理想と願い
ラグナ=フィレイルという人間は、ロイハルト王国の辺境で生まれた農民だ。普通の人と異なる点があるとすれば、辺境には魔物がいて、両親がそういった魔物の犠牲になったことだろうか。
とはいえそれは「辺境によくある話」の一つではあるので、俺が珍しい境遇というわけではなかった……僻地や辺境では往々にしてこういう悲劇がある。
俺は生まれた村の人達によって育てられ、十五歳を迎えた時に選択に迫られた。一つは村に居続け畑を耕し生きる道。もう一つは、護身用に教えてもらった剣術と魔法を使い、傭兵となる道。
村の人達は、どちらに進んでもいいということを言ってくれ、俺は選ぶことができた。結果、自分のような人間を出さないように……という理由から、剣を手に取る道を選んだ。自分の実力が足らないことはわかりきっていたし、不安は大きかったけど、俺にやれることはあるんじゃないか……そんな風に思ったのだ。
結果として、俺はどうにかやってこれた……自分の実力は底辺クラスではあったけど、数日前の戦いとは別に大規模な魔物討伐に参加した経験とかもある。まあやってたことは雑用だけど。
パワハラをするような同業者と当たることもなかったし、仲間とワイワイやってこれた。この稼業をやっていて大変だったことはたくさんあるけど、悲惨な出来事に遭遇しなかったのは幸運だと思う。
でも、俺が本来抱いていた理想は……魔物と戦う中で剣の腕に磨きを掛け、やがて誰もが頼る素晴らしい剣士に……まあ、こんな考えは傭兵稼業を初めて数ヶ月で諦めたものではあるけれど。
俺は強くなることを諦め、自分にやれることをやった……でもそれは、現状をただ維持したかったがための行為ではなかったのか。今の境遇に満足し、ぬるま湯のような生活を送るための言い訳でしかなかったのでは。
時折そんな風に考えることもあった……けれど、いつも心の声は「仕方がないじゃないか」と応じていた。どれだけ剣を振っても強くなれないのだ。自分はできる限りのことをやっていると、無理矢理納得するしかなかった。
でも、それでも思うのだ。俺は自分のような境遇の人間を出さないよう、魔物を減らそうと思って剣を握った。それは理想ではなく、信念だった。けれど今の俺は、その信念すらも実力が無いと言い訳にして、置き去りにしてしまったのではないか――
「はあ……はあ……」
地面に刺さった『終焉の剣』の柄を握ったまま、俺は肩で息をする。必死の形相で抜こうと頑張っているが、ビクともしない。
ここに来て一時間くらいは経過していると思う……世界を救うという言葉を頭に思い浮かべながら抜こうとしても、剣は一切応えてくれなかった。
「……ここまで来て、どうにもならないのかよ」
俺は一度柄から手を離して座り込んだ。気付けば両腕が痛い。握力もなくなっている。俺は失意の中で、剣を見据える。
――ゲームの主人公、リュンカは一回で容易く引き抜いた。色々と要因はあると思うが、俺が所持するゲームの情報を踏まえれば、単純な力ではなくやはり意志の問題なのだろう。
「世界を救う……それじゃ駄目なのか?」
疑問を告げながらも、俺はなんとなく答えがわかっていた……単に願うだけではない。その言葉を、心の底から思っているかを試されているのだ。
念仏のように世界を救う、と呟くだけではこの剣は認めてくれない。必要なのは確固たる感情。どんなことがあろうと絶対に手放さない、強固な意志。
ゲームの主人公、リュンカはそれを持っていた……いや、少し違うか。窮地に立たされ、町や村が蹂躙されていく中で、強く願った。だからこそ、彼は『終焉の剣』の所持者となった。
一方の俺はどうか……世界を救う。その言葉に偽りはないが、自分がそんな役回りをするなんて、現実感がないように思えた――
「……生半可な考えでは、認めてくれないってことか」
単純に願えば抜けるだろうという浅い考えが、きっと剣に見透かされているのだ。俺はそこで息をつく……次いでこれまでの人生を――前世と今世の人生を、思い返した。
サラリーマンをやっていた俺も、現世で傭兵稼業をやっていた俺も、確固たる意思というのはほとんどなかったように思う。前世の自分は周りと合わせるように受験して、就職して、流されるままに日々を過ごした。ラグナの人生もそうだ。剣を手に取る理由はあった。でも、そこから先は理想や信念もなく、ただ漫然と日々を過ごしていた。
世界の危機が迫っている……でも、最大の壁が俺の行動を阻んでいた。剣を抜くために、足らないもの……確固たる意思。それはどうやって手に入れればいいのか。
いや、そもそも世界を救う……その願いでいいのだろうか? 今だってどこか、宙に浮くようなふわふわした感覚だ。そんな考えでは、仮に剣が抜けても扱えるとは思えない。
俺に、世界を救うなんて大それた事ができるのか……そんな風に迷っているから駄目なのではないだろうか?
