風紀委員選抜試験《弐》
決闘場の上空、福原は焦りに焦っていた。
最初の一撃で沈めるつもりだったにもかかわらず、華麗に捌かれた上、さらにはまともに反撃を受けてしまったことが彼の余裕を根こそぎ奪い去っていたのだった。
『クソっ…! 蜥蜴丸、機体状況は!?』
《胸部甲鉄に中度の破損、今現在は騎行及び戦闘に一切の支障は無い》
『………今現在は?』
含みをもたせたような言い方に、聞き返さざるを得なかった。
《先の一撃をまともに喰らい過ぎた…ということじゃ。修復にも注意を払ってはおるが、もう一度同じところに喰らえば、一気に形勢は不利になるじゃろうな》
動揺している浩に対して、蜥蜴丸は容赦無く現状を叩きつけた。
『チクショウ! まさかあの一撃を流されるとは…!』
《だからあの御仁を侮るな、と言ったはずじゃ主。ともかく今は戦闘に集中せい!》
『チッ…煩いポンコツだ…! 言われなくても分かっているよ!』
蜥蜴丸なりの気遣い・忠告があったにも関わらず、自身を過信・過剰評価したがために起こった失敗だった事は、傍から見れば明白な事だった。
だが福原は自身の行動・考えを反省するでもなく、ただ思い通りにいかないことに対して舌打ちをした挙句忠告した蜥蜴丸に当り散らすという、子供にも劣る言動をした。
それでも、戦況は容赦無く流れる。
《…敵機 左前方 距離八千! 既に此方より上空を騎行しておる!》
『……何!?』
言われてその方向に視線を向ければ、確かに忌々しい漆黒の釼甲が福原より先を飛んでいた。その距離は徐々に離されていき、何時の間にか漆黒の釼甲は拳大の大きさにしか見えなかった。
すると突如要は方向を転換し、上昇途中の福原へと向かってきた。
《敵機接近! 衝突まで凡そ八秒!》
『来るか! 今度は押し負けねぇ!』
要が肩に鎧通しを載せるような構えに対し、福原は上段に構えた。
今までの仕合では、一度たりとも力負けをしたことの無い福原は、まともに太刀打ちし合えば打ち勝てる…そう思って一番慣れた構えで挑んだ。
『『勝負!』』
二人の声が重なった。
間合いに入った要に対して、浩は上方を摺り抜けるように騎行しながら、頭を狙った一撃を放つ。
それを妨げるように要も鎧通しを振り下ろした。
一般的に重量・間合い共に太刀の方が勝っている。
それを利用して白刃同士がぶつかりあった瞬間、全身の力を振り絞ってその防御の一撃を打ち破ろうとした。
『上段に構えた相手に対し上方に逃げるとは、何たる愚行か』
『!?』
突如響いた金声が、浩の全身を恐怖で震え上がらせた。
―次の瞬間、浩は衝撃によって体勢を大きく崩した。
『がはぁ!?』
《左肩部に軽度の損傷!》
擦れ違いざまに放った振り下ろしが、要の放った袈裟斬りによって太刀ごと押し返され、要は被撃せず、浩は浅いが一撃を貰って最初の交錯が終わった。
『な!? 俺が…打ち破られたのか?!』
絶対の自信をもって放った一撃を、いとも容易く切り払われて浩は驚きを隠せなかった。
『上方に避けるように騎行しながら振り下ろせば、太刀に充分な勢いは乗らない。上に構えられたら刃を避けるためには下方にくぐり抜けることが定石、すれ違いざまに一撃を叩き込むことが出来れば尚良し…空中近接戦闘においては基本中の基本だ』
金声で要の声が福原に伝えられる。
『加えて申せば、貴様は先程の交錯の際、一撃を確実に当てるため飛火の出力を落としたが、それは大きな間違いだ。充分な速力、勢いを維持できなければいくら鋭利・破壊的な武装を振るっても、釼甲の装甲を破ることは出来ない……故にこの両の技術を使いこなすことが必須だ』
口調が仕合前とは少し異なっていたが、福原にとってはそれよりも重要なことがあった。
『蜥蜴丸! さっきあいつが話したことは本当のことか!?』
《武人にとっては、知らねば恥、と言われても可笑しくはない》
『なら何でさっき言わなかった!』
《先程の言が全てじゃ。知らぬ主に難有り…どんなに優れた名甲とて、ずぶの素人が振るえば鈍同然であろう? それと同じこと!》
『…………!』
遠回しに自分の事を馬鹿にされたような言い方に浩は怒りを覚えたが、それよりもこの圧倒的に不利な状況を抜け出すことが浩にとっては先決だった。
