プロローグ 早春
早春。
遠くに陸地が見える海に、小島がありました。
小島は少し前まで長い冬のなかでした。
小島にある高い山にも、遠くに見える陸地の山にも、雪が白く積もってるのが霞んで見えました。
小島の南の海岸には小高い丘がありました。
その丘の下に広がる海岸は広い砂浜になっていて、海辺の雪は波風で削られて消えて、茶色い砂が見えてましたが、そこから陸地の方は白い雪に覆われてました。
この丘は特別な場所でした。
それは、この丘がある場所は島の南であるというだけでなく、島から海に競り出た南端と呼ばれる場所だったからです。
南端であるこの丘は、北の方角に林が広がり、その向こうには森に覆われた山がありました。
太陽の動きに合わせてできる山の影は、朝と夜は長くなるので、山の東側と西側には朝と夕方に影が落ちましたが、この丘はいつも日当たりが良いのです。
島から競り出した丘は、海から昇る朝日も、海に沈む夕日も、どちらも見る事ができるので、島では特別な場所なのでした。
その特別な南端の丘には、丸太でできた一軒の家がありました。
そのお家には、お爺さんが一人で暮らして居ました。
長い冬が明け、暖かい日が増えて、雪解けが進んだある朝。
お爺さんは、まだ家の庭に残ってる雪を、ゴム長靴に縛り付けたカンジキで踏みしめながら、海が見える所まで来て立って居ました。
「今日は、久しぶりに穏やかな海だ・・・」
灰色の髭を潮風に揺らしながら、お爺さんは楽しそうでもなさそうに言うと、それからしばらくの間、砂浜と海を見下ろして居ました・・・。
お爺さんがこの家で一人で暮らすようになってから、もう十年以上もたっていました。
お爺さんが最後に誰と一緒に暮らしてたのは、お爺さんに連れ添ったお婆さんが生きて居た時まででした。
お婆さんもお婆さんもこの島で生まれ育ちました。
お爺さんは、島の小さな漁村の漁師の息子でした。
お婆さんも同じ漁村の娘でした。
二人は幼馴染でした。
それが年頃になって、お互いを好きになったので結婚したのです。
結婚した二人は、冬は住むのが大変そうだったこの丘を人から買って、両親や親戚や友達に手伝ったりしてもらい、丸太の家を建てたのでした。
それからお爺さんとお婆さんの間には、三人の子供が生まれてました。
最初に男の子。
次に女の子。
最後は男の子でした。
家族五人は、苦しみも楽しみも一緒にして、暮らしました・・・。
それから何年も何年もして、子供達が、一人、また一人と大人になると、この家から本土にある街に住むようになりました。
それから何年もすると、子供達はそれぞれ結婚して、子供が生まれました。
それぞれが、それぞれの家族を持ったのです。
お爺さんもお婆さんも、子供達の結婚式や、娘やお嫁さんの出産やで、何度も本土に行きました。
子供達も家族を連れて、この家まで遊びに来てくれたりもしました。
それはそれは忙しくて・・・そして、幸せな日々でした・・・。
海を眺めてたお爺さんは、ふと、自分の左を見ました。
それから、寂しそうに目を細めると「お前と一緒に並んで、最後に春先の海を眺めたのは、いったい、いつの事だったろうかな・・・?」と、力無く言いました・・・。
昔の事を思い出して、そう言った爺さんでしたが、このごろは、あまり年月を感じなくなっていました。
今が春先だとは分かるのですが、今日が何月の何日かとかは、もう、どうでも良くなっていたのです。
「また、今年も春を迎えられてしまったな・・・」
そう言ってお爺さんは自分の家の方を振り返ると、その家の横に丸太と木の屋根で作られた軒の下を見ました。
そこには、たくさんの薪が積まれてました。
「今年の冬は寒さが厳しく無かったから、何とか足りたよ」と、そう言ったお爺さんは、ホッとするでも無く・・・ただただ、寂しそうでした・・・。
お爺さんが見てる薪は、去年の秋にお爺さんが家の裏山の木を切り倒して作った薪でした。
それは、次の冬に備えて乾燥させてる薪でしたが、ここで一冬を越すには心許ない量でした。
去年の秋は、お爺さんは思うように体が動かなかったのと、荒れた天気が多かったので、思うように薪を作れなかったのです。
お爺さんは、去年の秋の苦労を思い出しながら、積まれた薪を眺めて居ました・・・。
「今年は、しっかりと薪を蓄えられるといいがな・・・」と、そう言ったお爺さんは、家の裏山の方を見ました。
山はまだ白く、多くの雪が残ってました・・・。
暖かな春は、もう少し先なのです。




