二人目の編入生《壱》
「おはようございます、要さんに二ノ宮さん!」
学園の校舎に向かっている最中、校門で相変わらずのメイド服で生徒に挨拶をしていたアンジェに三人は捕まった。
「おはよう。アンジェは相変わらず元気だな…」
「そして変わらないメイド服…か…」
「はい、それがアンジェの魅力でございますので!」
「元気なのもメイド服なのも良いが俺のことを忘れてないか? 俺だけ名前を呼ばれなかったんだが?」
要と椛の後ろで龍一がアンジェに尋ねると、彼女は思い出したように手を叩いて口を開いた。
「要さんの彼氏さんですね!」
「「断じて違う!」」
アンジェのボケに対して男二人は容赦無く否定した。
息がぴったり合ったコンビネーションは女子二人を笑わせるには充分な威力だったようで、椛とアンジェは顔を背けて笑っていた。
「よし、アンジェのボケは今日も問題なしだな!」
「はい! 毎朝このやりとりのために、アンジェは日々掃除係の方々や食堂の皆様のご意見を参考にしていますので!」
「その努力をもう少し英語に回してくれると教えている身としては助かるのだが…」
少しだけ呆れたように要がつぶやくとアンジェは慌てて謝った。
「ももも申し訳ありません、要さん! しかし英語だけはどうしてもチンプンカンプンでございまして!」
「自分の生まれ育った故郷の言語が分からないというのも珍しい話だな…」
アンジェリーク・真白・スプリングスノー。
名前通りの白い肌と髪を持ち、自身がプリースト(大和における神樂)でないのにも関わらず、その人当たりの良さで誰とでも交友関係を持てる人懐っこい少女である。
大英帝国で生まれ育ち、天領学園の入学式に合わせてこの学園で『主無し』のメイドとして働き出している。
家のことについてはあまり語らない為、何故わざわざ大和にまで訪れているのかは一切不明だが、判明している理由のひとつとしては『自分が仕えたい主を探している』ということだ。
そんな要の疑問は露知らず、アンジェは焦りながらも必死に言葉を探している様子だった。
「そ…そもそも英語は文法がアンジェには複雑すぎるのでございます! 過去形は分かっても過去分詞なんてどんな時に使えばよろしいのか全く分からないのでございます!」
「…それは、まぁ否定はしないが…それでもアンジェは大和語が流暢だろう。それこそそこらで言葉を乱している生徒よりは、な」
「好きこそものの上手なれ! でございますので!」
「……興味の持ちかた、ということか…」
豊満な胸を張りつつ自信満々に答えるアンジェに、今後の勉強法を考え、頭を押さえている要。要の苦労性が垣間見えた。
話を聞いて思い出したのか、椛は話題を変えて尋ねてきた。
「そういえば噂に聞いたことがあるのだが…アンジェは要に授業の内容を教えてもらっている、というのは本当か?」
「はい! 要先生のおかげで三ヶ月分の授業を一ヶ月で受けさせて頂いているのでございます! 残念ながら昨日は少々用事があって受けることはできませんでしたが…」
「だから先生と呼ぶのは勘弁してくれと…」
「済まない…本来ならば私が教えていてもよかったはずなのだが…」
「でも教育用記憶媒体は本人以外閲覧禁止だったから、結局二ノ宮ではアンジェに教えられなかったぞ?」
「…そうなのか?」
「意外と二ノ宮は話を聴かないタイプか…記憶媒体は他にも模倣不可にしてたりと、案外セキュリティが厳しいんだ。だから要がノートを取っていた、と言えばわかるか?」
「………………………そこまで深い考えがあったわけではないのだが…」
「いや、その間で要が否定していないことがよくわかった…済まない、私がもっとアンジェに気をかけてやれれば…」
「いいえ、椛さんが気に病む必要はございません。それにアンジェは合法的に男子寮に入ることができて、更には本当なら受けられない授業を受けられて、毎日がワクワクでございます!」
そう…本来ならば学園生…もしくは留学生ということで入学していた筈らしいが、英帝語の試験が壊滅的であった事と神技を扱えないということを理由に不合格になってしまってはいたが、佐々木の特別措置のおかげで『学園で奉仕する』ことと『教師から指導を受けない』という条件付きではあるが学園で学ぶことを許されている。
と言っても、冒頭で要が暴力を振るわれていたように、この世界は、決して力無き人間に甘くはない。それこそ男では武人の素質が無いだけで、女は神楽の素質が無いだけで暗黙の了解的に差別の対象になる。
力ある者は踏みにじる。
力無き者は蹂躙される。
それでもアンジェが今日まで無事に過ごしてこられたのは自身の社交性の高さによるものだが、要がこの学園に転入するまでは誰一人として彼女に教えようとするものは居なかった。
教えれば、役たたずに手を差しのべる同類だと看なされるからだ。
大衆を取るか、個人を取るかで尋ねられれば、恐らく大半は大衆に見捨てられることを恐れて個人を捨てるだろう。
