不知
「……ほ、報告は以上になります……」
笠井大島。木々に囲まれた島を奥深く進んだところに、明らかに人の手が加えられている洞窟のようなものが存在した。
堅牢な道を進んだ先に広がる広間には、数名の武人・神樂が一人の男の前で声を、足を震わせながら立っていた。
眼前に構えるのは、今河籐十朗だった。
先日の損傷は既に全快しており、目の前にいる男女を見て溜め息を吐いた。
「……ご苦労、と言いたいところだが、忍び込まれるだけならまだしも、侵入した相手を一騎たりとも堕とせなかった……これだけの事をしておいて無事に持ち場に戻れると思っているのか?」
「い、いえ! ですが、この失態は必ず……!」
構えていた女性が言い切るよりも先に風と肉が斬れる音が響いた。
「……え?」
一瞬、誰も何が起こったのかを理解できなかった。
そして報告をしていた人間は、揃って何も理解することなく黄泉路へと旅立っていった。
一瞬にも満たない時間で、今河は自身の槍を取り出し、文字通り目にも留まらぬ速さで突きを繰り出し、並ぶ五人の心臓にそれぞれ一突きずつ放ったのだった。
「……貴様らはもう足でまといだ。その程度の腕であるならば、魚の餌にでもなったほうが余程建設的だろうよ」
物言わぬ死体に一瞥をくれると、今河は最も近い男の頭を蹴り飛ばした。
「……くっ……!?」
その直後、今河はわずかに頭を押さえてふらついた。
辛うじて倒れるようなことはなかったが、表情は何故か苦しそうであり、呼吸もわずかに乱れていた。
「……殺す必要はなかったんじゃないのか?」
「……片倉か。なに、決戦が近付いているにも関わらず枷をつけるような余裕は小生らにはない……弱者は存在するだけで罪である。それが小生ら『救世主』の決まり事だろう。まぁ、そういう意味では貴様は合格、といったところだな」
「…………そいつはどうも」
今河の言葉に対して、甲は不快そうに顔をゆがませながら答えた。
「陣馬も馬鹿ではあるが武に優れている、という点では及第点だろうが、まぁ今は良いだろう……それで? 貴様から出向いてきた、というのは何か理由があるのだろう?」
「……今回は全員出陣、で間違いなかったはずだな?」
「違いない。逃げ出そうとする者は切り捨ててでも止めろと命じたな」
「そこでひとつ交渉なんだが……俺は今回なぎ……瀬戸口を封神して参戦したいと思っているんだが……」
「却下だ」
すべてを言い切る前に、そう下された。
体調はもう戻ったのか、今河は背を向けてその場を立ち去ろうとした。
「……勝つつもりがないのか? あいつがいなければ俺は全力を出せないんだが……」
「全力を出せる状態にしては貴様がいつ寝返るか分かったものではないからな。下手をすれば敵に塩どころか兵糧・武具を送るようなものだ」
「…………」
甲の口から否定の言葉は出なかった。
「貴様は今の小生・今河藤十郎相手では不足ではあるが、それ以外の武人を相手取るのであれば十分過ぎるからな。小生もわざわざ猛虎の首輪を外すほど間抜けではない」
「……つまりは、交渉失敗、ということか」
「早い話がそういうことだ」
「……諒解。それじゃあ、俺は持ち場に戻らせて……」
「……山吹の武人を見かけたら俺に回すように」
甲がその場から立ち去ろうと振り返った瞬間、まるで雰囲気が変わった声が背後から聞こえた。
「……神之木景斎は、お前のような才能あふれる人間であろうとも、未熟であれば一切歯が立たない。だから、遭遇したら絶対に相手をするな」
「……分かった」
後ろ髪をひかれる思いがあったのか、甲は急いでその場を立ち去ろうとはせず、歩みを遅くして広間から姿を消した。
「……しかし、要、か。懐かしい名前が聞けたものだ」
それは、まるで昔のことを思い出すかのような穏やかな声だった。
「……できれば成長した姿を見たかったが……それは景斎にでも任せるとしようか」
《……だからと言って、手を抜く様子を見せれば、即座に貴様を乗っ取ることを忘れるな》
「んなことは充分に諒解しているさ。しかし、俺の身体を充分に理解できていないお前じゃ、万が一にも筆頭が居なくなった上での最強とはいえ、景斎に勝つことは不可能だ……だからここから先、手前は引っ込んでいろ」
《……よかろう。ならば小生は高みの見物でもさせてもらおうか》
すると、彼の中に渦巻いていた何かは気配を薄れさせた。
広間に残されたのは、籐十朗の心体。そして、先程『何者』かが突き伏せた死体が数躰だけだった。
その酷い有様を、彼は目を逸らすことなく辛そうに、口元に手を当てた。
「こりゃ……どうやって景斎に謝ればいいことやら……」