脱出劇
……精神操作の神技を持つ神樂が敗れた。
それを確認したと同時に、紅蓮はとある場所に向かって全速力で駆けていた。
崩壊の具合から時間もそれほど残されていない。急がなければ、一番守りたかったものが岩盤の下敷きになるのは間違いないだろう。
(……間に合ってくれ!)
心の中で必死に願いながら、全速力で駆ける。
最高速に達しながらも、甲はそれがあまりにも遅く感じられた。
もっと速く。
一秒でも速く。
一瞬でも速く。
「ちょ、ちょっと……何でこんな事になってるの!?」
目的地に着く寸前、聞き覚えのある声が届いた。
二年間、一度も聞けなかった声が。
《……! 主、渚砂の異常が……!》
『そんなことは分かっている!』
気が逸っているためか、甲は乱雑にそう答えた。
勢いをそのままに、紅蓮は目的地を阻む壁を殴り、最短距離で到着した。
『無事か、渚砂!』
「……って、え? この声は……甲!?」
大音と共に現れた紅蓮の姿を見て、檻の中に閉じ込められた少女・瀬戸口渚砂は驚いたような声を上げた。
落ちてきた石礫のせいで短い髪や服は汚れているが、大きな怪我は辛うじて避けていたようで、二年間意識を奪われていたとは思えないほど気力に満ちていた。
「え? な、何でこんなところに甲が……」
『詳しい話は後だ! 今はとにかくここを脱出するぞ!』
切羽詰った様子で紅蓮は二人を阻む甲鉄の柵に手をかけ、力任せでこじ開けようとした。
『……なっ……!?』
しかし、それは釼甲によって強化された武人の腕力をもってしても、微塵も揺らぐ様子がなかった。諦めずに殴り壊そうと試みるも、結果は同じで、柵は精々傷がつく程度で終わった。
『……畜生、ここまで来て……!』
「こ、甲は早く逃げて! このままじゃ瓦礫の下敷きに……」
『ふざけるな!』
逃がそうと懸命に声を上げた渚砂は、甲の一喝で身体を震わせた。
『誰のために二年間も機会を窺っていたと思っているんだ!? ここでお前を見捨てたら、俺のやってきたことが全て無駄になっちまう……この程度の事で諦めてたまるかよ!』
『片倉甲とそこの女子、その檻から離れろ!』
叫びに近い声を上げた瞬間、紅蓮の後方から声が聞こえた。
その声が誰のものか分かった瞬間、甲は無意識のうちにその場から飛び退いていた。
……不覚にも。
この男がいると分かって、甲は安堵を覚えていた。
《磁気収斂》
『電磁抜刀―轟―』
轟音と共に漆黒の太刀は音速を越える速度で抜刀され、紅蓮と少女を隔てる檻を容易に切り裂いた。
両断された金属棒のうち何本かを、後ろから現れた漆黒が梃子の原理を利用して折り、人一人が通れるような穴を作った。
『……な、なぎ……』
甲が声を震わせながら言い切るよりも先に、渚砂が彼に飛び付いていた。
「……ゴメン、やっぱり怖かったみたい」
言葉は真実なのだろう、彼女の足は生まれたての仔鹿のように震え、先程まで無理矢理気丈に振舞っていたということは明らかだった。
『……積もる話は後だ。今はここから逃げ出す……』
《……! 主、止まれ!》
紅蓮が彼女の身体を抱え、来た道を返そうとした瞬間だった。
虎徹が必死な声で訴えた直後、人の五、六倍はあろう巨大な岩が突如通路を塞ぎ、四人の逃げ道をふさいだのだった。
危うくその岩の下敷きになるところだったが、紅蓮は踏みとどまることで紙一重で避けることができた。が、状況はひどくなった、としか言いようがなかった。
唯一外と繋がる道は閉ざされ、人を閉じ込める目的で存在する牢は、当然のごとく拠点の地下深くにある。逃げ道を失った今、四人は通常の手段で抜け出すことが不可能になったのだった。
《……要、電磁抜刀で上を……!》
『無理だ、ここは野太刀を振るうにはあまりにも狭すぎる!』
さすがの要も、現状には焦りを見せ、鬼気迫る様子が二人の目にも見て取れた。
……充分な威力が無ければ、攻撃を地上まで届かせることが出来ず、むしろ崩壊を促進して死を早めることになる。それを察した要の行動は、間違ってはいないが、脱出にはたどり着けない。
『……虎徹、渚砂を封神!』
《承知!》
そんな中、紅蓮の声が響くと同時、渚砂は紅蓮の装甲に封神された。
『……目覚めてすぐで悪いが、一仕事してもらうぞ!』
《分かってるよ。助けてもらった恩も早めに返しておきたいからね!》
『それでこそ渚砂だ!』
彼女の了承を得た紅蓮は、拳を構えて天へと身体を向けた。
直後、莫大な熱量が紅蓮を中心に渦巻き、赤の装甲が熱されてさらに赤く染まった。
《……!? 異常な熱量反応を確認……要、気を付け……》
『御影、片倉の行動後に騎行を開始する。覚悟を決めておけ』
御影が攻撃への警戒をするよう呼びかけようとしたが、紅蓮の意図を察した要は彼女に準備を促した。
『富嶽流合戦武法―“喜撰”が崩し―』
大きく捻られた身体を弾機に、右腕が唸る。
『紅蓮閃―“宴”―』
直後、紅蓮の正拳突きが放たれた。