第4話:この世界、神様いない
街に着いたのは、日が傾き始めた頃だった。
村とは比較にならない。石造りの建物が立ち並び、人々が行き交う。馬車が走り、商人が声を張り上げ、どこかから肉を焼く匂いが漂ってくる。
中世ヨーロッパの街並みそのままだ。
「ここがラヴェンナ。一応、この地方の中心街よ」
セリアが説明する。
「ギルドは中央広場にあるけど……今日はもう遅いわね。明日にしましょ」
「泊まるところは?」
「私の行きつけの宿がある。あんた、お金は?」
「……ありません」
セリアは呆れたような顔をした。
「仕方ないわね。私が出すわよ。後で返しなさい」
「すみません」
「いいわよ。その代わり」
セリアはニヤリと笑った。
「あんたの秘密、一つ教えなさい」
「……どの秘密ですか」
「は? 何個あるのよ」
律は黙った。
セリアは笑いながら歩き出した。
「冗談よ。話したくなったら話して」
宿は、広場から少し外れた路地にあった。古びた木造の建物。看板には「眠る猫亭」と書いてある。
中は薄暗く、酒の匂いがする。カウンターには中年の女将がいて、セリアを見ると顔をほころばせた。
「おや、セリアじゃないか。久しぶりだね」
「ただいま。今日は二部屋お願い」
「あいよ。そっちの坊やは?」
「……知り合い」
微妙な間があった。
女将はニヤニヤしながら鍵を二つ渡した。
部屋は二階。隣同士。
律は荷物を――やっぱり何もないが――置いて、窓を開けた。
外はすっかり暗くなっている。街灯が灯り、人々の話し声が聞こえる。
視界の端に、文字が浮かぶ。
『同期開始まで:残り 28日』
律は窓を閉め、ベッドに座った。
考えることが多すぎる。
この世界の仕組み。
魔法のシステム。
自分の立場。
そして、29日後に何が起こるのか。
ノックの音がした。
「入ってもいい?」
セリアの声。
「どうぞ」
ドアが開き、セリアが入ってきた。手には本を持っている。
「これ、貸すわ。この世界の基礎知識が書いてある」
「……ありがとうございます」
律は本を受け取った。古い革装丁。タイトルは「世界と神々の話」。
「あんた、この世界のこと何も知らないでしょ」
「……バレてますか」
「丸わかりよ。魔法見るたびに変な顔してるし」
セリアはベッドの端に座った。
「で、あんた何者なの?」
「……ただの、旅人です」
「嘘が下手ね」
律は本を開いた。目を通す。
冒頭には、こう書かれていた。
『この世界は、七柱の神々によって創られた』
『光の神、闇の神、風の神、炎の神、水の神、大地の神、そして生命の神』
『神々は世界を愛し、人々を見守り、祈りに応えてくださる』
律は読むのを止めた。
「……この本、どこまで本当なんですか」
「一般的には、全部本当ってことになってる」
「一般的には?」
セリアは窓の外を見た。
「私は翻訳者だから、色んな古文書を読んできた。神殿の記録とか、古代の文献とか」
「それで?」
「矛盾だらけなのよ」
セリアは膝に手を置いた。
「神の記述が、時代によって全然違う。名前も、数も、役割も。まるで、後から書き足されたみたいに」
「……創作、ってことですか」
「少なくとも、統一された真実じゃない」
律は本を閉じた。
「明日、神殿に行ってみたいんですが」
「神殿? 祈りに?」
「……確かめたいことがあって」
セリアは首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。
「わかった。案内する」
翌朝。
セリアに連れられて、律は街の中央神殿を訪れた。
巨大な石造りの建物。ステンドグラスから光が差し込み、祭壇には神像が並んでいる。
神官たちが行き交い、市民が祈りを捧げている。
「ここが光の神殿。一番大きいやつ」
セリアが説明する。
律は祭壇に近づいた。
中央には、輝く剣を持った神像。光の神、らしい。
周囲の人々は跪き、祈りを捧げている。
律も、形だけ真似をした。
手を組む。目を閉じる。
「……光の神よ」
小さく呟く。
何も起こらなかった。
当たり前だ。祈りなんて、ただの儀式だ。
だが、律は続けた。
視界の端に浮かぶ文字を、意識する。
『接続確認:完了』
『ローカル環境:安定』
文字は相変わらず表示されている。
だが、神に関する表示は何もない。
律は目を開け、祭壇を見た。
神像は、ただの石像だった。
オーラも、魔力の流れも、システムログも、何もない。
「……やっぱり」
律は立ち上がった。
周囲の人々は相変わらず祈っている。神官が香を焚いている。静かな空気。
だが、律には見える。
何もない。
神は、いない。
祈りは、どこにも届いていない。
「終わった?」
セリアが声をかけてきた。
「……ええ」
「どうだった?」
「何も」
律は祭壇から離れた。
「神は、いませんでした」
セリアが目を細める。
「……あんた、本当に何者なの」
「ただの、観測者です」
律は神殿の外に出た。
朝の光が眩しい。人々が行き交う。市場が開き、商人が声を張り上げる。
普通の、日常。
だが、律には見える。
この世界には、神がいない。
祈りは届かない。
奇跡は起こらない。
あるのは、システムだけ。
魔法という名の実行コマンド。
ステータスという名のデータベース。
世界という名の、巨大な運用環境。
「神がいない世界、か」
律は空を見上げた。
青い空。白い雲。風が吹いている。
すべてが美しく、すべてが計算されている。
「じゃあ、誰が作ったんだ?」
神じゃない。
奇跡じゃない。
これは、設計だ。
誰かが、この世界を設計した。
神ではなく――
「運用者、か」
律は呟いた。
視界の端に、文字が浮かぶ。
『同期開始まで:残り 27日』
カウントダウンは続いている。
律は小さく笑った。
「この世界、管理者不在だ」
神はいない。
だが、システムは動いている。
なら、誰が管理している?
それとも――
「管理されてない、のか?」
その可能性が、一番怖い。
律は神殿を振り返った。
祈りを捧げる人々。神を信じる人々。
彼らは知らない。
自分たちが祈っている相手が、存在しないことを。
「……これ、まずいな」
律は歩き出した。
セリアが隣に並ぶ。
「次はギルドね」
「ええ」
二人は街の中心部へ向かった。
神のいない世界で。
システムだけが動く世界で。
律は、静かに決意した。
「仕様を、全部読む」
この世界の真実を。
裏側を。
設計図を。
そして――
「なぜ俺が、ここにいるのか」
その答えを、見つける。