《惚けている暇なんぞ無いぞ! 敵機は既に次の攻撃態勢に入っておる! 旋回して速力を取り戻せい!》
『……!』
命令されたような口調に更なる怒りを覚えながらも、正論であるために浩は何も言い返せなかった。腹には発散されることのない怒りだけが積もっていき、少しでも紛らわすように歯を食縛った。
輪を描くように大きく旋回すると、そこには既に蜥蜴丸の警告通り同じ構えをした漆黒が真っ直ぐに向かってきていた。
一切ぶれることのないその上段の構えは、長年戦場を渡り、戦い抜いた蜥蜴丸にとっては惚れ惚れとするほどの完成度だった。
『つ、次こそは…!』
だが、余裕を完全に失った浩は『上段に構えている→下方に逃げるようにくぐり抜けながら一撃を』という次の行動を考えることで精一杯だった。
頭を下げて要の下方を目掛けて騎行する。
だが初動があまりにも早すぎた。
いくら有効な手段とはいえ、判断できるほどの時間を与える速さで行動を起こしてしまえば、それなりの対処は出来てしまう。
そして、相手は臨機応変を常に欲求されてきた、実践経験のある軍人だ。
『―甘い―』
一瞬で上段から下段の構えへと移し、昇龍の如き切り上げを叩き込んだ。
予想外の…それも『いきなり』の行動に対処しきれなかった浩は為す術なくその一刀を受けざるを得なかった。
『がはぁ!』
再び衝突するも結果は先ほどとほとんど変わらなかった。
体を守るはずの釼甲が、衝撃で揺さぶられることによって浩は体のあちこちをぶつけ、少なからず感じる痛みに思わず声をあげた。
《左肩部に重度の損傷! これ以上の被撃は騎行と戦闘両方に甚大な支障が出る!》
『! …近距離で駄目ならば、手を変えるまでだ!』
怒気を含めた声で叫びながら、浩は旋回し、右腰に提げられた長銃砲の施条銃の銃口を漆黒の釼甲に向ける。
近づく釼甲にゆっくりと銃口を合わせる。
『…今だ!』
照準が漆黒の武者の脳天に合った瞬間に、浩は躊躇いなく引き金を引いた。
音速を超える弾丸が、爆音を引き連れて黒の脳天を撃ち抜かんと、飛ぶ。
だが、要は僅かに体をずらすだけで、難なくその弾丸を避けた。
『!? 弾丸を…そんな簡単に回避…!?』
『どれだけ弾が速かろうと、軌道は所詮一直線…銃口の向き、引き金を引く瞬間に注意すれば、必要最低限の動作で回避できる』
『……!? クソがぁあぁぁあ!!』
ついに耐え切れなくなった浩は、甚大な損傷を負った釼甲の中で喉が枯れんばかりの大声で吼えた。
「…まさか空中戦の基礎すら出来ていない奴が風紀委員って…本当に大丈夫かこの学園?」
「ほわぁぁ…要さん、もしかしなくても、かなり圧勝しているのでございますか?」
「これは…誰の目から見ても…明らか」
相変わらず感想が話されているのは、要の友人グループであり、周囲の生徒は先程まで要に対して様々な暴言を投げた手前、気まずそうに縮こまっていた。
「こちらの席、お借りしてもよろしいでしょうか?」
「ん?」
突然声のした方向に全員が顔を向ければ、見知らぬ女子生徒が柔らかな笑みを浮かべて尋ねてきていた。
全員が『彼女は誰だろうか?』といった疑問を表情に出していたのが分かったのか、少女は少しだけ申し訳無さそうにした。
「…もしかしてお邪魔でしたか?」
「いや、座りたいなら勝手に、と思っていただけだ。席を取っているわけでもないしな」
「それでは…」
龍一がそう言うとすぐに女子生徒はその席に腰をかけた。
一挙一動が様になっており、同じ女子の目から見ても彼女は御伽噺に現れる姫のように写った。
そのすこしだけウェーブのかかった長髪をかきあげる仕草も、どこか幼さの残った目で二つの鋼の戦いを見る姿も、見るもの全員が絵画から出てきたのではないか、と疑ってしまうほどの美しさだった。
「…あれ、そういやあんたは先週の模擬戦で勝利した方の神樂じゃないか?」
「「「あ」」」
龍一が指摘すると、他の四人はようやく思い出したような声を上げた。
「あら、私のことを知っていましたか?」
「いや、何となく覚えていただけだ。雰囲気とか…名前は知らないが…」
