1 春は寂しさと懐かしさを連れて
ある所に海に囲まれた小島がありました。
小島からは、遠くに大きな陸地が見えてました。
小島には四季があり、そこにある小高い丘には、お爺さんが一人で住む一軒家がありました。
春
今日は暖かな南風が吹いてました。
雪解けはさらに進んだので、海辺はもちろん、お爺さんの家の周りにあった雪も無くなってました。
お爺さんの家の庭には、お爺さんが生まれる前から植えられていた、沢山の水仙が白や黄色の花を付けてました。
それは、家にネズミを近づけさせないためにと、お爺さんのお父さんとお母さんが、この家を建てた時に植えた水仙が少しずつ増えてできた、春の庭でした。
夕暮れ前の家の中。
暖炉の前にある椅子に座り、窓越しに水仙を眺めてたお爺さんは、ゆっくりと立ち上がると庭に出ました。
それからドアを開け庭に出ると、家の中からたくさん見えていていた水仙の近くまで歩き、白や黄色に色付く花弁を眺めました。
水仙の群れは南風に吹かれユラユラと揺れてました。
「うわぁ~。きれいだなぁ・・・!」
急に聞こえた子供の声に、お爺さんは驚きました。
その声はお爺さんの直ぐ側から聞こえたのです。
声のした近くを見ると、小さな男の子がお爺さんの側でしゃがみこんで居ました。
年の頃は5歳ぐらいでしょうか。
(この子は・・・いつの間に、ここに?・・・どこから来たのだろうか?)
お爺さんは、驚きながら、小さな男の子を見下ろしてました。
するとその男の子は、じっと水仙を眺めてましたが、すっと腕を伸ばすと、水仙の花弁を手で触ろうとしました。
お爺さんは、ハッとして「ああ・・・その花に触ってはいけないよ!」と、言いました。
見知らぬ男の子は驚いて、お爺さんの顔を見上げました。
するとお爺さんは「その花は水仙と言ってね。花にも毒があるからね。触ると良くないんだよ」と、優しく言いました。
しゃがんでいた子供は「やっぱり、そうなんだぁ・・・毒なんだぁ!」と言って立ち上がると、花に触った訳でもない手を自分のズボンにこすって拭きました。
お爺さんは「お前さんは、一人でここに来たのかい?」と、子供に聞きました。
男の子は「ううん」と首を振ると「お父さんとお母さんもいっしょ」と言いました。
「そうかい」と言ってお爺さんは辺りを見渡しましたが、男の子のお父さんもお母さんも見当たりません。
お爺さんの家は小島にある小さな村から離れてましたし、近くに住んでる人も居ないので(ここへ来る知り合いに、こんな子供は居ないはずだがなぁ・・・)と思い、少し不安になりました。
男の子は「ぼく。ここから見る海とか、山とか、遠くの島とか、すっごく好きなんだ」と言いました。
「そうかい」と答えたお爺さんでしたが(この子は、この場所を知ってるみたいだが・・・いったい、いつ来たことがあるのだろうか?)と思いました。
「でも、すいせん?って花がこんなに沢山咲いてるのは初めてみた」
「そうかい。これは花はキレイだし、ネズミも遠ざけてくれるのでね。私の親が家の周りに植えたんだ」
「こんなに、たくさん?」
「いや・・・。この辺りは水仙にとって住みやすい場所だったからだろう。最初は少しだったけど、その後は何年もかかって、勝手にこんなに増えたんだよ」
「ふ~ん・・・・すごいね」
「そうだね。思えば確かに凄いね・・・」そう言ってお爺さんは、改めて自分の家の周りに咲き乱れる水仙を見ました。
そして、家の庭に水仙を植えてくれたお父さんとお母さんに(ありがとう)と思いながら目を目を閉じ、辺りの匂いを嗅ぎました。
お爺さんは、海風に吹かれて流れて来る、水仙の甘くて華やかな香りを感じました。
するとお爺さんは、自分がまだ子供だった時の事を思い出したのでした・・・。
その頃のお爺さんは、ちょうど今、自分の近くに居る見知らぬ子供と同じぐらいの年頃でした。
家の庭には水仙が咲いてましたが、今ほど沢山ではありませんでした。
子供のお爺さんは水仙の花の前にしゃがみ込むと「うわぁ~。きれいだなぁ・・・」と言って、その花に触ろうと、そっと手を伸ばしました。
お爺さんは、本当はそんな事をしてはダメだと、お父さんやお母さんに言われてましたが、いつも、そうキツく言われる程に(いつかは触ってみたい!)と思ってたのです。
それで今なら、お父さんにも、お母さんも見つからないと思ったので水仙に触ろうとしたのです。
もう少しで、花弁にさわれそうです。
しかし、その時でした。
「ああ・・・その花に触ってはいけないよ!」と言われて驚きました。
子供の時のお爺さんは、驚いて声のした方を見ました。
そこにはいつの間にか、知らないお爺さんが立って居ました。
その『知らないお爺』さんの顔や姿は、オレンジ色の光に包まれて良く見えません。
本当は思い出せないだけかも知れません。
なぜなら、お爺さんは、このお爺さんとそれまでも何度か会った事があったと思ったからです。
このお爺さんは、お爺さんが子供の頃には、時々、この家にきてたのです。
それがなぜだったのかは分かりません。
お爺さんも、今まで忘れていたのを水仙の香りで急に思い出したのです。
(ああ・・・そうだ。あのお爺さん・・・時々、私と話した事があったなぁ・・・父さんか母さんの知り合いだったろうか・・・?それとも、近くの村の人だったろうか?)