「どれだけ考えても、これじゃ無理そうだ……」
ここで思い出す。ゲームの主人公は、この剣を抜いた時に世界を救おうなどと思っているわけじゃなかった。ただ魔物に襲われていた状況で、目の前の脅威を、悲劇を排除するために武器を手にした。
それはきっと、自分の命を守りたいとか、あるいは仲間を守りたいとか……そういう感情だったはずだ。
「なら、俺に……何がある?」
自分の命――は、極端な話、逃げればいいだけの話だし、今魔物に襲われているわけでもない。きっと剣は応えてくれない。
なら、仲間を……いや、ずっと一緒にいるような仲間はいない。これも無理だ。
であれば、他に――その時、思い浮かんだのは、王女様の姿だった。
――広告を見て一目惚れし、ゲームを始めた前世の俺。そしてこの世界でシャル王女を見た時、俺は間違いなく心を射抜かれた。
惚れたとかそういうのではなく、ただただ美しく憧れを抱いた……ゲームとはもちろん違う姿。でも、現実となってさらに神々しさは増していた。
今の俺、ラグナにとって王女様との思い出はほんの数日前に交わした会話だけだ。多くの人が命を懸けて彼女と共に戦おうという意思を見せるほどの人物だが、俺は――
「……話をしたのは一瞬だ。だとしても、俺は救いたいと思うのか?」
自問自答した。けれど、それが答えだと理解する。
ゲーム上でしかほぼ知らない人物。ついでに言えば、ゲーム上の性格が現実に反映されているかもわからない。
そんなあやふやな状況であっても……この世界へ転生したきっかけは、間違いなく前世でプレイしていたゲームであり、王女様だと思う。無茶苦茶な状況ではあるけれど……それでも、気持ちは固まった。
――シャルミィア王女は、間違いなく最後まで戦うだろう。ゲームの主人公や仲間がいない世界で、一人剣を振るい続ける。どれだけ絶望的な戦いであろうとも、逃げることなく最後まで国を背負って戦うだろう。
例え理不尽極まりなくとも……その時、地面に突き刺さった剣からの気配が、濃くなった。変化は一瞬ではあったが、きっと剣が俺の感情を読み取っていることだけは理解できた。
ならば……俺は再び、剣の柄を握った。
「……剣よ、俺は――」
一呼吸置いて、叫ぶ。
「ゲームで追い続けて……こんな俺に声を掛けてくれた王女を救うために戦う。だから、俺の願いに応えろ!」
その瞬間、今までにはない感触があった。いける、と胸中で呟いた時には剣が地面から離れていた。
同時に、剣の魔力が俺の体を包んだ――その瞬間、腕の痛さも疲労感も全てが吹き飛んだ。
剣の力によって、体が癒やされていく……そうして俺は『終焉の剣』を手にした。