第17話:リーネと交渉
ダンジョンから戻ったのは、夜だった。
四人は疲れ切っていた。特にセリアは、魔力を使い果たして足取りがおぼつかない。
「大丈夫か?」
ガルムがセリアを支える。
「……なんとか」
「宿に戻ろう。今日はもう休め」
眠る猫亭に戻った。
女将が驚いた顔で迎えた。
「あんたたち、どこ行ってたの? ボロボロじゃないか」
「ちょっと、遠出を」
「嘘おっしゃい。ダンジョンでしょう」
女将は呆れた顔をしたが、すぐに部屋を用意してくれた。
「風呂も沸かしてあるよ。先に入りな」
「ありがとうございます」
四人は順番に風呂に入り、泥と血を落とした。
部屋に戻ると、女将が食事を持ってきてくれた。
温かいスープ、パン、肉料理。
「食べて、寝な。話は明日でいいでしょ」
「すみません」
四人は無言で食べた。
疲れすぎて、会話する気力もない。
食後、それぞれの部屋へ戻った。
律はベッドに倒れ込んだ。
視界の端に、文字が浮かぶ。
『同期開始まで:残り 24日』
24日。
そして、今日わかったこと。
世界は、魔力が枯渇しつつある。
古代装置は、負荷85%。
このままでは、破綻する。
「……どうすればいい」
律は天井を見た。
魔力供給を安定させる方法。
システムの負荷を減らす方法。
考えないと。
だが、疲労が勝った。
律は、意識を失った。
翌朝。
ノックの音で目が覚めた。
「律、起きてる?」
セリアの声。
「……はい」
扉を開けると、セリアが立っていた。
昨日よりは顔色がいい。
「ギルドに行くわよ。エドガーに報告しないと」
「わかりました」
二人は階下へ降りた。
ガルムとクロウもすでに起きていた。
「おはよう」
「おはよう」
簡単な朝食を済ませ、四人はギルドへ向かった。
朝のギルドは相変わらず混雑していた。
だが、何か様子が違う。
情報掲示板の前に、大勢の冒険者が集まっている。
「何だろう?」
近づくと、掲示板には新しい情報がびっしりと書かれていた。
【緊急情報】
・東の森:モンスター大量発生
・北の街道:魔物の群れ目撃
・西のダンジョン:崩落事故
「……増えてるわね」
セリアが呟いた。
「魔物の活動が活発化してる」
「魔力の乱れのせいかもしれません」
律はエドガーの部屋へ向かった。
ノックすると、中から声がした。
「入れ」
部屋に入ると、エドガーがいた。
だが、一人ではない。
もう一人、女性がいた。
年齢は二十代後半。長い金髪。青い瞳。上品な服装。
だが、その目は鋭い。
「……客か」
エドガーが律を見た。
「ちょうどいい。紹介する」
女性が立ち上がった。
「初めまして。私はリーネ・カスティル」
穏やかな声。
だが、計算された響き。
「王国宮廷の外交官です」
律の視界に、情報が浮かんだ。
『対象:ヒューマン』
『レベル:12』
『職業:外交官』
『特性:交渉術、情報収集、政治力』
外交官。
「相川律です」
「ああ、噂の。ステータスが測定できない方」
リーネは微笑んだ。
「お会いできて光栄です」
その笑顔は、完璧だった。
だが、目は笑っていない。
「エドガー、この方が?」
「ああ。情報掲示板を提案した男だ」
リーネが律を見た。
「なるほど。あの掲示板、評判がいいようですね」
「……そうなんですか?」
「ええ。冒険者の死亡率が、先週より15%減少しました」
リーネは書類を取り出した。
「データを取ってみたんです。情報共有の効果を」
「データを?」
「ええ。王国としても、冒険者の減少は問題ですから」
リーネは書類を机に置いた。
「それで、提案があります」
「提案?」
「この情報共有システムを、他のギルドにも導入したい」
律は目を見開いた。
「他のギルドに?」
「ええ。王国内のすべてのギルドに」
リーネは穏やかに言った。
「計算上は、冒険者の死亡率を30%削減できます」
セリアが口を開いた。
「それは……いいことじゃない?」
「ええ。いいことです」
リーネは微笑んだ。
「ただし、条件があります」
律は身構えた。
「条件?」
「この制度を、王国公認にしたい」
「……どういうことですか」
「つまり、相川律さん。あなたを、王国の顧問として雇用したいんです」
沈黙。
エドガーが言った。
「リーネが直々に交渉に来た。王国は本気だ」
リーネが頷いた。
「ええ。あなたの才能は、王国にとって貴重です」
律は考えた。
