釼甲と神樂
「それではまず先週の復習から始めたいと思います。教科書は仕舞ってノートだけを出してください。あぁ、以前話していた通り手書きのメモであればそれを見るのも許可します」
佐々木傭兵教諭の言葉を聞いて、教室内にいる生徒のほとんどが不満げな声を上げた。
教室内では自分は出来ないなどの無意味なアピールを繰り広げあっていた。この辺は普通の学園と大差が無い。
基本、講義は共通履修科目のため神樂科の女子と武人科の男子が合同で講義を受けることになっている。日頃大した接点もないために、互いが互いに自分の存在をこれみよがしにアピールし合っている。
しかしその中で、特に目立った反応を示さなかった生徒が二人いた。
五十嵐要と二ノ宮椛。
実を言えば普段通りなのだが、この二人だけは教室の空気に全く馴染もうとしない。さらにどのような運命の悪戯があったのか分からないが、二人は席が隣同士なのだ。
そのためその席の周辺だけは他に比べて声が抑え気味だ。
加えて先の(一方的な)喧嘩も有ったために場の空気はいつも以上に重かった。
「お~い、要…」
そんな空気に全く臆することなく、要の左隣に座っていた男が話しかけた。
声のした方向には短髪を逆立てたような、イメージとしては獅子の鬣を思い浮かべるような髪型をした男が話しかけてきていた。
申し訳無さそうに合掌しながら頭を軽く下げていた。
ある程度話の内容は予想できていたようで、分かった顔をしながらも要はため息混じりに答えた。
「…何か忘れ物でもしたのか?」
「その通り。悪いがノートとメモ用紙…あとなんでも良いから筆記用具を貸してくれるか?」
「多いな」
「獅童…入学してからこれで何回目だ?」
話に聞き耳を立てていたのか、椛が要を間に挟んで問い掛けた。
「週に二回だから…これで九回目か」
「数えている余裕があれば改善するように努力をしろ」
呆れたように言葉を吐く椛に対して獅童はおどけたように手を広げた。
「努力はしているが、改善されていないだけだ」
「折角教育用記憶媒体があるのだからそれを利用すれば…」
「アナログ人間舐めるなよ? そんな物、入学して三日で破損したぜ」
「胸を張って言うべきことか! そして壊れたのならばさっさと修繕申請をするべきだろう!」
「使わないもののために手間暇をかけるような性格はしてないんでね」
悪びれもせず獅童は誇らしげに語った。その態度に苛立ちを覚えた椛は無意識的に席を立ち上がろうとしていた。
「どうでも良いのですが、人を挟んで口論をヒートアップさせるのは勘弁して頂きたい。何でしたら今すぐ自分と龍一の席を代わりますので、心ゆくまで二人で楽しんでください。佐々木教諭に見つかった場合は一切責任を取りませんが」
「うっ…!」
しかし二人の騒がしいやり取りに我慢しきれなかったのか、今朝方変えた他人行儀な態度で要は椛にそう言った。
これには椛も反論することができず、大人しく乗り出しかけた身を落とした。
対して獅童龍一はそんな椛の反応を見て楽しそうに小さく笑っていた。
そんな二人の様子に頭を押さえながら要はカバンの中から頼まれたものを全て出した。
大分使い古されたようなノートにページの所々が切り取られているメモ張、そして今時珍しいHBの鉛筆だった。
「これで大丈夫か」
「どうも。やっぱり実際に手に感触が残るというのが手書きの良さだよな?」
「しかし龍一ほどの頭脳があれば俺のノート無しでも充分抜き打ちに対応できるだろう?」
「そうでもないさ。佐々木教諭は授業中の雑談すら試験内容に出す、それを全部記入しているから、というのもあるが何といっても解りやすいからな」
「学年一位が何を言っている」
「いや、冗談抜きで…しかし一ヶ月で大分くたびれた上、既に残りページが五十枚ノートの内五って…それだけアンジェちゃんだったっけ? は頑張っているのか?」
「あぁ、教える側としてはあれだけのやる気を見せられればこちらもその努力に答えなければと思うほどだ」
「ほ~~…」
感心したように声を上げながら龍一はノートをざっと見ていた。
「しかし、それだけ熱心なのにノートはお前持ちなのか?」
「そのほうが仕事に集中できるからだそうだ。『自分で持っていては仕事をそっちのけで読み込んでしまう』かもしれない、と」
「成程、納得」
互いにそんな場面を想像できてしまったのか、二人は抑えた笑いをした。
「…と、ここか。というより既に次回以降の分も書いてあるのか…」
話しているうちに目的のページが見つかったのか、龍一は机の上にノートを大きく広げて置いた。
要も授業用のノートを広げて教壇の方へと視線を向けた。龍一に渡したものは授業用ノートを要流に(他の人向けに)まとめ直したものだ。
