話題の『無能』編入生
新年明けましておめでとう御座います。
今回一転して『自分が書きたかったもの』を掲載させていただきます。長編になるか短編になるかは分かりませんが、少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。
真っ直ぐに続いている廊下を一人の少年が歩いていると、会話をしながら歩いている女子とすれ違う際に女子の腕と少年の胸がぶつかった。
「きゃっ!」
「おっと…」
少年は避けるように身を翻したのだが壁際を歩いていたことが失敗だった。避けるためのスペースは精々三十センチほど。余所見をし、ふらつきながら歩く女子を避けるには不十分だったのだ。
「……失礼しました、怪我などは…」
ぶつかった女子を気遣うように声をかけ、手を差し伸べようとしたが、それを遮るように友人であろう一緒に歩いていた女子が少年の手を叩いた。
叩かれた少年の手はベクトルを変えて宙へと浮いた。
行き場の失った手を一瞬視線で追い、どうしようかと考えつつも、少年は自分の手を叩いた女子とぶつかった女子へと再び視線を戻した。
「紫亜に何をしようとしたの!」
手を叩いた女子は警戒を露わにした表情で鋭く少年を威嚇しながらも、紫亜と呼ばれた少女を少年から遠ざけようと、徐々に合間を取っていた。
「いえ…自分の所為で何かあっては申し訳ないと思いまして…」
「……か、可怜ちゃん…」
怯えた様子で、紫亜であろう女子は、素早く可怜の背に隠れてしまった。
怯えている紫亜女子を優しい手つきで宥めながらも、可怜女子は少年を睨んでいた。
「あんた、確か五組に転入してきた五十嵐要…だったわよね?」
「…そのとおり、ですが?」
その答えと同時に可怜女子は更に険しい表情で要を睨んだ。
対して要は諦めにも似た溜め息を吐きながら顔を押さえた。
同年代に睨まれるような事を彼は一切していないのだが、如何せん彼の持つ事情がここ・大和国立天領学園での彼の立場を最悪の状態にしているのだ。
「だったら話は早いわ。あんたみたいなのがこの学園に居ること自体可笑しなことなのに、何を平然としてその面をぶら下げて廊下を歩いているのかしら?」
「…その理屈だとアンジェを含む清掃業者の方々や警備の方々も学園散策をしていることを否定する事になりますが……」
「ぐっ!?」
要が悪気を一切持たずに反論すると、可怜は失言に気付いたように呻いた。
同時に可怜の反応を見た要は相手を怒らせるような発言をしてしまったことに後悔をし、弁明しようと口を開こうとすると、先に可怜が声を上げた。
「う、うるさい! そういう人たちは別として…あんたのような何の役にも立たなさそうな奴が堂々と歩き回っているんじゃないわよ!」
「…一応自分は邪魔にならないよう端を歩いていたのですが…」
「なら教室に引っ込んでいなさい! なんだったら学園に来なくても充分よ! むしろ学園に来ない方が清々するわ!」
「…………」
要は何を言っても無駄だと判断したのだろうか、固く口を閉ざしてしまった。
「佐々木の推薦だかなんだか知らないけど、それならそれに相応しい実力を見せなさいよ! あんたは…!」
暴言を吐き続けていたためか、周囲に人が集まり始めていることに気付かず、可怜はその言葉を吐いた。
「男のくせに釼甲を扱えない無能でしょう!」
…周囲のざわつきが目立ち始めた。
可怜の言葉を聞き取った野次馬たちはたちまち五十嵐要に陰口を叩いた。
「あいつが話題の無能か…?」
「そうだ…甲竜すら扱えないっていう…」
「嘘でしょう? そんな男が何でこの学園に?」
「だから佐々木先生のコネじゃないの?」
「そういえば実際に装甲練習をしたとき、一人だけ反応がなかったな…」
小声で囁きあっているようだが、全て要の耳に届いていた。事実であるが故に否定することもできず、要は貝のように押し黙ったままその場に立っていた。
ただ、その表情に怒りなどの激情は見られなかった。
ひどく落ち着いた、全ての暴言を受け入れている様子だった。
