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和解

 翌朝。

 五十嵐要は寮の裏庭に居た。

 手には木刀。

 身に纏うは道着。

 虚空を見つめながら木刀の背を肩に乗せるか乗せないかというような場所に構えていた。

 どれだけの間、そのままで構えていただろうか。

 次の瞬間には迷うことなく踏み込んでおり、鋭い袈裟斬りを放っていた。

「はっ!」

 そして返す刀で左からの横一閃、左手を放して全身の体重を乗せた神速の突きを目に見えない『何か』に容赦無く叩き込んだ。

「クッ…!」

 そして今度は攻勢から防戦体勢に素早く移って何かを受け止めるような動きをし始めた。

 後退しつつ、時には攻め手を混じえながら鬼気迫る様子で要は『何か』と闘っていた。

「ぐっ…!?」

 しかし数十秒続けていると、突如要は姿勢を崩して背中から倒れていった。

 大の字になった要は荒く息を吐きながら広く澄んだ空を仰いでいた。

「…また手を間違えたか…」

 仮想敵仕合。

 戦い慣れた相手を想定し、実践的な仕合をするという、端から見れば間抜け極まりない訓練である。幸い時間が時間なので起きている奇特な生徒も少ないので、彼の奇怪な行動を知る人はほとんど居なかった。

 要が苦悶の声を上げたのは防御から攻勢に移ろうとした瞬間だった。

 本来踏み込まずに次の一手へつなげるべき場面で、その一撃で決めようと欲を出してしまい、不必要に付け入る隙を見せてしまった。

 素人ならば気付くかどうかの一瞬ではあるが、要が見据えていた『空想敵』はそんな一瞬でも見逃すことのない男だった。

 強く握っていた木刀は、自然手から力が抜けたために芝生の上に落ちた。

 集中によって疲労した体に鞭を打ちながら起きると、いつもはいない観客がそこに居た。

 既に学園指定の制服を身にまとっており、凛とした態度を崩すことなくその黒髪を掻きあげていた。

「…朝から精が出るな?」

「…もみ…いえ、二ノ宮さんでしたか…」

 聞こえた声に対して反射的に下の名前で呼びそうになったが、要はすぐに昨日の事を思い出して言い直した。

 要の反応に少しだけ不快感を露わにしたが、すぐに彼女は表情を戻して要の横に腰を下ろした。

「…こんな朝早くに出会うとは思っていませんでした」

「それは時間を考えれば当然のことだ。朝五時に起きて訓練するなんて余程の馬鹿か酔狂な人間でなければ考えもしないだろう」

「…ちなみに自分と二ノ宮さんは?」

「お前は単なる馬鹿だな。朝三時から一人で剣を振り続ける武人なんてどれだけ名のある英傑でも居ないだろう」

「そうでしょうね、何時から見ていたのかは気になりますが…ところで二ノ宮さ…」

「それに関して少し話がある」

 尋ねようとしたところを椛に遮られた。

「まず最初に言っておくと、その丁寧語は止めてくれ」

「…ですが…」

 否定しようと要が口を開こうとすると、鋭い視線で制された。

「親しき仲にも礼儀ありとはよく言うが、礼も過ぎれば無礼になる…それだけ言えば要も分かってくれるだろう?」

「…諒解、だ」

「うむ…それでいい」

 返答に満足したのか、椛は少しだけ頬を緩めた。

「それで…椛はどうしてこんな早朝からこんなところにいるのかを聞きたいのだが…」

「………それは…だな…」

 要がもう一度尋ねると、椛はあからさまに視線をさまよわせながら自身の長い黒髪をいじった。落ち着きを失っていることは要の目には明らかだったが、その理由が彼には全くわからなかった。

 数秒の間はそんな調子が続いていたが、意を決したのか椛は一つだけ深呼吸をして真っ直ぐに要の目を見た。

「昨日の事を謝ろうと思って…な」

「…昨日というと…あの醜態を見せたところか?」

「醜態と言うな!」

 要の答えに突如怒りに声を震わせながら椛は要の胸倉をつかんだ。

「…椛?」

「お前はあの場面を、自身が傷つくだけで済まそうとしたのだろう! 他の誰かを…それこそ要にあれほどの暴言を吐いた女子すらも庇って…一切傷付けることなく済まそうとしたのだろう!」

 要は何も言えなかった。

 椛の気迫が凄まじい、というのも一つの理由ではあるだろうが、その指摘が完全に的を射ていたからでもあった。

「あれから落ち着いて…冷静に考えてみれば要の考えそうな事だった…それなのに、そんな自分の行いを自分でも否定してどうするつもりだ!?」

 最後の方は涙混じりの訴えだった。

「誰にも知られない善行を自分で貶すな! それでは…あまりにも要が不憫…すぎる…」

「…悪かった…」

 嗚咽混じりの泣き声を上げる椛を落ち着かせるように、要は静かに頭を撫でた。

 指先に触れる椛の髪は絹のように、細く滑らかだった。

 …二人が最後に別れた五年前もそうだったのだ。

 要の祖父の都合で彼女の住んでいた土地から離れる際、泣きながら別れを惜しむ椛を宥めるために色々考えた結果が頭を撫でると言うものだった。

 そこでいくつかの言葉をやり取りした記憶はあるのだが、肝心の内容は一切思い出せず、少しもどかしい思いをしながらも、要は今目の前で涙を流している彼女を落ち着かせる事に集中した。

