第8話:制度は壊れている
南門を出て、森の道を歩く。
舗装されていない。轍の跡だけが道を示している。木々が鬱蒼と茂り、日差しが遮られる。
「ダンジョンまでどのくらいですか?」
「歩きで三時間くらいね」
セリアは慣れた足取りで進む。律はその後を追う。
森は静かだった。鳥の声。風の音。時々、遠くで獣の鳴き声。
律は周囲を観察した。
木々の配置。地形の起伏。空気の流れ。
そして、視界の端に浮かぶログ。
『環境:安定』
『脅威レベル:低』
この森は、比較的安全らしい。
「あ」
セリアが立ち止まった。
「どうしました?」
「……あれ」
セリアが指差した先に、人影が見えた。
道の脇に、誰かが倒れている。
二人は駆け寄った。
男だ。二十代後半。革の鎧を着ている。冒険者らしい。
だが、鎧は裂け、血が滲んでいる。
「おい、大丈夫か!」
セリアが声をかける。
男は微かに目を開けた。
「……あ、あんたは……」
「セリアよ。覚えてる? 半年前、ギルドで会ったでしょ」
「……ああ」
男は苦しそうに息をした。
「……やられた。モンスターに」
「傷を見せて」
セリアが鎧をずらすと、腹部に深い裂傷があった。出血は止まっているが、感染の恐れがある。
「回復薬は?」
「……使い切った」
「仲間は?」
「……死んだ。俺だけ、逃げた」
男の声は弱々しい。
セリアは鞄から回復薬を取り出した。
「これ、飲んで」
「……すまない」
男は震える手で薬瓶を受け取り、飲み干した。
緑色の液体。魔法の力で作られた薬。
律の視界に、文字が浮かんだ。
『回復魔法:発動』
『対象:HP 18/65』
『回復量:+15』
男の顔色が、わずかに良くなった。
「……ありがとう」
「これから街に戻れる?」
「……わからない。足が、動かない」
セリアは男の足を見た。
左足が変な角度に曲がっている。骨折だ。
「……これは、まずいわね」
「ギルドに、連絡を……」
「連絡手段がないのよ。ここから街まで三時間。誰かを呼びに行っても、往復で六時間」
セリアは唇を噛んだ。
「あんた、名前は?」
「……ダリル」
「ダリル、仲間の死体はどこ?」
「……あっちの茂みに」
律は指差された方向を見た。
木々の陰に、何かが倒れている。
律は近づいた。
二人の死体。若い男女。血まみれ。モンスターに襲われたのだろう。
律の視界に、文字が浮かぶ。
『対象:ヒューマン(死亡)』
『死亡時刻:約2時間前』
律は目を閉じた。
二時間前。
まだ、助けられたかもしれない。
だが、誰も来なかった。
律はセリアのところに戻った。
「二人とも、死んでいます」
「……そう」
セリアは深く息を吐いた。
「ダリル、あんたのパーティは何人だった?」
「……四人」
「もう一人は?」
「……逃げた。俺と別の方向に」
セリアは黙った。
律は静かに聞いた。
「……ギルドには、救援システムはないんですか?」
「ないわ」
「緊急連絡は?」
「魔法通信は高価だから、一般冒険者には配られない」
「位置情報の共有は?」
「そんなもの、ない」
律は拳を握った。
「……つまり、冒険者は何かあっても、自力で帰るしかない」
「そういうこと」
セリアは苦い顔をした。
「冒険者は使い捨てよ。ギルドは依頼を仲介するだけ。後は自己責任」
「保険は?」
「ないわ」
「遺族への補償は?」
「それもない」
律は言葉を失った。
「……それじゃ、制度として成立してない」
「だから、壊れてるのよ」
セリアはダリルを見た。
「ダリル、あんた何歳?」
「……二十八」
「冒険者歴は?」
「……十年」
「家族は?」
「妻と、娘がいる」
セリアは目を閉じた。
「……あんた、引退しなさい」
「……できない。他に、稼ぐ手段がない」
「このままじゃ死ぬわよ」
「……わかってる。でも」
ダリルは弱々しく笑った。
