俺の話を全く理解できずに適当に弄っていたら壊したってところだろう!」
至極真面目な顔をしてふざけた言い訳のような事を言うと、教官は堪忍袋の尾が切れたのか肩をいからせながら要へと近寄っていった。
そんな鬼気迫るような教官に一切臆することなく、要はその場に静かに立っていた。
二人の距離が互いの手が届くところになると、教官は何の前触れも無く拳を大きく振り上げてそのまま要の顔面へと叩き込んだ。
「お前、名前は!?」
「……五十嵐です」
立ったまま胸倉をつかまれて激しく揺さぶられながらも何とか声を出すことが出来るが、その名前を聞いた教官はようやくこの男が『そうである』事を理解した。
「…成程、佐々木教諭の推薦で転入してきた『釼甲を扱えない武人』はお前のことか!」
吐き捨てるように言うと、胸倉を掴んでいた手を突然離して突き放した。
「……っと…!」
教官は少し体勢を崩したがすぐに立て直して要の顔を指差した。
「良いか。今後俺は一切お前の面倒は見ない! 勝手に周りの協力でも仰いでいろ、佐々木教諭の推薦だとすればそれぐらいは出来て当然だろうからな!」
「…分かりまし…」
「…んん?」
要が返事をしようとしたところで、教官は別の場所へと視線が向かっていた。
その先では何発もの弾丸を撃ちながらも全く的に当たらない生徒がいた。
彼の周囲では他の生徒が嘲笑を浮かべており、そのプレッシャーに耐え切れず更に緊張して的を外すという悪循環に陥っていた。
「貴様! この程度の距離で当てることができないとは何事か!」
「ヒッ…!?」
教官の怒鳴り声で体を竦ませた男子は怖々と顔を向けた。
先程の要への体罰が余程印象に残っているのだろう、教官に睨まれた彼は蛇に睨まれた蛙のように体を強ばらせた。
「お前も五十嵐のように一発叩き込めば…!」
要の時同様拳を大きく振り上げて彼に叩き込もうとした。
少年は教官の握りこぶしを見て顔を守るように両手で壁をつくり、顔を背けた。
が、その拳は彼に届くことは無かった。
「教官。申し訳ないが、現在は自分に対しての罰の最中だ。それが終わるまでは他の事に気を散らさないようお願いしたい」
衝撃がこない事をその男子が不思議に思ってゆっくりと目を開けると、五十嵐要が教官の一撃を平然と手の平で受け止めていた。
当事者である二人は何が起こったのか分からないといった表情を浮かべながら要の顔を見た。
相変わらずの無表情ではあるが、その瞳に静かな怒りが宿っているのが、睨まれた教官には嫌というほど感じられた。
「い、五十嵐…貴様…何時の間…」
教官が何かを言い切る前に、二人の近くで破裂音が響いた。
弾丸は教官の鼻を掠めながらも見事に立体映像標的へと命中した。
音のした方向へ三人が視線を向けると、今世代の天才・獅童龍一が感情のない表情で銃を構えていた。
人に当たりかけたにもかかわらず平然とした態度を取っている彼に対して、教官は得体のしれない恐怖に襲われざるを得なかった。
「失礼、外しました」
「し、獅童! お前がいる場所はここではないだろう!?」
「先程教官から、敵だと思った者には容赦無く引き金を引け、と教わったのでそれを実践したまでです。そして他にも被害が出ないよう距離を詰めようと思って実行した結果です」
動揺続きの教官に対して一向に平常な態度を保ち続ける龍一は、遠巻きに眺める生徒たちさえも黙り込むほどの恐ろしさを持っていた。
銃口を教官の眉間に向け直し、撃鉄を起こす。
その間僅か0.1秒。
シングルアクションの拳銃とはいえ、これだけの予備動作時間ならば素人のダブルアクションの拳銃にも速さ負けをすることはないだろう。
教官は腰に装備した銃を取り出す暇もなく、ただその場に立ちすくむのみだった。
「ゴム弾とはいえこの距離ならばかなりのダメージになるでしょうね。当たりどころが悪ければ二度と目覚めることができなくなることもありえますしね…」