 しばらくしてようやく椛が落ち着きを取り戻すと、急に恥ずかしくなったのか、少し距離を空けて二人は座っていた。

「それで話は戻るが…要にぶつけてきた今までの暴言は無かったことにして欲しい」

「…………」

「自分でも勝手だと言うことは分かっているが…折角こうして一緒の学園生活になったというのに、喧嘩を続けているのも気分が悪いと思って…な」

「…………」

 要が転入してから一ヶ月間、昨日のようなことは決して少なくなく、そのたびに椛は要に対して

「勿論、要が嫌だと言えば私も無理は言わない…ただ、今までの事だけは謝っておこうと…」

「椛は相変わらず自己完結する悪い癖があるな」

 今まで押し黙っていた要は突如努めて明るい声でそう言った。

 心細げに下をむいていた椛はその言葉で顔を上げた。

「俺は一度たりとも椛を拒絶していない。あれ以降丁寧語で話していたのは椛を不快にさせないようにと俺が勝手に空回りした結果だ」

「いや、しかし…!」

「だから、これで今までの事は互いに無かったことにする」

 否定しようとする椛を手で制して、要はそう断言した。

「俺は椛にみっともない場面を見せた。椛は俺に少し乱暴な言葉をぶつけた…それで互いのことは水に流そう。そして、今日からまたよろしく頼む」

 そう言って静かに手を差し出した。

 椛もおずおずと手を差し出して握手をしたが、ようやく吹っ切れたのか表情を柔らかくして微笑んだ。

「あぁ、任された!」

 二人の間にあった大きな壁は、一ヶ月という時間をかけてようやく壊された。

 しばらくして二人は手を離して互いに空を見上げていた。

「しかし、このままでは要は釼甲を扱えない、ということでまだまだ謂れのない誹謗中傷が…」

《主、修練はもう終わったのだろうか?》

 今まで空気を読んでいたのではないかというようなタイミングで影継が木陰から現れた。

 突然の正体不明の声に椛は慌てて立ち上がろうとするが、要が安心させるように声をかけると警戒心を少しだけ緩めながら腰を下ろした。

《ふむ…そちらの女子はこの学園の神樂だろうか?》

「そうだ……椛は初めてだろうから紹介しておく。これが俺の釼甲となった神州千衛門影継だ」

《以後見知りおきを》

「に、二ノ宮椛だ…よろしく頼む…」

《むぅ…やはり我の姿は女子おなごに対してあまり良い印象を与えないようだな?》

「いや、椛の場合はただ単に突然声をかけたから驚いただけだと思うが…」

《そうなのか?》

 確認するように影継は椛の方へと顔を向けた。まだ驚きが治まっていないのか、椛は少しだけ詰まらせながらも丁寧に答えた。

「あ、あぁ…これでも虫は大丈夫な方だが…さすがに誰も居ないと思っていたところに声をかけられるのは慣れていないので…」

《承知。以後気をつけるとしよう》

 反省したのか影継は素直に頷いて椛に近づいた。

《しかし見たところかなりの神技を扱う神樂と見たが…主の奥方なのか?》

 その発言に椛は思わず咳き込んでしまった。

 変な呼吸をしてしまったためか、やたら高い咳をしており、しばらく会話をすることは困難なように見えた。

「…影継。悪いが俺と椛はそんな関係ではない」

《左様か…未だにこの時代の価値観…特に貞操概念には慣れん…齢十四で結納が普通だと思っていたのだが…》

「時代による価値観の違いが露骨に現れたな…まぁそれは追々慣れていけば大丈夫だろう」

「ま、待て、要! どうして、ケホッ…そんなに落ち着いていケホッ…いる! それに…」

「今は無理矢理話そうとするな。背中をさすってやるから落ち着いてから話せ…」

「う…す、すまん…」

 そうしてしばらく要が背中をさすって、ようやく普通の呼吸に戻ったのは五分後だった。

「よし、大丈夫みたいだな…」

「あ、あぁ…」

 少し椛の顔が赤いことが少し要の気がかりだったが、指摘するとなんでもないと露骨に触れられることを拒否されたのでそのことに関しては黙っておくことにした。

「それで…見たところこちらの釼甲…影継でよかったか?…は相当な業物だが…一体昨日の今日で何が…」

「…それは…」

 要は『影継』に関しては一切隠すことなく椛に打ち明けた。

「…それは本当のことなのか?」

「一応全て事実だ。未だに自分でも信じきれていない部分はあるが…」

《胸を張れ、主、二ノ宮嬢も寝耳に水をかけるような話かもしれないが、紛うことなく事実だ》

「…しかし…」

《数物の釼甲がどうだかは知らぬが、業物の釼甲が主・仕手と呼ぶのは、我らの全てをあずけるに値する唯一の人間であり、その者のために全力を尽くす事こそ釼甲の誉れ。生半可な覚悟で呼んでいる訳ではない、ということを理解していただきたい》

「…………」

 影継の誠意の篭った言葉が椛に届いたのか、しばらくの沈黙が続いた。

 今まで一切釼甲を扱えない男として罵られていたのに、突如素人目に見ても分かる業物の仕手となったというのは、ほとんど前例のないことだった。

 驚くのは無理も無い話だが、幸い椛は凡人とは異なり理解のある女子だった。

「わかった。改めてよろしく頼む。神州千衛門影継」

《影継で良い》

「なら私も椛と呼んでくれ。さすがに殿を付けられるほど偉くなった覚えはないので…加えて出来ればその口調ももう少し砕いてくれると助かるな」

《承知した…が、話し方に関しては申し訳ないがこれで勘弁していただきたい…如何せんこれを変えるとなると一旦全て分解されなければならんので…》

 先程まで淡々と話していた鍬形の釼甲が急に怯えたような口調になったのが面白かったのか、椛は口元を抑えて笑った。

 幼馴染との今までより少しだけ穏やかな日常が、静かに始まった。


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