そのため彼の持ち物は他の人より何倍も多い。極論を言ってしまえば先程椛の言った教育用記憶媒体を持ち運びすればカバンすら必要ない。大半の生徒は媒体を使用しているので、毎日大きめのカバンを持ち運びしている要は『無能』の件を別にしても学園の中で浮いた存在だった。
この媒体は学園生用に個人個人に合わせて繊細な調整や配列の変更などが必要になってしまう。セキュリティ面に置いては盗難の心配などは一切ないが、代わりに全てがオリジナルという大量生産性が全くと言っていいほど無い。
要の場合は突然の転入だったために媒体の製造が間に合わず、このような時代遅れな方法でしか講義の内容を記録できない、という事情があった。
と言っても、要も龍一同様アナログ派であるため、製造が追いつかなった記録媒体を(幸い企画の段階だったので大きな被害は出なかった)断った。
「それではまず釼甲について…これはあえて神樂科の方に聞いてみましょうか」
予想外の質問対象に女子の方からは軽い不満の声が上がったが、反論しても覆ることは無いと判断したのだろうか、すぐに静かになった。
佐々木は一同を見回して誰を当てようかと考える。
そして運が良いのか悪いのか、目のあった女子へと声をかけた。
「それでは飯島さん。釼甲…いや君の場合はブレイドアーツと言った方が良いでしょうか…これの特徴を知っている限りで良いので、挙げてみてください」
「は、はい!?」
いきなりの指名に素頓狂な声を上げながら、先程要に暴言を吐いた女子が勢い良く立ち上がった。
「え、えーと…釼甲は現在この世界における最大の装備で…そ、装甲することによってその男性の戦闘力を大幅に上げることのできる鎧…です…?」
「最後が疑問形なのはあえて無視します…補足すれば釼甲を持つ人間は自然治癒においても優れるようになります…それでは、その装甲する人間は総称して何と呼ぶかは?」
「…武人です」
「正解です。座って大丈夫ですよ」
佐々木がそう言うとすかさず飯島は腰を下ろした。同時に胸をなで下ろした。隣では紫亜が深く息を吐いた彼女を労っていた。
「それではもう少し詳しい内容を尋ねたいので…二ノ宮さん、知っている限りで良いのでお願いできますか?」
「分かりました」
飯島可怜とは全くの対照的に、指名された二ノ宮椛は堂々とした態度で立ち上がった。
場の雰囲気に呑まれるような様子は一切なく、むしろ彼女が立ち上がったことによって塗り替えられるような感覚にでも襲われる。
「釼甲は各国によってその特徴が顕著で、この大和において言えば銃火器が主流となった現在でさえも和刀を装備した釼甲がほとんどです…使われないことがほとんどではありますが…」
「…ふむ」
「最大の特徴はこれが『男性』にしか扱えない、ということです。更に全身装甲できる人間は珍しく、適性があれば最優先でこの学園への入学が確約されます」
身に覚えのある生徒もいるためか、小さくではあるが自身がいつごろ適性が判明したかの雑談が生じた。
だがそれもすぐに佐々木の咳払いによって再び沈黙した。
「それでは、何故そのような優れた点を持ちながらも男尊女卑の世界になっていないことについては…大谷くん、お願いします」
「すいません、先週は講義中ずっと寝ていました!」
「はい、潔くてよろしい。褒美といってはなんですが小校庭を十周してきてください」
満面の笑みを浮かべながらも背後には阿修羅の気迫を見せつけながら佐々木は言った。
さすがに教師でかつ武人であるこの男に不満不平を言う勇気は無かったのか、大谷は命令と同時に教室から勢い良く飛び出していった。
「…講義内容を聞いていなくても少し考えればすぐにわかる常識問題だったのですが…まぁ放っておきますか」
「……相変わらず容赦ないな、教諭は…確か小校庭って…」
「一周八百メートルだったな。十周だから八キロか」
「決闘場外周でないだけましか…百キロ以上は昼までに走り終わらないだろうからな…」
「それでは気を取り直して…そこで話している獅童くん」
「諒解」
ここで学年一位の男が指名されたことによって教室内は少しの喧騒に覆われた。
入学時の試験では天領学園創設以来の最高点を叩き出し、更には実践形式の試験では唯一試験官を気絶させた男だった。試験官も全員、大和の防衛軍事組織『大和国衛軍』に軍兵として所属した事のある人間であるにも関わらず、実践試験開始二分で完膚なきまでに、それも文句無しになるまで叩きのめしたのだった。
文武両道を体現させたような男で、そのことを鼻に掛ける訳でもなく、人当たりも良いので学年内では全生徒に信頼が置かれていた。
…五十嵐要が編入するまでは。