「ヒッ…!?」
「かな…五十嵐の指導なら俺が請け負いますので、教官は他の生徒にでも『指導』でもしておいてください。腰が引けていてもそれぐらいは出来るでしょう?」
それだけ脅迫すると龍一は銃口で教官の額を突っついた。
それだけで脅しとしては充分だったのか、教官は足をもたつかせながらも獅童・五十嵐両名から大きく距離をとるように逃げ出していった。
「やれやれ。仮にも教えるべき人間が教えないというのは職務放棄にも程があるだろう…」
呆れたように気迫を緩めながら龍一は拳銃を仕舞った。
殴られそうになった生徒の方へ視線を向けるとそこには既に誰もおらず、少し顔を上げると覚束無い足取りで逃げ出している生徒が見えた。
「そして何の礼も無しに逃走、か…助けなかったほうが正解だったんじゃないのか?」
「思わず体が動いた。後悔も反省もしていない」
「そして一番損をする…か。相変わらず報われないな?」
手馴れた様子であるところから他の生徒にも、彼が訓練無しでも充分に通用することが感じられる。
「…しかし教官相手に脅しとは…いや、『いつも』どおりか…」
「今まではどれだけ暴言を吐こうとも黙ってはいたが、さすがに要相手に手を挙げられれば俺も黙ってはいないぞ」
「成程、これが男性同士の友情なのでございますね!」
「その通りだ」
横からの疑問に龍一は力強く断言した。
「…ところでアンジェはどうしてここにいるんだ?」
要の指摘通り、要と龍一の会話を見守るような立ち位置にアンジェはいた。
学生服とは異なる黒基調のメイド服はどこから見ても目立つものでありながらも恥ずかしがるような様子は一切なかった。
「あ」
要の言葉にアンジェは思い出したように手を叩いて、数秒の間固まった。
何かと思って待ってみると突然人が変わったかのように慌て始めたのだった。
「申し訳ございません! アンジェは要さんのケガを聞いて駆けつけたというのにも関わらず盗み聞きした挙句処置が遅れてしまいました!」
「落ち着けアンジェ。それにあれはどう見ても盗み聞いていない」
むしろ堂々とした立聞きで、参加している以上は会話として成立してもおかしくはない…そう思いながらも要は慌てているアンジェを落ち着かせようとした。
落ち着かせようと挙げた両手を見て、アンジェはようやく自分が呼ばれた理由を理解して手に提げていた救急箱を地面において広げた。
「要さん! すぐに応急処置をしますので座ってくださいませ!」
「…いや、この程度だったら大した痛みは…」
「そうだとしても少なくとも火傷や切り傷が有るかもしれません! すぐにでもお見せくださいませ!」
普段ののほほんとした雰囲気とは全く異なる気迫を持ったアンジェに逆らうことができず、要は大人しくその場に座って両手を差し出した。
すぐにアンジェはその手をとり、じっと眺めた。
「かすり傷は一の腕に小さいものが一つ…火傷は親指付近に両手に一つづつ…これぐらいならばアンジェでも何とか…!」
ケガを把握したアンジェは右脇に置いた救急箱から拳二つ分の大きさを持つ液体の入った瓶を取り出した。
要はアルコールか何かかと思ったが、蓋を開けても臭いらしきものが一切なかったので何かと思って見ていると、その液体を腕と手の傷に大胆に振り掛けた。
「おい、アルコールをそれだけかけるのはまずいんじゃ…!?」
「大丈夫でございます! これは単なる水です!」
「…水?」
「はい! アルコールはあくまで傷口周辺の雑菌細菌を殺すために使いますが、傷口に直接塗りこんでは傷を治す菌まで殺してしまうのです! 水ならば雑菌を洗い流すことだけが出来るので、簡単な傷にはアルコールよりむしろ水の方が最適なのです!」
説明しているうちにアンジェは手際よく応急処置を進めており、説明が終わる頃には既に包帯を巻き始めている時だった。