「冒険者以外、何もできない。俺は、ただの戦闘要員だ」
律は胸が痛くなった。
十年、戦い続けた。
だが、何のスキルも身につかなかった。
戦うこと以外、何も。
律は呟いた。
「この制度、完全に破綻してる」
セリアが律を見た。
「設計者の意見は?」
「最悪です」
律は立ち上がった。
「救援システムなし。保険なし。補償なし。再教育なし。引退後の保障もなし」
律は森を見た。
「これじゃ、人を消耗品として扱ってるだけだ」
「……まあ、そうね」
セリアも立ち上がった。
「だから、冒険者は若いうちに死ぬか、ボロボロになって街で物乞いするか」
「それを、誰も変えようとしない?」
「ギルドは変える気がないわ。利益が出てるから」
律は拳を握った。
システムが壊れている。
世界システムだけじゃない。
社会システムも、壊れている。
「……ダリル」
律はダリルに向き直った。
「俺たちが街に戻って、救援を呼びます」
「……すまない」
「謝らないでください。あなたは悪くない」
律は真剣な目で言った。
「悪いのは、こんな制度を放置してる連中です」
ダリルは目を見開いた。
「……あんた、変わってるな」
「よく言われます」
セリアが言った。
「でも、街に戻ったら半日かかるわよ。ダンジョンは?」
「……一旦、中止です」
「本当に? 時間ないんでしょ」
「わかってます。でも」
律はダリルを見た。
「人が死ぬのを見過ごして、真実を探しても意味がない」
セリアは少しだけ笑った。
「……あんた、本当に変わってるわ」
「すみません」
「謝らなくていいわよ。私も同意見」
セリアはダリルの腕を支えた。
「立てる?」
「……なんとか」
ダリルが立ち上がる。
セリアと律が両側から支える。
「じゃあ、行きましょ。ゆっくりでいいから」
三人は街へ向かって歩き始めた。
遅い。
ダリルは足を引きずり、何度も休憩を挟む。
だが、律は急かさなかった。
歩きながら、律は考えた。
この世界には、神がいない。
あるのは、システムだけ。
だが、システムは完璧じゃない。
世界システムは、管理者不在。
社会システムは、欠陥だらけ。
「……なら、直さないと」
律は呟いた。
セリアが聞いた。
「何?」
「いえ。ただ――」
律は前を向いた。
「壊れてるなら、直す。それだけです」
セリアは目を細めた。
「あんた、本気?」
「本気です」
「冒険者制度を?」
「できるかはわかりません。でも、試す価値はある」
律は視界の端の文字を見た。
『同期開始まで:残り 26日』
26日。
短い。
だが、何もしないよりはいい。
「この制度、再設計が必要だ」
セリアが笑った。
「あんた、面白いわね。自分が削除されそうなのに、制度改革とか言い出すなんて」
「順番の問題です」
「順番?」
「まず、生き延びる。次に、制度を直す。その順番で」
セリアは笑った。
「いいわよ。付き合ってあげる」
三人は街へ向かって歩き続けた。
日が傾く。
森が薄暗くなる。
だが、街の明かりが見えてきた。
「もう少しよ」
セリアが励ます。
ダリルは黙って歩いている。
南門が見えた。
門番が駆け寄ってくる。
「負傷者か! すぐに治療を!」
ダリルは門番に引き渡された。
「……ありがとう」
ダリルが小さく言った。
律は頷いた。
「無事に、家族のもとへ帰ってください」
ダリルは連れて行かれた。
律とセリアは、その場に立ち尽くした。
「……疲れたわね」
「ええ」
「今日はもう遅い。ダンジョンは明日ね」
「すみません」
「謝らなくていいって言ってるでしょ」
セリアは笑った。
「帰りましょ。今日はゆっくり休んで」
二人は街へ戻った。
夜の街。
松明が灯り、人々が行き交う。
律は歩きながら、考えた。
この世界は、壊れている。
世界システムも。
社会システムも。
なら。
直す。
設計者として。
それが、俺にできること。




