前世の記憶
――前世の記憶が思い出された時、俺の視界には一面の青空が広がっていた。
寝転がっていると認識した直後、背中にある地面の感触に気付く。自分は原っぱで寝ている……なぜこうなっているのかと考えた時、どこからか歓声が聞こえてきた。
俺はゆっくりと起き上がる。正面にはなだらかな坂が続き、その先に平原があって声はそこから発せられているようだった。
「――よう、どうやら生きてるみたいだな」
直後、男の声がした。首を向ければ、ボサボサの黒髪に革製の鎧を着た男性。右手に長剣が握られ、背中には鞘が見える。
その姿は憶えがある……傭兵――そう、俺にとって同業者の傭兵で、顔見知りだ。
「見たところ、何かにつまずき頭でも打って気絶していたか?」
問われ、俺は頭に手をやる。つむじ辺りを触ると、痛みがあった。
「そう、みたいだな」
「ご愁傷様だな、ラグナ。今回の作戦、犠牲者ゼロで怪我人も少数らしい。その中で怪我人になっちまったな」
ラグナ――その言葉を聞いて俺は自分のことを思い出す。そう、俺の名はラグナ。ラグナ=フィレイルだ。
前世であるサラリーマンの記憶に意識が引っ張られつつ、自分の姿を確認する。話し掛けてきた男性と同様の革製鎧と、腰には剣……のはずだが、転んだ拍子か俺の横にあった。剣は鞘に収まっており、抜く前に転んで気絶したようであり、なんだか情けなく思えてくる。
腕や足を確認し、頭以外に怪我がないのを確認。前世と比べれば比較的筋肉のついた体ではあるけど、傭兵として活動するには心許ない……中肉中背の剣士なので、もう少し背丈が欲しいなあ、などと何度思ったことか。
視界の端には自分の黒い前髪が入っており、そこまで確認すると今度は自分の状況を思い出す。ここは中世ファンタジー的な世界であり、俺は人類の脅威であり異形の存在である魔物の討伐に参加した。
兵士や騎士、そして傭兵達が集い平原に現れた魔物の群れと戦った。魔物の数は数十体で、この国では類を見ないほどの規模だった。
俺はその中で魔物を追い込むために動いていた。いよいよ魔物と接触するその寸前、地面に突き出ていた石につまづいて、コケて気絶した。
で、その結果前世の記憶が蘇った……なぜ自分の前世だと思ったのかというと、いくら気絶したからといって、今の俺に想像もできないような光景が思い浮かぶなんてあり得ないと思ったためだ。
頭に浮かんだのは、アパートで一人暮らしをする会社員の姿。それなりに勉強して、大学を卒業して就職して、そこから先はひたすら会社と自宅を往復する日々。気付けば三十路を超えたおっさんになり……そこから先は、上手く思い出せない。
こうして記憶を得たということは転生したってことなんだろうけど、その経緯までは思い出せないな……事故に遭遇したとか、病気だったとかも記憶がない。ただ俺は前世のことを思い出した。
で、今の俺は十八歳なのだが、今と比べ倍近くの人生を生きた前世の記憶……二つが混ざり合った結果、どうも年齢を重ねた前世の記憶に意識が引っ張られている。結果として、平々凡々な性格であった前世の人格が俺の中心に……いや、この世界のラグナという人間も平凡と言えば平凡だし、あんまり変わらない……なんか自分で考えて悲しくなってきたな。
そこでまあいいやと思い直す。前世を思い出したからといって何か変わるわけでもないし……と、思ったところでため息をついた。
「どうした?」
男が問い掛けてくる。それに俺は、
「いや、気合いを入れて戦場に来たのに、役に立っていないから」
「真面目だな、お前。俺だったら寝てて報酬がもらえてラッキーぐらいのものだが」
呆れたように男は告げると、手を振りながら俺へ背を向ける。
「こぶ程度とはいえ怪我したのは事実だし、後で軍医にでも診てもらえよ。傭兵相手でもタダらしいからな」
歩き去る男。その後ろ姿を少し眺めた後、俺は視線を戻した。
歓声が上がった場所には多数の人がいて、今は動き始めている。あの場所が戦場の最前線で、先ほどの声はきっと魔物に勝利した際のものだったのだろう。
戦いは終わり、撤収準備を始めたようだ……そんな中、前世の記憶を思い出した俺は座り込み、どこまでも動けなかった。
平原で動き回る騎士や兵士の姿を見ながら、自分のことについて考える。