対して少女は留まることを知らず、罵声を浴びせた。
「さっさとこの学園から消えなさい、役たたず! さもないと…!」
周囲が自分に味方していることで気が大きくなったのか、可怜はその拳を要の眼前へと突き出した。拳と目の間は十数センチしかなく、もう一歩踏み込めばぶつかるであろう距離だった。
「私の炎で、あんたを更に役たたずにしてやる!」
可怜のその言葉と共に、拳に炎が纏い始めた。
ただその炎が彼女の手を焼くことなどはなく、要の前髪だけが熱で焦げていった。
避けようにも壁際に追い詰められ、左右は野次馬のせいで埋めつくされているために逃げることは出来ない。
紫亜と呼ばれた少女はこの状況に怯え、既に人ごみをかき分け廊下から立ち去っていた。
「…出来れば穏便に見逃してはいただけないでしょうか?」
さすがに眼前の炎の熱には完全に耐え切れないのか、要は瞬きの回数を増やしながらも動じることなく、不気味なほど落ち着いた様子で話しかけていた。
一歩間違えれば火傷…それどころか失明する危険性もあるにも関わらず、毅然とした態度で臨む要の態度が更に可怜の毛を逆立てた。
「ふん! 穀潰しのろくでなしが偉そうに…なら人に物を頼む時にはどうすれば良いか、くらいは知っているわよね?」
「……………」
可怜がそう言うと、要は炎を避けるように勢い良く拳の下に潜り込んだ。
「!?」
何かしらの反撃が来ると思ったのか、可怜は二歩引いて要との間合いを取った。
だが、彼女の視界に映ったのは予想外のものだった。
「……………………………」
「…………な、何の真似?」
「土下座です」
それは要の言う通り、見事なまでの土下座だった。
惜しげもなく自身の額を床に擦りつけ、左右対称の姿勢は見事なまでの美しさだった。それがこの場を凌ぐためのものではなければの話だが。
「出来ればこれで見逃していただければ幸いです」
「………………」
拍子抜けたのか、しばらくの沈黙が辺りを包んだ。
だがそれもすぐに罵声と嘲笑によって吹き飛ばされた。
「あはははははは! 悪いわね! 無能でもそんなことが出来るとは思わなかったわ!」
口火を切ったのは当然というべきだろうか、当事者である可怜だった。
それに釣られるように、周囲も思い思いの言葉を口にし始める。
「なんだよ。いくら神樂とはいえ、女一人に立ち向かえない男って…!」
「やっぱり噂は本当だったんじゃないの?」
「そんな奴が俺らと机を並べてんのかよ…気分わりぃ…」
「…………………」
頭を下げている要はそれだけの罵詈雑言を浴びてもなお黙り続けていた。
尋常ではない忍耐力を目の前にしながらも、それを理解できないものはひたすらに彼を罵っていた。
その典型が、恐らくこの騒ぎの張本人である可怜だろう。下げられた頭に対して容赦無くその足で踏みつけた。
コンクリートと骨のぶつかる鈍い音が響いた。
それでも、要は身じろぎどころか声の一つも上げなかった。
黙っているのを良いことに、可怜はひたすらに暴力を振るい続けた。
その場にいる誰もが、要に手を差し伸べようとはしなかった。
「ほら、もっと頭を下げられるわよね!? やってみなさ…」
「騒ぎの現場はここですね。失礼しますよ?」
暴力がエスカレートしていた所に響いた声によって、可怜は反射的に飛び退いていた。声のした方向に可怜と野次馬が視線を向ければ、彼らの予想通りの人間がそこに居た。
ゆっくり歩み寄ってくるその男の姿は、後ろめたい気持ちがある生徒にとっては恐怖の対象でしかなかった。
「さ、佐々木………先生!?」
さすがの本人を前にして敬称なしで呼ぶことはまずいと判断したのだろう、可怜は取ってつけたように先生などと呼んだが、そこには畏敬の念は一片たりとも混じっていなかった。
それを察したのか、佐々木と呼ばれた教師は少しだけ笑顔を崩し、眉をひそめたがそれも一瞬のこと。すぐに元の笑顔を浮かべて口を開いた。
「何やら無抵抗な男子に対して暴力を振るっている、という匿名の通報があったので来てみましたが…何事もなかったようですね?」