要の編入以降、突如として彼は『無能』である要と親しく接するようになり、それまでの交友関係をほぼ全て叩き壊すかの様に他の生徒との付き合いを絶った。
何が原因であるかは、一切知られていない。
それこそ一時期は『脅迫』などの噂が上がっていたが、龍一が要に接するときの態度は、今まで誰にも見せたことが無いほど明るく自然であり、それまでの表情は全て偽りだったと疑ってしまうほどの物だった。
堂々とした態度のまま、龍一は返答を始めた。
「男性は釼甲を装甲出来ることに対して、女性は『神技』を扱える、ということです」
「続けてください」
「男性は練造もしくは鋳造した…前者を業物、後者を数物と呼ぶ釼甲を装甲することが出来るようになって始めて武人・仕手と成り得るのに対して、女性は先天的もしくは後天的に超常的な現象を操作できる『神技』を身に付けています。加えて武人は釼甲なしではただの人であることに対し、神樂は自身の制御の下自由に神技を扱える…これが理由です」
「それでは、神技を扱える女性のことを総称して何と呼ぶかは?」
「『神樂』です」
「よろしい。座って良いですよ」
佐々木の許可を得ると龍一は要に感謝の意を表しながら座った。
要は大して気にしない様子で自分のノートで前回の授業の復習をしていた。
「それでは復習はこの程度にして次の範囲へと進みます。今回は釼甲と神樂について話していこうと思っています…ではスクリーンに注目してください」
言葉に従うと画面に大きな画像が映し出された。
そこには武人科の生徒にとってはある程度見慣れたものが複数の形態で映っていた。
「知っている人も多いとは思いますが、今映し出されているものは現在大和国衛軍の主流釼甲である丙竜の戦闘形態と自律形態です」
画面右側には人の形をした装甲が、左側には鋼で出来た犬が投影されていた。
「釼甲は戦闘形態では操縦者…仕手の身体能力を大幅に上昇させるという機能が備わっています。そして…この丙竜の場合は二つの飛火の推進力と疾駆の揚力を利用することによって空中戦を展開する事が可能です」
釼甲の背面部が映し出されると、背筋を中心線にして左右対照に飛火と羽のような疾駆が装備されていた。
補足すれば、飛火の推進力と疾駆による揚力を利用した釼甲の飛行を『騎行』と呼ぶ。
「対して自律形態ではその名の通り自律行動をすることが可能ですが、それに加えて仕手の命令に従順に従い情報収集をするなど、仕手の命令次第で可能なことがかなり増えます」
「自律行動…ということは、釼甲は人間のような知恵がある生物ということですか?」
疑問に思った男子が手を高く上げて問い掛けた。
「知恵…と言えばそうなのかもしれませんが、少し生物とは違いますね」
佐々木は質問に対して丁寧に受け答えた。
「釼甲は業物・数物問わず人工知能が備え付けられており、基本は事前に鍛冶師が用意した行動を臨機応変に実行しています。そして仕手の命令を人工知能で解釈することによって仕手の助けとなります…この説明で納得できましたか?」
確認すると、大丈夫だったようで、質問した男子は頷いて席に着いた。
その反応に満足した佐々木は他にも質問がないか見回してから講義に戻った。
「釼甲に関しては一旦ここで止めて…次は神樂の説明に移りたいと思います」
声と共に画面が変わったが、今度は画像ではなく単純な文字の羅列が映し出された。
所々赤文字で強調されており、その中には聞きなれた単語も幾つか載っていた。
「神樂…大英帝国周辺ではプリーストと呼ばれていますが…彼女たちは本来人間では到達できない超常現象「神技」を扱うことができる、ということは前回の講義で話したと思います」
一同は揃って頷いた。
「神樂の名前の由来を話しておくと、神代の女性が神々の怒りを鎮めるために奉納の舞をしている最中に突如として炎を扱えるようになり、それを混じえた舞を納めるとたちまち災害が起こらなくなった…という神樂舞伝説から来ています…脱線すると長くなりそうなので、聞きたい方は昼休みや放課後に個人的に来てください」
生徒の大半が知らなかったのか、所々で感嘆の声が挙がっていた。
椛も似たような反応をしていたが、ふと横を見れば要も龍一も大した驚きなく黙々と佐々木の言葉を書き出していた。
その様子を見て椛は慌てて取り繕ったように表情を戻したが、二人はそんなことを微塵にも気にした様子はなかった。
「話を戻して…ここからが今日の大事な話になりますので、聞き逃さないよう充分に耳を傾けてください」
一つ前置きをすると、教室は先程の喧騒が嘘のように静まり返った。
所々で息を飲む音が聞こえそうな静寂の中、佐々木は静かに語り始めた。
