第7話 夏祭り(1)
第8話公開しました
「おーい、加奈~」
その声を聞くだけで胸が跳ねる。振り向けば、幸助が手を振っていた。聞き慣れているのに、どうしてこんなにドキドキするんだろう。
「幸助!」
気づいたら抱きついていた。化粧とか、そういうの全部どうでもよかった。だって、抱きしめたくなるくらい、好きなんだから。
「幸助、浴衣似合ってる」
「ありがとう。加奈ちゃんも、すっごく素敵だよ」
その言葉が、まっすぐ胸に落ちた。
うれしい。しあわせ。…でも。
幸助の頭に浮かぶ“330”の数字が、私の喜びの端を少しずつ削っていく。
(どうして…)
わかっていたはずなのに、涙が出そうになった。
でも、泣いてる時間なんてない。時間は、私たちにとって誰よりもシビアなんだから。
「ねえ幸助、射的しない?」
「懐かしいな。いいよ」
夏祭りの明かりの中、私は幸助の手を引いて射的屋へ向かった。
横を見れば、くじ引きではしゃぐ親子、騒いで笑う若者たち、りんご飴を分け合うカップル。
そんな“祭りらしい光景”が、私たちの恋を背中からそっと押してくれるように思えた。
「いらっしゃい、あんたらカップルか?」
大柄なおじさんがニヤリと笑う。
「おい、今のうちにイチャイチャしとけよ。結婚したら…いや、子どもができたら、仲なんて変わっちまうんだからな」
その言葉は冗談めいていたけど、どこか真理を突いていた。
おじさんは知らない。幸助が“330”の数字を抱えていることを。
そんな未来、私たちには訪れないかもしれない。
でも――気持ちにだって、賞味期限がある。
そう思うと、やけに納得できてしまった。
「おじさん、射的やらせてよ!この大きいぬいぐるみ、絶対取ってやるんだから!」
意気込んで打ち始めたものの――
「むずっ……全然落ちない!当たってるのに落ちないじゃん!これ取れないやつでしょ!」
おじさんは笑いながら言った。
「いや、ちゃんと落ちるよ。工夫しないと無理だけどな」
そのとき、幸助がぽつりとつぶやいた。
「あ、多分わかった。加奈、次は取れるよ。ぬいぐるみ撃ってみて」
言われた通りに撃つ。
同時に、幸助も撃った。
そして――ぬいぐるみはコロン、と落ちた。
「お兄ちゃん、頭いいな!そうなんだよ。落ちるけど、一人じゃまず無理。二人か三人で同時に狙わないと落ちない仕掛けなんだよな。よく気づいたなぁ」
幸助は照れくさそうに笑った。
「ありがとうございます。加奈の“子どもみたいな目”見たら、どうしても取ってあげたくなって」
胸がぎゅっとなる。
私のために、必死に考えて、動いてくれて。
「いや~ラブラブだなぁ。仕掛け見破ったご褒美だ。ほら、お菓子もつけてやるよ。他の客には内緒な!」
「ありがとうごさいます」
私は、すごくしあわせだ。
射的のおじさんは優しいし、幸助も私を喜ばすために試行錯誤してくれる。
この数字さえなければな…
そう考えているときだった。
幸助が金魚すくいを見つけたらしい。
「お~い、加奈金魚すくいあるよ、一緒にしよう」
幸助の声。
本当に幸助は私にとって太陽のようだ
「今行く~」
私は、金魚の屋台のほうに向かって走った。
ただ少し違和感があった。
金魚の屋台の店主は、なぜか、幸助を食い気味で見ていたのだ。
そこに私が、幸助に抱き着いてきたため、さらに驚いていた。
店主は、ゆっくりと覚悟を決めたかのように言った。
「…彼女さんかい」
店主の言葉はなぜかとても重い。
私は、何かしてしまったかのように感じあやまった。
「ごめんなさい、こんな公共の前で」
「いや、あんたは悪くない。俺がこんな暗そうに話しかけて申し訳ない。ちょっと事情があってね…お詫びとして五号のポイ使っていいよ」