見回す佐々木の視線に対して真っ直ぐに見つめ返す者はおらず、全員が全員目を背けた。
だが、咎め無しと思った全員は、次の言葉で戦慄することとなった。
「余所見しながらぶつかったにも関わらず避けた方に因縁を付けて挙句の果てには公衆の面前で罵詈雑言に誹謗中傷を浴びせ、武人の誇りを汚すような暴挙…野次馬の中には誰一人として正しき人…加えて恥も覚悟の上で謝罪をしている人を庇おうとはしない…そんなことがあるはずないですよね? 飯島可怜さんに皆さん?」
全てを見ていたかのように語る教師に、その場に居た全員は罰を覚悟した。
見回す教師の視線は、彼らにとっては槍を突きつけられているような錯覚に陥らせた。
露骨な…それでいて静かな怒りを見せながらも、佐々木は相も変わらない笑顔のままでいた。
「これから三十秒の時間を与えます。罰を受けたい人は残ってください。それ以外の方は早急に教室に戻ることをお勧めします」
その言葉と同時に、生徒たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
三十秒後。その場に残されたのは、佐々木教諭と未だに土下座中の要だった。
「………まだやっていたのか?」
人気がなくなると、佐々木は言葉を少し粗くした。
こちらの方が素であり、その正体を知るのは学園内でも十人いるか居ないかである。飯島が話していたとおり、佐々木が要をこの学園に推薦した張本人である。
それ以前の付き合いは全くの謎に包まれているが、これらのやりとりからそれなりの親しい関係であることは誰の目に見ても明らかだが、それを見たことのある人間がほとんどいないため、周囲の認識は精々『自分の発掘した人材に甘い』程度である。
「…自分は問題の一端を担っていると判断したので…厳罰に処される覚悟は出来ています」
「それだけの覚悟が他の学生が出来るようになれば万々歳なんだがな…」
心底残念そうにため息をつきながら佐々木は天井を仰いだ。
「だ、大丈夫でございましたか?! お怪我などはありませんでしょうか!」
「要! あの程度の女子相手に頭を下げるとは何事だ!」
騒ぎが治まってからおよそ二分後、二つの足音が廊下に響き渡った。
音のした方向へと二人が視線を向けると、二人の少女がこちらに向かって走っていた。
一人は真っ直ぐな黒髪が腰に届きそうなほど長く紅い簪を差し、神樂学科独特の白い制服とのコントラストが美しかった。どこか怒りを持っているような表情を浮かべ、素早く駆けていた。
もう一人は銀色の髪を左右だけを長く伸ばしたショートカットの少女で、非常に慌てた表情をしていた。こちらの少女の特徴は何といっても学園指定の制服に身を包んでおらず、代わりとして何故かメイド服を纏っていた。
二人とも方向性は違えど、まごう事なく美人に分類されるであろう出で立ちをしていた。
黒髪制服の少女は凛とした雰囲気を纏い、スラリ伸びた…そして女性の部分は、出るところは出ている体を真っ直ぐに伸ばしていた。何らかのモデルだと言われても百人中九十八人は疑問に思うことなく納得するだろう。
対してメイド服の少女はどちらかと言えば童顔で、制服の少女と比べれば一つ二つ違って見える。ただ、服の上からでも分かる、かなり女性的な凹凸を持った体だった。
「…椛とアンジェか…大丈夫だ、特に支障が出るような外傷は無い」
「そ、それは良うございました! 要さんにあれ以上の被害があってはいけないと思いまして、佐々木先生へとお伝えさせていただきました!」
「なるほど、騒ぎが起こってから佐々木教諭が到着するまでの時間が異様に短かったのはアンジェのおかげか…助かった」
「そういうことです。要君は真白さんにお礼でも言っておいたほうが…」
椛とアンジェが現れるとすぐに口調を変えた、佐々木の豹変ぶりに呆れながらも、要はアンジェに頭を下げようとする。が、それを礼を言おうとした相手に止められた。
「いえいえ、神樂でもないアンジェが出来ることと言えばそれぐらいなので…」