前世の記憶を思い出しからといって自分の体に変化はない。チート能力に目覚めたとかいうこともないみたいだ。かといって前世の科学知識とか、そういうのを利用して無双とか……うん、平凡なサラリーマンの俺では無理そうだ。
まさか異世界転生の小説とか漫画みたいな展開を自分がやることになるとは……ただ俺が知る中で、この世界は人類が存亡の危機に立たされているとか、そういったことはない。
人の身の内にある魔力――それに基づいた魔法という概念がこの世にある。けれど魔法を使って世界を滅ぼそうとする強大な魔術師とかいるわけでもない。そして今回討伐対象となった人類の脅威、魔物はいるし魔王もいるけど世界を支配しようと動いているわけでもない。
じゃあ記憶が戻って何の意味があるのか。いや、そもそも意味を見いだすこと自体に価値はないのか……俺は座り込みただただ物思いに耽っていた――その時、
「大丈夫ですか?」
透き通るような女性の声がした。俺が座り込んでいたので声を掛けたのだろう。平原内に魔物がいないか確認している騎士か……そう思いながら首を向けた瞬間――ドクンと鼓動が鳴った。
そこにいたのは白銀の鎧を身にまとい、栗色の髪を結い上げた黒い瞳の騎士――否、違う。騎士などではない。遠目から見たことがある……この討伐の最前線で戦い続けた、この国の王女様――
「怪我で動けませんか? それとも、気分が悪かったりしますか?」
問い掛けに何も答えられない……緊張によるものだ。王女様はそんな態度の俺に対し微笑んだ――傭兵に向けるなんて想像もできなかった、天使のような笑み。
その立ち姿は、転生前と今の人生を合わせても俺の語彙力で表現できるものではなかった。白銀の鎧と栗色の髪が太陽光によってキラキラと輝き、騎士特有の勇壮さに加えて絵画に描かれるような女神みたいな神々しさと気品がある。
立ち振る舞いや容姿も、筆舌に尽くしがたい……人の美醜というのは、その土地の文化や価値観によって左右されるものだ。けれど目の前にいる王女様の姿は、例え文化や考えが違っていても、それら全てを超越してしまうほどの圧倒的な美しさがある――
「ん、頭にこぶがありますね」
王女様はそう呟くと、俺の頭へ向け手をかざした。何をするのか、と思った直後に頭頂部が暖かくなった。
治癒魔法だと思った時、痛みが消えた。王女様が手を戻すと俺は自分の手で頭頂部に触れた。こぶは、綺麗さっぱり消え痛みもなくなった。
「もし体調が悪ければ、遠慮無く騎士や兵士に申し出てください」
そう告げた王女様は、再び俺へ微笑を向けた。
「他に魔物がいるかもしれないので、今日は野営となります。どうか最後まで、一緒に戦って頂ければ」
「……はい」
ようやく返事をすると王女様は、
「ありがとうございます」
俺なんかに礼を述べ、王女様は歩き出す。颯爽と軽やかな足取りで騎士達の下へ向かっていく後ろ姿から、俺は目が離せなかった。
――王女様は、戦場の華でありこの国の切り札でもある。国に伝わる武具を身にまとい、最前線で魔物と戦い続けている。そして誰にでも……まともに戦ってさえいない俺にさえ優しいその性格から、話をすれば誰もが彼女の味方になる。
だから騎士や兵士は当然として、傭兵であっても彼女を守るべく命を懸ける……以前、同業者がそんな風に語っていたのを思い出す。その人物も王女の存在を間近に見て、同じ事を思ったという。
それは、紛れもなく真実だ……圧倒的な気品とどんな人の心にも入り込む輝く微笑。彼女を守ることができるなら、自分の命は――そんな風に思ってもおかしくないと、俺は妙に納得した気持ちになった。
「……王女」
そこで俺は名前を思い出す――そう、シャルミィア=ビセル=ロイハルト。この国、ロイハルト王国の第二王女にして、剣を手に取る勇者――
「……え?」
声を出す。改めて王女様の名前を思い出し、気付いた。
その名前は、俺が前世でハマっていたゲームである『ワールドエンド・アルカディア』のメインヒロインと同じもの。
「ロイ……ハルト王国?」
舞台の国はロイハルト王国。そして今、俺がいる場所も――
「これは……そういう、ことなのか……?」
偶然にしてはあり得ない。だからこそ、俺は思う。
――どうやら、ゲーム世界への転生を果たしたのだと。