「そ、そうだ! 佐々木教諭が言っていた風紀委員長では?」
「あぁ、そんな話もあったわね」
「はわぁあ…遠目でも美人さんであることはアンジェも知っておりましたが、近くでご覧になれば更に良くわかりますね!」
「………!」
間近で見る風紀委員長に五者五様の反応を示していた。
そんな反応を楽しんでいるかのように笑いながら彼女は口を開いた。
「それでは改めまして…天領学園風紀委員長を務めております、月島心と言います」
「御丁寧にどうも、俺は獅童龍一だ」
「に、二ノ宮椛、です」
「御影よ。よろしく」
「…首藤遥」
「えーっと…アンジェリーク・真白・スプリングスノーと申します! 長いのでアンジェとお呼びくださいませ!」
「ありがとうございます。ですが立場や年齢は、最低限の礼儀さえ守ってくれれば気にしなくても大丈夫ですよ?」
「諒解…それで、なんでわざわざ委員長さんがこんなところにまで来たんだ?」
ためらう様子も無く、龍一は心に問い掛けた。
椛は内心『ストレート過ぎる』と思いながらも、自身が気になっていることでもあるので、心の中で冷や汗をかきながらも耳を傾けていた。
そんな龍一の堂々とした質問に対して、心も真っ直ぐに龍一たちの目を見て答えた。
「いえ、単純にここが一番楽しそうだったので、参加したいと思って来てしまいました」
「知り合いが仕合真っ只中なもので」
「…成程…」
心は空で戦う二人の武人を見上げた。
正確には、先程から圧倒している漆黒の武者の方に、視線が向いていた。
「さすが、というべきでしょうか? 福原君は学内でも上位に入る戦績を持つ武人ですが、そんな彼相手に新入生が圧倒している、というのは驚きですね」
「友人が褒められるのは嬉しいことだが、俺としてはあれ程度の武人が風紀委員所属で大丈夫かと疑いたくなるな」
「………」
容赦ない龍一の一言で心は黙り込んでしまった。
発言した本人は特に気にした様子もなく、心の様子を伺っていた。
(ちょ、ちょっと待て! さすがに委員の長相手に無礼すぎるだろう!?)
(ととと取り敢えず他の話題にアンジェが変えましょうか?!)
(そ、そうだな…ってここで変えたら露骨に怪しいのでは?)
その沈黙に椛とアンジェは急いでフォローをしようと相談していると、心はくすりと笑った。
「成程、確かに理解力のある人から見れば、彼は不安要素以外のなにものでもありませんね。事実私もそう思っていたので」
「俺だったらまっ先に追い払っているような奴だな。聞いたところ、要に喧嘩を吹っ掛けた理由が自分の彼女の言い分を鵜呑みにした、だからな」
「あら、その噂は初耳ですね?」
龍一の発言に、心は興味深そうに尋ねてきた。
「氾濫している情報を統合して導き出した俺の答えだ。その女子に少し話を聞きたかったんだが、今日この決闘場には来ていないみたいだ」
「そうですか…優秀なんですね、『大和非正規国衛軍少尉』さん?」
彼女の言葉に、一瞬龍一は沈黙した。
不気味なまでの静けさに覆われた決闘場には、上空で戦う二人の飛火が嫌というほど響いた。
「…失礼、あんたの名前を聞き間違えたみたいだ。もう一度自己紹介を頼めるか?」
「それは何度聞いても同じですよ? 月島心。しがない風紀委員長です…っと…福原の様子が少しおかしいですね?」
心の指摘に全員が空を見上げると、確かに様子のおかしい若竹の釼甲が有った。
《主、若竹の釼甲…蜥蜴丸から熱量の膨張を確認したぞ!》
「! 神技か!?」
正宗の分析結果に龍一は思わず立ち上がった。
「何っ…!? 神樂無しの白兵戦という話では無かったのか!?」
「この仕合…止めないと…!」
「要さんが大怪我をしてしまいます!」
「…委員長さん、あんたはこのことを知っていたのか?」
慌て出した女子陣に対して、龍一は至極冷静だった。だが、内心煮えくり返るような怒りを腹に納めていることは、声の低さで充分に分かる。
「いえ、全く…というより、この仕合自体福原君が勝手に用意したものだったので……ところで、先程までそこに座っていた編入生の子はどこに行ったのでしょうか?」
心の指差した先には、先程まで座って仕合を観戦していたはずの、御影の姿が無かった。