恥ずかしそうにはにかみながらアンジェは両手を合わせた。自分が何かしらの役に立ったことが嬉しかったのだろう。
「けれど、あの程度の生徒ならば五十嵐でも追い払うことが出来たのではないか?」
ゆっくりと立ち上がる要を見ながら、椛は言った。
膝についた汚れを落とそうとするとすかさずアンジェがかがみこんでズボンを叩いた。
それまでに確認などを一切取られなかったので、仕方なく甘んじることにしたようだ。
「可能と言えば可能だが…その場合の被害は恐らく今より遥かに大きいだろうな。こちらからは一切手を出していないから、少なくとも退学は免れるだろう」
「そんなはずはない! 現にこの学園に入学してから二ヶ月になるが学園・神樂・武人問わず小競り合いは頻繁に見かけた!」
「ひゃいっ!?」
要の言葉を言い訳だと思ったのだろう、椛と呼ばれた少女は声を張り上げた。突然の大声にかがんでいたアンジェは驚きのあまりに飛び上がった。
だがそんなことを一切気にすることなく、椛は続ける。
「他の学生の迷惑も考えずにその場で決闘を始めたり、騒動を起こしているのにも関わらず彼ら彼女らには大きな処罰はくだされない…ならば五十嵐も正当防衛をしても何ら問題は無いはずだろう!」
今まで溜まっていた怒りをぶちまけるように、椛は叫んだ。
「……だが穏便で尚且つ確実な手段があれしか思い浮かばなかったんだ」
「だから易易と頭を下げたのか? 自身の誇りを捨ててまで…」
「そうだ」
熱くなった椛に対して、要は達観しているというべきか、諦めなのかは分からないが、非常に落ち着いた様子だった。
「………クッ…!」
一瞬だけ、椛は悔しそうに歯を食いしばりながら要を見上げたが、すぐに振り返ってその場を立ち去ろうとした。
さすがに何かが不味いと判断したのか、椛を呼び止めようと要は声をかけようとした。
「……椛」
「腰抜けが名前を呼ぶな」
だが、返ってきたのは拒絶の言葉だった。
「………………」
その反応に何か思うことがあったのか、要は三秒ほど黙り込んだが、すぐに口を開いた。
「失礼致しました、二ノ宮さん。身分不相応の身でありながらも名を呼ぶなどという烏滸がましい真似をして申し訳ありませんでした」
「…………~~~~!」
突如としてよそよそしくなった要の返事に堪らず椛は振り返りそうになったが、辛うじて踏み留まった。
声にならない声を上げながら、振り返らずに要たちを背にしてその場から去っていった。
そんな彼女の背を見送りながら、要は顎に手を当てて考え込んでいた。
「…相変わらずもみ…いや、二ノ宮の対応が冷たいと思うのだが…」
「折角この学園で五年ぶりの再会をした幼馴染だというのに…アンジェは少々勿体無いお話ではないかと思います…」
「…その時までの彼女はどういった感じに接してきたのですか?」
疑問に思った佐々木は遠慮を一切せずに問いかけてきた。
「兄と妹…といったところだろうか…? といっても一緒に過ごしていたのは三年程度だから実際の兄妹とはかけ離れたコミュニケーションをとっていたな…」
「宜しければどのような事が有ったかをお話していただけないでしょうか? アンジェはそのような友人が少なかったので興味津々でございます!」
その言葉通りアンジェは目を輝かせて要を見た。
これほどまでに人懐っこい性格をしながらも友人が少なかった、という事実は少し要の何かに引っかかったが、時間のことを思い出して手を振った。
「まぁそれくらいなら全然構わないが…時間が…」
「話すのは構いませんが要くんは授業に遅れないように注意してくださいね? 五組の一限は私の釼甲基礎理論ですから…」
「…というわけだ。その話は時間があったときにでも頼む」
「かしこまりました! それではアンジェは校内掃除へと戻ります!」
「あぁ、頑張ってくれ」
「はい! 要さんも勉学にお励みになってくださいませ!」
そう言ってアンジェは深くおじぎをしてから椛とは反対の方向へ颯爽と走っていった。
残された二人は並んで教室へと歩き始めた。