半ば大袈裟に巻かれている感じもしたが、アンジェの必死な表情を見ては要も断るに断れなかった。
「…これで大丈夫でございます!」
全ての処置が終わると、気が抜けたのかアンジェはいつもどおりの柔らかい笑みを浮かべた。
「…申し訳無いな、アンジェ」
「いえいえ、これくらいでしたらお茶の子さいさいでございます!」
「しかし暴発してから五分と経っていないのに…よく要が怪我したと分かったな?」
「あ、はい。それは…」
と情報源を言おうとしたところで突如アンジェが悲鳴をあげながら姿勢を崩した。
辛うじて倒れたりすることはなかったが、立つのも精一杯といった様子になっていた。
「か…体が重い…ですぅ…」
「だ、大丈夫か!?」
「な、何とか…」
アンジェは全身に重りを着けたような感覚に数秒襲われたが、それもすぐに収まり少し息を整えたあと、普段通りの姿勢へと戻った。
「…さっきの神技から判断すると、情報提供者の名前を出すな、っていうことかな?」
「そ、そのようでございますね…口止めされていたことをうっかり忘れておりました…」
「…気をつけておけよ? アンジェは一般人なのだから、真っ当に神技をぶつけられたらひとたまりもないだろうからな…」
「……私も神樂の皆様のように、お役に立てる力があればよかったのですが…」
消え入るようなアンジェのつぶやきに、二人は思わず黙ってしまった。
聞こえるか聞こえないかほどの小さな声だったが、その言葉は二人の心に深く突き刺さった。
理由の半分は、今の、気遣いが出来ていなかった発言に対する後悔。
もう半分の理由は、彼も一度アンジェのような気持ちになったことがあるゆえの同情。
そんな時に下手な慰めの言葉をかければ悪化することも重々承知していたため、要も龍一も言葉を慎重に選んでいたのだった。
だがそんな雰囲気もアンジェの言葉によって吹き飛ばされた。
「なのでアンジェはアンジェにできる精一杯のことで皆さんをお助けしたいと思います!」
先程見えた陰りが嘘だったかのように明るい笑顔を浮かべながら、アンジェは意気込んでいた。
すると突如校舎の方から鈍い大音が響いた。
生徒たちは何かと思って音のした方向へ顔を向けるが、別段煙が出ているといったような異常は起こってないということと、学内の教師に慌てた様子が無いということから三人は特に大した問題は無いと判断して会話に戻った。
「…校舎の方で何か有ったようなので、アンジェはお掃除に向かわせていただきます」
「……わかった。ただし、一人で解決できないようなことがあれば迷わず俺たちに相談してくれ。可能なことならばなんでも手伝うからな」
「右に同じ。無理して一人で背負うとろくなことにならないからな」
「お気遣い感謝いたします、要さんに獅童さん! それでは失礼致します!」
元気よく挨拶すると、さっそうと小校庭から立ち去っていった。
背中を見送っていると丁度三限終了の号令がかかっていた。
「…嫌な事を思い出したな」
「同感だ。だからといって目を背けるわけにはいかないだろうが…」
二人は揃って空を仰いだ。
雲の少ない、良く晴れた青い空だった。
対照的に二人の心には見えない陰りが生まれた。
何を思って、何を見ているのか。
二人以外に知る人間は居なかった。
「…要」
「何だ?」
しばらくの間が生まれたあと、龍一が先に口を開いた。
「…『あの時』の後悔を、絶対に俺は忘れない…もう、あんな無力感を味わうのは二度とゴメンだ」
「…そうだな、俺も同じことを思った…」
二人の決心は、誰に聞こえるというわけもなく、空へと消えていった。
「次は剣術の訓練に変わったんだったよな?」
「そうだな。確か今日は模擬戦を時間いっぱい、という話だったから…」
要は龍一の意図を察して軽く笑った。
同時に、龍一も釣られて笑った。
「それじゃあ、お相手お願いします、と…」
「よろしく頼む…」