第3話:詠唱文字がUIに見える
翌朝。
村長が用意してくれた朝食は、黒パンとスープだった。味は悪くない。ただ、塩気が強い。保存のためだろう。
「街までは馬車で半日ほどだ。御者のダンが送ってくれる」
村長が紹介してくれたのは、五十代くらいの無口な男だった。髭面で、目つきは鋭い。だが悪い人間じゃなさそうだ。
「世話になります」
律は荷物を――といっても何もないが――持たずに馬車に乗り込んだ。
村を出る。森の道。轍の跡。空気は冷たく、朝露がまだ草に残っている。
馬車の揺れは激しい。サスペンションなんてない。ただの木の車輪が、石や木の根を踏むたびにガタガタと揺れる。
律は窓の外を眺めた。
木々の隙間から、遠くに山が見える。空は青い。鳥が飛んでいる。
そして、視界の端には相変わらず文字が浮かんでいる。
『同期開始まで:残り 28日』
一日が経った。カウントダウンは続いている。
律は目を閉じた。考えを整理する。
わかっていること。
この世界はシステムで動いている。
魔法は、音声入力による実行コマンド。
ステータスは、データベース管理。
そして、俺は『Admin-Less』――管理者権限なき例外。
わからないこと。
なぜ俺がここに来たのか。
なぜ権限がないのか。
29日後に何が起こるのか。
そして――この世界を作ったのは誰なのか。
「……っ!」
突然、馬車が止まった。
御者のダンが低い声で言った。
「動くな」
律は身を低くし、窓から外を覗いた。
道の先に、人影が見えた。いや、人じゃない。
灰色の肌。鋭い爪。獣のような姿勢。目が赤く光っている。
魔物だ。
三体。道を塞ぐように立っている。
ダンが剣を抜いた。
「……ゴブリンか。厄介だな」
「戦うんですか?」
「逃げても追ってくる。ここで倒すしかない」
ダンが馬車から降りる。律も続いた。
「お前は下がってろ」
「……すみません」
律は馬車の影に隠れながら、ゴブリンを観察した。
三体とも、武器を持っている。棍棒と、錆びた短剣。知能がある。集団で行動している。
そして。
律の視界に、文字が浮かんだ。
『対象:Goblin』
『レベル:3』
『HP:45/45』
『状態:警戒』
……見えてる。
ゴブリンのステータスが、見えている。
ダンが剣を構える。ゴブリンの一体が、吠えながら突進してきた。
ダンの剣が閃く。ゴブリンの腕が斬られ、血が飛ぶ。
『Goblin HP:45 → 32』
ダメージ量まで見えた。
律は息を止めた。
これは、まずい。
あまりにも見えすぎている。
ゴブリンがもう一体、ダンに襲いかかる。ダンは防御しきれず、肩を引っ掻かれた。
「くっ……」
その時。
道の反対側から、声が響いた。
「――風よ、刃となれ」
女性の声。澄んでいて、響きがある。
瞬間、風が唸った。
目に見えない刃が空気を切り裂き、ゴブリンの一体を吹き飛ばす。
『Goblin HP:45 → 0』
『状態:死亡』
一撃。
律は声のした方を見た。
道の先に、一人の女性が立っていた。
年齢は二十代前半。長い黒髪。青い瞳。手には杖を持っている。魔法使いの服装だ。ローブと革のベルト。
そして、彼女が詠唱を続ける。
「風よ――」
その瞬間。
律には、別のものが見えた。
女性の口元から発せられる音と同時に、空中に文字が浮かんだ。
光る文字。幾何学的な配置。円と記号の組み合わせ。
だが、それだけじゃない。
文字が、重なって見える。
一つ目の層。詠唱の音。
二つ目の層。魔法文字の配列。
三つ目の層。パラメータの数値。
四つ目の層。実行ログ。
すべてが同時に、重なり合って表示されている。
まるで、透明なディスプレイが何枚も重ねられているような。
『魔法実行検知』
『プロセス:Wind_Blade』
『構文解析:完了』
『パラメータ:[強度:8][速度:12][貫通:5]』
『対象指定:Goblin × 2』
文字列が流れる。
詠唱が完了する。
風の刃が放たれ、残りのゴブリン二体を切り裂く。
戦闘終了。
女性が杖を下ろし、こちらへ歩いてくる。
「大丈夫ですか?」
「……ああ、助かった」
ダンが肩を押さえながら礼を言う。
女性は律に視線を向けた。
「あなたは……無事?」
「はい。ありがとうございます」
律は女性を見た。
彼女の周囲には、まだ薄い文字が浮かんでいる。魔法の残滓。ログの断片。
『プロセス終了:正常』
『消費リソース:8.5MP』
『残リソース:72.3/80.8MP』
魔力の残量まで見えている。
「私はセリア。翻訳者をやってる」
「……翻訳者?」
律が聞き返すと、セリアは少しだけ笑った。
「古い文書を読む仕事。魔法文字とか、古代語とか」
「魔法文字……」
律の脳裏に、さっき見た光景が蘇る。
重なり合う文字。層になった情報。
「魔法文字って、見えるんですか?」
「ん? ああ、詠唱中は少しだけね。普通は見えないけど、訓練すれば見えるようになる」
普通は見えない。
訓練すれば見える。
じゃあ、俺が見てるのは?
セリアが首を傾げる。
「……あんた、何か変なもの見てない?」
「え?」
「さっきから、視線が妙なのよ。まるで、空中に何かあるみたいに」
律は息を止めた。
バレてる。
「……気のせいじゃないですか」
「そう? まあいいけど」
セリアは肩をすくめ、ダンの手当てを始めた。回復魔法らしい。緑色の光が傷口を包み、出血が止まる。
律は視線を逸らし、再び空中の文字を見た。
魔法文字が重なって見える。
層になって見える。
UIとして見える。
これは、偶然じゃない。
「……端末、か」
律は呟いた。
魔法は、端末インターフェースだ。
詠唱は入力。魔法文字は構文。実行結果は出力。
そして、俺はその全層を同時に見ている。
まるで、デバッグモードが有効になっているかのように。
「お前、名前は?」
セリアが唐突に聞いてきた。
「……相川律」
「アイカワ、ね。変わった名前」
セリアは律をじっと見た。
「あんた、冒険者?」
「いえ。これから登録に行くところです」
「ふうん。ステータスは?」
「……測定できませんでした」
セリアの目が、わずかに細くなった。
「測定できない?」
「水晶が反応しなかったんです」
沈黙。
セリアは何かを考え込むような顔をした。そして、小さく息を吐いた。
「……面白いわね、あんた」
「何がですか?」
「言わなくていいなら、言わない。それでいい」
セリアは笑った。
「私も街に行く。一緒に行きましょ」
そう言って、彼女は馬車に乗り込んだ。
律も続く。
馬車が動き出す。
窓の外を流れる景色。
視界の端に浮かぶ文字。
『同期開始まで:残り 28日』
そして、セリアの言葉が頭に残る。
「言わなくていいなら、言わない」
彼女は、気づいている。
律が何かを隠していることに。
だが、追及しなかった。
律は窓の外を見つめた。
魔法文字が重なって見える。
UIが見える。
ログが見える。
この世界の裏側が、少しずつ見えてきている。
律は呟いた。
「この魔法、設計が綺麗すぎる」
綺麗すぎて、怖い。