そう思ったお爺さんでしたが、お爺さんが子供の頃には、もうお爺さんだったですから、きっともう、お亡くなりになってるのだろうなと思いました。
「あのお爺さんはいったい・・・」と、お爺さんは独り言のように言いながら目を開けると、さっきまで居た筈の子供が居ない事に気が付きました。
「おや?・・・いつの間にあの子は?」と、お爺さんは、男の子の足音もしなかった事を不思議に思い、辺りを見渡しました。
お爺さんの家は小高い丘の上にありますし、家から丘の下に降りる道は一つしかありません。
子供が帰るとしたら、どこまでも見えるその道を戻ってる筈なのに・・・子供の姿はありませんでした。
(あの子は、親と一緒に来てると言ってたが・・・)
お爺さんは不思議に思いましたし、子供が無事に家に帰れるのか心配でもありました。
ですが、お爺さんには、あても無く子供を探す体力はありませんでした。
それに太陽も、もう少しで海の向こうに沈もうとしてました。
(どこの子供だったのか・・・?この辺にはなれてる様子だったが。親に連れられて無事に家に帰れてると良いが・・・)
お爺さんは、そう思うと不安に思いながらも、暗くなって足元が見づらくなる前にと、家に戻りました。
それから、いつも座りなれた暖炉の前の椅子に座ると、その横に積んであった一本の薪を掴んで、暖炉の中に放り込みました。
薪が暖炉の中に入ると「ゴン!」と音を立てて、中で燃えていた薪を崩し、火の粉を散らしました。
同時に、その火の粉の明かりは、深いシワの刻まれたお爺さんの顔を浮かび上がらせました。
お爺さんの顔は、不安そうでもあり、何かを思いだそうとしてるようでもありました・・・。
「お前が、まだ居てくれたならなぁ・・・。『今日は、こんな変わった事があったんだ』って、お前に話せるのになぁ・・・」
お爺さんはそう言うと、部屋の壁に置かれてる棚の上を見ました。
そこには、いくつかの白黒の写真が、額縁が付いた写真立てに入れられ飾られてました。
お爺さんは、その中の一枚を見ました。
そこには、薔薇の花束を持った、優しそうな顔をしたお婆さんが写っていました。
そのお婆さんは、今はもう、お爺さんが絶対に会う事ができない遠い所に行ってしまった、お爺さんお嫁さんなのでした。
それから暫く、お爺さんは写真を見つめて居ました。
そして時々、お爺さんは写真に微笑み、独りでうなずいたりもしてました・・・。
それから暫くすると、島の上に広がる空に星が瞬き始めました。
お爺さんは椅子から立ち上がると、火が弱ってた暖炉に数本の薪をまとめて焚べました。
それから、部屋の片隅の棚に置いてあるトランジスター・ラジオのスイッチを入れました。
ラジオからは、シャンソンの前奏が聞こえてきて、それから女性の歌声で昔を懐かしむ歌が流れてきました。
お爺さんはラジオのボリュームを上げると、暖炉の前の椅子に戻って座り、その歌声と歌詞に耳を傾けました・・・。
『今日の希望が また消えたとしても
明日には 明日の希望があるさ
明日が今日になって また希望が消えたとしても
心の灯は 消えはしない
私の灯は 消えはしない
いつか あなたに花束を送る
これまでの 気持ちをすべてつめた
いつか あなたに花束を送る
いつか あなたに花束を送る』
お爺さんは少しの間、ラジオから流れる音楽を暖炉で薪が弾ける音と一緒に聞いて居ました・・・。
女性が歌うシャンソンが終わると、次は明るい調子の音楽に変わりました。
お爺さんは椅子から立ち上がると、部屋の明かりのスイッチを入れました。
家の中は、電球の光で黄色く照らされます。
お爺さんは、薔薇の花束を持ったお婆さんの写真に向かって微笑み掛けると「懐かしい歌だったな」と、言いました。
それから、お爺さんは台所に向かうと、そこの明かりも点けました。
台所に立ったお爺さんは、冷蔵庫のドアを開け、少しの鶏肉とホウレン草を取り出すと、自分一人の為の『簡単な夕食』の支度を始めました・・・。
今夜の献立は、塩コショウとバターだけで作る、鶏肉とホウレン草のソテーでした。
辺りに明かりが無い小高い丘の上に建つお爺さんの一軒家からは、鶏肉が焼ける美味しそうな匂いがし始めました。
丸太でできたお爺さんの家の窓からは、暖かですが少し寂しげな明かりが外を照らしてました・・・。
庭に咲き、潮風に揺れる水仙達を照らしてました・・・。
つづく
つづく