凡人とは、常にそういう存在である。
どんな時代でも、どんな世界でも、それだけは不動の理である。
幸い、要は凡人で有りすぎた故に、既に大衆に見放されていたため、彼女と接触することは何の抵抗もなかった。
そして、彼女が学びたいという意志を示せばすぐにそれに応じるように講義内容を事細かに記述し、彼女の時間がある時に自分の時間を削って指導していたのだった。
「しかし時間があったからとはいえ、三倍の密度で講義内容を教えたのは少し厳しかったか…? 飲み込みが速いからついペースを上げてしまったが…」
「全然問題ありません! むしろアンジェはバッチ来いでございます!」
「それなら良かったが…」
「しかし残念ながらそんなアンジェちゃんに悲しいお知らせがあります」
意気込むアンジェに対して龍一が少し俯き加減に口を開いた。
「な…何かあったのでございましょうか?」
あまりの龍一の真剣さ…に、アンジェは息を飲む。
焦らすように間を空けて、ようやく口を開いた。
「なんと、アンジェちゃんの努力のせいで、アンジェちゃんはもうすぐ俺たちの講義に追い付いてしまいます!」
「な、何ということでございましょうか!?」
大げさに腕を広げながら告げられた言葉に衝撃を受けたアンジェは本気で落ち込んでしまっていた。
「そ、そんな…それではこれからアンジェは今までのような濃密な夜は過ごせないのでしょうか!?」
「誤解を招くような言い回しは止めてくれ、アンジェ。そして龍一も変なふうに煽るな、椛も、だ。龍一の発言の半分は冗談だと思うぐらいで無ければ持たないぞ?」
「いや~アンジェちゃんがどんな反応をするかが気になってつい…」
「ののの…のう…濃密!?」
今にも膝をつきそうなアンジェに対して、龍一は特に悪びれた様子もなく笑っていた。傍から聞いていた椛は少し顔を赤くして言葉を失っていた。要の声は届いていない様子だった。
周囲は何事かと少しだけ野次馬が出来かけたが、その原因が要だと知るとすぐに興味を失ったように去っていった。
「アンジェ、確かに龍一が話したことは事実だが、アンジェが望めば他の雑学知識や指導要領外の内容をやっても俺は全く構わないのだが…」
「ほ、本当でございますか!?」
急に元気が出たのか、アンジェは勢い良く顔を上げた。
その表情はいつもより明るく、非常に嬉しそうな満面の笑顔だった。
「あぁ本当だ。と言っても俺の得意分野…物理学と国史、世界史の雑学程度しか教えられないが…」
「いえ、全く問題ありません! むしろ先程も仰ったようにアンジェはバッチ来いなので!」
「よし、それならまずは英語と露帝語を今までの五倍に…」
「我侭で申し訳ありませんが…出来れば語学を外していただけると嬉しいのですが…」
「安心しろ、冗談だ」
「もう…要さんは時々意地悪でございます」
少しすねたように頬を膨らませながら、そんなことをつぶやいたが、それもすぐにもとに戻った。
「それでは、ここで長々とお話していると、皆様が講義に遅れてしまうので、アンジェは失礼させていただきます!」
「…と、そんな時間か…それじゃあ要、俺は先に行っているぞ!」
「私も早朝から佐々木教諭に目を付けられたくないのでもう行くぞ」
椛と龍一はそう言ってすぐに校舎に向かって駆け出していった。
それに遅れないように駆け出そうとしたところで、要はアンジェに制服の裾を引っ張られていた。何かと思って振り返れば、少しだけ真面目な表情をしたアンジェが真っ直ぐに見つめていた。
「要さん、昨日アンジェがお預かりした女の子でございますが…」
「…そうだ、あれから何か問題でもあったのか?」
「いえ、それはもうぐっすりとお休みになって、今朝も健康的に五時に起きておりましたが…出来れば昨日何があったのかを詳しくお話していただけると…」
「………………」
昨日、要があの場面に遭遇されたとき、アンジェに話したことは『やましいことは何もしていない』ということに集中しすぎていたために、肝心の御影については詳しく話さなかったのだ。
さすがに協力してもらっている以上、無関係とは言い切れなくなっているので、要はアンジェにも起こったことを話す決心をした。
「分かった。ただ、今は時間が無いから、今日の昼休みにでも昼食を取りながら話そう…椛と龍一にもそのことは話さないといけないような気がするからな…」
「分かりました! それでは皆さんの分のお食事はアンジェがご用意致しますので、手ブラで屋上にてお待ちいただくようお伝えしていただけますか?」
「分かった。二人に追いついたらすぐにでも伝えておこう」
それだけ伝えると、時間が迫ってきたことに焦ったのか、要はすぐに駆け出していった。
「それでは、要さん…」
要に振り返る余裕はなかったが、それでもアンジェが姿勢を正していることは、一ヶ月の短い付き合いではあるが、よくわかっていた。
最後の登校者に、アンジェは深々と頭を下げて声を高らかにした。
「行ってらっしゃいませ!」