王国の顧問。
それは、権力を持つということ。
制度改革を進めやすくなる。
だが――
「断ったら?」
リーネの笑顔が、わずかに固まった。
「それは困りましたね」
リーネは腕を組んだ。
「あなたが断ると、他のギルドへの導入が難しくなります」
「なぜですか?」
「発案者が不明のまま制度を広めるのは、政治的に難しいんです」
リーネは真剣な顔で言った。
「誰が責任を取るのか。誰が管理するのか。それが明確でないと、貴族たちが反対します」
律は黙った。
リーネは続けた。
「あなたが王国の顧問になれば、制度に正当性が生まれます」
「……正当性」
「ええ。王国公認の制度。王国が責任を持つ制度」
リーネは律を見た。
「それが、政治です」
セリアが言った。
「でも、律は自由がなくなるわよ」
「自由は保証します」
リーネは即答した。
「顧問は名目上の役職です。あなたに命令することはありません」
「本当ですか?」
「ええ。ただ、必要に応じて助言をいただくだけ」
リーネは書類を律に渡した。
「契約内容はこちらです。読んでみてください」
律は書類を読んだ。
【王国顧問契約書】
・役職:制度改革顧問
・報酬:月に金貨10枚
・義務:月に一度の報告会への出席
・権限:ギルドへの制度提案権、王国資料へのアクセス権
・契約期間:一年間(更新可)
報酬は悪くない。
義務も最小限。
権限は広い。
だが――
「これ、俺を管理するためのものですよね」
リーネの目が、わずかに細くなった。
「……鋭いですね」
「顧問にすれば、俺の行動を把握できる」
「そうです」
リーネは隠さなかった。
「王国は、あなたを警戒しています」
「警戒?」
「ステータスが測定できない。魔法が効かない。そして、制度改革を提案する」
リーネは真剣な顔で言った。
「あなたは、危険な存在です」
律は黙った。
「だから、管理したい?」
「管理というより、協力関係を築きたいんです」
リーネは穏やかに言った。
「あなたを敵にするより、味方にする方が得です。計算上は」
律は考えた。
王国と協力する。
それは、リスクだ。
だが、メリットもある。
制度改革を進めやすくなる。
情報にアクセスできる。
資源が使える。
「……条件を追加させてください」
「どうぞ」
律は言った。
「俺の仲間も、顧問に加えてください」
リーネが首を傾げた。
「仲間?」
「セリア・ノルディス。翻訳者です」
セリアが驚いた顔をした。
「律、私は――」
「あなたがいないと、俺は何もできません」
律はセリアを見た。
「一緒に、来てください」
セリアは黙った。
そして、小さく笑った。
「……仕方ないわね」
リーネが頷いた。
「了解しました。セリア・ノルディスさんも、副顧問として雇用します」
リーネは書類を修正した。
「他には?」
「もう一つ」
「何ですか?」
「この契約、いつでも破棄できるようにしてください」
リーネが目を細めた。
「……それは、王国にとってリスクです」
「俺にとってもリスクです」
律は真剣な顔で言った。
「お互いに、信用できない。なら、お互いに逃げ道を残すべきです」
リーネは黙った。
長い沈黙の後。
「……わかりました」
リーネは書類に追記した。
「契約は、双方の合意により、いつでも解除可能」
リーネは書類を律に渡した。
「これで、いかがですか?」
律は書類を読み直した。
悪くない。
むしろ、好条件だ。
「……わかりました」
律は書類にサインした。
セリアも、副顧問としてサインする。
「では、契約成立です」
リーネは微笑んだ。
「よろしくお願いします、相川律顧問」
握手を交わす。
リーネの手は冷たかった。
「明日、王都で報告会があります。出席をお願いします」
「わかりました」
「では、また」
リーネは部屋を出ていった。
沈黙。
エドガーが言った。
「……いいのか?」
「わかりません」
「後悔するかもしれんぞ」
「多分」
律は窓の外を見た。
「でも、これが最善だと思います」
セリアが肩をすくめた。
「まあ、私も付き合うから」
「すみません」
「謝らなくていいわよ」
視界の端に、文字が浮かぶ。
『同期開始まで:残り 24日』
24日。
時間は減っている。
だが、今日一つ、足場を得た。
律は呟いた。
「制度改革、次の段階へ」
王国との協力。
それは、諸刃の剣。
だが、必要な一歩。




