第12話:『帰還の門、鬼の咆哮』
山道を抜け、視界が開けた瞬間、二人の前にそれは現れました。
標高約400メートルの山嶺に、天を突くようにそびえ立つ巨大な石垣と、漆黒の城門。現代の建造物とは明らかに一線を画す、威圧的で、それでいてどこか神聖な空気を纏った古代の要塞――「鬼ノ城」。
そこはかつて、温羅が故郷を追われ、最後に辿り着いた安住の地であり、吉備津彦との愛と悲劇が刻まれた場所でした。
麓に辿り着いた瞬間、凪の様子が劇的に変わりました。 「……ウ、ガ……ア、ァ……ッ!」 喉の奥から絞り出すような声が漏れ、凪は胸を掻きむしり、その場に跪きました。
「凪! どうした、しっかりしろ!」 湊が駆け寄りますが、今の凪には兄の声すら届いていないようでした。
凪の全身から、漆黒の霧が噴き出しています。それは今までのような制御不能な「暴走」ではなく、この土地に染み付いた数千年前の記憶に、凪の血が**「共鳴」**している証でした。
湊の黄金の瞳には、今の鬼ノ城が全く別の姿に見えていました。 観光地として整備された石垣の裏側に、血のような赤色をした因縁の糸が、山全体を網目のように覆い尽くしている。そして城門の奥からは、誰かが泣き叫ぶような、あるいは激しく怒っているような、巨大な「感情の渦」が逆巻いていました。
(……ここだ。ここに、すべてがある)
湊が真鍮の鍵を取り出すと、鍵はもはや震えるのを止め、白熱するほどの光を放ちながら、山頂にある城門を真っ直ぐに指し示しました。
「あぁ……やっと、帰ってきたのか」
不意に、背後の闇から低く、しかし鋭い声が響きました。
湊が振り返ると、そこには一人の老人が立っていました。ボロボロの羽織を纏っていますが、その身のこなしは一分の隙もありません。老人の傍らには、三匹の「獣」――犬、猿、雉の面を被った異様な気配の暗殺者たちが控えていました。
「吉浦湊。そして、温羅の器。……私はここを守り続けてきた、吉備津神社の神主にして、かつての王子の『負の遺志』を継ぐ者」
老人は静かに、しかし冷酷に宣告しました。
「お前たちがその鍵で門を開けば、数千年前の呪いが再びこの地を飲み込む。……その前に、ここで『鬼の種』を根絶やしにするのが、我ら桃太郎の末裔の務めよ」
「桃太郎……?」 湊は絶句しました。御伽話の英雄の名が、これほどまでに重く、呪わしい響きを持って自分たちに突きつけられるとは。
三匹の面を被った暗殺者たちが、武器を手に凪へと飛びかかります。 「凪、逃げろ!!」
しかし、凪は逃げませんでした。 膝をついていた凪が、ゆっくりと顔を上げます。その瞳はもはや黄金ではなく、燃え盛るような紅蓮の色へと染まっていました。
「……ア……カ、ア……サ……ン……」
凪の口から、初めて言葉らしい音が漏れました。 それは、数千年前の「島子」が、奪われた瞬間に叫んだであろう、最期の言葉。
凪の背中から、巨大な漆黒の翼のような影が展開し、山全体を揺るがすような咆哮が鬼ノ城に轟きました。
「……来るなら来い。俺たちはもう、誰にも引き裂かせない!」
湊は折れた鉄の断片を抜き放ち、黄金の瞳で「英雄の末裔」たちを睨みつけました。 夕闇に包まれる鬼ノ城の麓で、血脈と神話を賭けた、最後の戦いの火蓋が切って落とされました。