五号、そのポイは子どもに配る“とても破れにくい”特別なポイだった。
私たちは、嬉々としてそれを受け取った。
ただ、金魚すくいを始める直前、店主は重たい声で言った。
「ちょっと彼女さん。話がある。奥に来てくれないか。…彼氏さん、あんたは来ちゃだめだ」
意味がわからず、胸の奥に疑問がひっかかった。
理由を聞こうとした瞬間、幸助が一歩前に出た。
「なんで俺はだめなんですか。俺はこの子の彼氏です。聞く権利くらいあると思います」
しかし、店主は首を横に振った。
「いや、あんたが知ったらよくない。ほら、“知らぬが仏”って言うだろ。あんたのためにならんのだ」
そう言うと、彼は身分証を差し出した。
「ただ、あんたの言い分も理解できる。もし私が彼女さんを誘拐したり変なことをしたら、遠慮なく通報しな。
それから彼女さん。もし“彼氏さんに言うべきだ”と思ったら好きに伝えてくれていい。ただ…私の口からは言わんほうがいい」
あまりに真剣な表情に、思わず息がつまるほどだった。
「わかりました。ただし、加奈に何かあったら容赦しません」
「おう、好きにしな。…加奈と言ったな。こっちへ来い」
幸助に背中を押されるように、私は店主のあとを追った。
ほんの数十メートルなのに、足取りは重く、道がやけに長く感じられた。
辿り着いた先は、雑草がうねるように生い茂った薄暗い場所で、空気は湿り、なにかが潜んでいそうな気配があった。その奥に、古びた“休憩場”らしきスペースがぽつんとあった。
店主は私を椅子に座らせ、深く息を吸ってから口を開いた。
「なあ…あんた。彼氏さんの寿命が“見える”んだな?」
胸の奥がきゅっと跳ねた。
驚き。でもそれ以上に、“やっと誰かに言われた”という奇妙な安堵が広がった。
「…はい。見えます」
そう答えると、店主の目は喜びとも悲しみともつかない色を帯びた。
「そうか…。じゃあ、彼氏さんに見えてる“330”って数字も、わかってるんだな」
私は黙ってうなずいた。
店主は遠くを見るように目を細め、静かに語り始めた。
「数字はどう頑張っても変わらん。二年後に死ぬと知ってから、妻は危険に気づいて検査に行き、運よくステージ1で見つかって助かった。
…だが結局、別の事故で死んだ。数字は残酷だ。どれだけ抗っても、死ぬ時は死ぬ」
言葉と一緒に深い後悔が落ちていった。
「…でもな。知っていたからこそ、大事にできたはずの時間があった。私はそれができんかった。妻が死んでから気づいたんだ」
そして、彼は真っすぐ私を見つめた。
「だから——」
「だからお前さんには、彼氏さんとの時間を死ぬほど大事にしてほしい。後悔のないようにな。
私はこの能力を持つ人間に会ったことがなかった。だから、あんたに会えたことが本当に嬉しい。
私が妻にしてやれなかった分まで…彼氏さんを愛してやってくれ。言いたかったのは、それだけだ」
長い沈黙のあと、私はゆっくりと言葉を返した。
「…はい。私もわかっています。数字は絶対に変えられない。だからこそ、幸助との人生をめいっぱい楽しみたい。後悔したくないんです」
言っているうちに、自然と口元がゆるんだ。
「それに…あなたに会えて本当に嬉しかった。私はずっと孤独でした。誰にもこの能力を共有できなくて、苦しくて…。
でも、あなたが気づいてくれて救われました。ありがとうございます」
いつのまにか涙がこぼれていた。
隠してきた苦しさが、静かに溶けていった。
「そうか。私も嬉しかったよ。彼氏さんの頭をちょくちょく見ていてな、ひょっとしたらと思っていたが…まさか本当に同じ能力とはな」
もう、店主の顔には先ほどの怖さはなかった。
私は、胸の奥が軽くなるのを感じながら幸助のもとへ戻った。
帰り道は、行きの時とは違って、不思議と何の怖さもなかった。