「本来ならば互いに力を持った人類は男と女に別れて戦争をしていてもおかしくはありませんでした…というよりも大和書紀には男女の諍いがそれこそ戦争規模で行われていたという記述もありますが…今の貴方たち、そして歴代の武人と神樂で…男と女に別れて争った、ということを少しでも聞いた人はいますか?」
佐々木の問い掛けに対して、一同は揃って首を横に振った。
「では、そのことに関しては…五十嵐君、お願いできますか?」
「……諒解」
佐々木に指名された要は不承不承といった様子ではあったが素直にしたがって席を立った。要は男子の中でも背が高いうえに体格も良い方に分類されるので、かなり目立った。
周囲は陰口を叩いているのか、少しだけ騒がしくなったが、佐々木が睨みを効かせると再び構内は沈黙に包まれた。
「その理由は、武人の釼甲と神樂が融合…主に『封神』と呼ばれているこれをすることによって、本来の釼甲の能力に超常現象を扱う神技が『増幅して』備えられるからです」
「…知っている限りで良いので、歴史面で続けてください」
佐々木が要を促すと、静かに頷いた。
「先に常人の域を超える能力を持つようになった神樂は、大和書紀によれば自分たち女性の権力を強めるための争いをしばしば男性に対して起こしては勝利を続けていましたが、そんな神樂を凌駕する存在が現れました……これについて詳しい記述はどのような書にも記載されていないため割愛させていただきますが、その存在によって両性は大和を守るために手を組みますが、それでも凌ぐことが精一杯、という状況に陥りました」
…ここまでの話を充分に聞いている人間は一割にも満たない。
残りの九割は『無能』が話している、という理由だけでまともに聞いておらず、良くて今までの講義内容を思い出しながら端末に記録、悪くて船を漕ぎ始めているという状態だった。
だがそれでも要は気にすることなく話を続ける。
「大和の場合は、そこで何の奇跡か、天から五つの鎧が…後に『神代五釼』と謳われる天叢雲・十拳・草薙・天之瓊矛・天羽々矢の五領の釼甲がさずけられました。現在ではどれも大和の有名大社に奉じられたか行方不明と、とにかく一般人には触れられない状態ではありますが、これにより男性が戦う力を得ると同時に『神樂と融合』することによって莫大な力を得、その驚異となった存在を追い払うことに成功し、以後武人と神樂は協力関係にあり、大和各州での争い、世界との対立は有りましたが、男女での争いが起こることはありませんでした。他国にも似た伝説は残っておりますが、自分が知っていることはここまでです」
話し終わると、要は佐々木の了解を得ずにそのまま黙って着席した。
「ありがとうございます…と、今五十嵐君の話した内容の一部を試験に出しますので悪しからず」
その発言に話をまともに聞いていなかった生徒たちは反発の声を上げそうになったが、それを佐々木は一喝して鎮めた。
「確かに私はあなた方の入学時に、講義・訓練は参加することに意義がある、と言いました。が、今声を上げた生徒は、出席はしているが参加は一切していない、というのが私の判断です。これに対して反論があれば今すぐどうぞ」
次の瞬間、講堂は不気味な静けさに覆われた。
誰一人としてこれを論破出来る生徒はこの場に居なかった。
五十嵐・獅童・二ノ宮の三名は、別段気にする様子も無く、自身の記録に努めていた。
「…では続けますが…実を言ってしまえば私が今日話そうとしたことはほとんど五十嵐君が話してしまったので…補足程度に幾つか…大和では『神代五釼』という現在の業物を超える釼甲がありましたが、異国にも同様に『国守の釼』となるものが存在しました。大英帝国では『円卓十二釼』、印度では『神武錬剣』…これは大和の字に当て嵌めているため本来は違う読み方ですが…今回はそんな伝説は大和だけに存在するものではない、ということを理解していただければ結構です」
残り時間を一度だけ確認して、佐々木は話を続ける。
「現在では『国守の釼』を元に練造したものを『業物』、大量生産性に重点を置いて鋳造したものを『数物』と呼びます…ここまでで質問は?」
佐々木が生徒に問いかけると間も無く一人の生徒が手を挙げた。
「佐々木先生の釼甲の銘を教えてください」
「私の…ですか? 『隼風』…と言ってもあまり有名ではない釼甲なので…そしてこれ以上の話は手の内を明かしてしまうことになるので話せませんね…他には…無い様なので…」
話が終わったのか、佐々木が教壇の機械を幾つか操作するとスクリーンはゆっくりと上がっていった。
「それでは、今日の釼甲基礎理論はここまでにします」
その声と同時に一限の講義終了の合図が鳴った。