魔物の王
「……どうやら、普通の剣士ではないらしい」
多少沈黙を置いて、魔物の王オルザークは呟いた。
「ただその剣の特性はつぶさに理解した。配下が斬られるごとに貴様の動き、その鋭さが増した。配下が持つ魔力を吸収し、強くなる。そういった能力があるな?」
――実際は違うのだが、オルザークからすればそんな風に解釈してもおかしくない。
「なるほど、配下による物量で押しつぶすつもりだったが、その手法を用いるのは間違いのようだ」
オルザークは淡々と呟く――驚愕する事態のはずだが、極めて冷静に、淡々と言葉を紡いでいる。
「このまま配下を使い続ければそちらが得をする構造となっている……ならば、選択肢は一つだ」
言葉の瞬間、オルザークを取り巻く空気が変わった。来る――そんな心の呟きと共に、オルザークの体から闇が生まれると、その体を取り巻いた。
それと共にギシリ、と空気をきしませるような音が聞こえた。今までとは明らかに違う。背後にいるシャル王女の気配も息を飲むようなものへと変わった。
俺は剣を強く握りしめ、眼光鋭くして闇を見据える――時間としては十秒ほどだろうか。取り巻いていた闇が消え、オルザークが姿を現し、見た目が一変していた。
人の形を保ってはいるが、全身が黒く塗り固められ、腕や足に黒い棘のようなものが生えている。
――ゲームでも見たことがある。まさしくこれは、オルザークが世界を滅ぼすべく異形と化した姿だ。
『この姿、最初に王都の人間達へ見せつけるつもりだったんだが』
周囲に響く声を発し、オルザークは語る。
『貴様達が初めて見ることになったな。この姿となったら加減はできん。私の拳によって体が粉砕しても文句は言うなよ』
「残念だがそうはならない」
俺は静かに魔力を剣へ注ぎながら応じる。
「ここであんたが滅びるんだからな」
『……貴様の力量は理解した。このまま配下を切り続ければいずれ並び立てる素質はあったかもしれないが、今の段階では無理だろう』
それは事実だった。姿を変えたオルザークの気配は、俺の知識では理解できない領域にあった。
魔物の王を取り巻く魔力は、触れるだけで気絶してしまうほどに濃く視界が歪んでいるように錯覚してしまう。そして目の前にいる異形は身じろぎしただけで魔力を発露し、俺や王女を震撼させる。
対峙する俺なんて、気配だけで吹き飛ばされそうな程度の力しか持っていない……しかし、俺は絶望などしていなかった。その理由は、俺が持つ剣の特性。
使い続けることによって剣の力が解放されていくのは事実。けれどそれ以外に、もう一つこの剣の力を解き放つ――それも、一気に解き放つことができる方法がある。
ゲームの主人公、リュンカもその方法でオルザークとの戦いに勝利した。魔物の王と対峙した瞬間、彼も自分の力では到底敵わないと悟るほど、圧倒的な差があると認識した。しかしそれを覆したのは、窮地に立たされた時に剣が力を一気に解放したためだ。
この剣は、使用者の意思に応え力を引き上げることができる……ただ俺が同じ事をできるかはわからない。ここは間違いなく、賭けだ。
そうした能力の解放についても、必要なのは強い意思――リュンカは王都を破壊し尽くすオルザークを倒すために、立ち向かって覚醒した。それに対し俺は、
『終わりにしよう、人間』
身を竦ませるほどの黒い魔力が立ちこめる。俺はそれを見て、畏怖を込め呟いた。
「魔物の……王……」
『ほう、王か』
俺の言葉を、オルザークはしかと耳にする。
『確かに魔を率いて侵攻する様は、紛れもなく王……魔物の王だな。気に入った』
「……お前は、魔物を従え何をするつもりだ?」
なんとなく、疑問が口を突いて出た。ゲームでは確か「基になった人間の破壊衝動と、魔物の本能」だったはず。現実では――
『……私の基となった人間は国に、世界に恨みを持っていた。その破壊的な衝動と、何より魔物としての本能……その二つが呼び掛けている。全てを破壊しろ、世界を壊せと』
それはどうやら、同じらしい。
「……どれだけ理性的な言動をしていても、結局は魔物の範疇を逃れられない、か?」
『私はそれで構わないな。別に不快とも思わん』
あっさりとした返答だった。人の姿をしていても、その倫理観はやはり人とは違うのだ。
『――ふむ、そうだな。最後に名を聞いておこうか』
「……ラグナ=フィレイル」
『ラグナか。憶えておこう。この私に異名をつけ、脆弱な存在ながら対峙した――その栄誉に免じ、痛みもなく一瞬で終わらせてやろう!』
叫び、オルザークが動く。一秒にも満たない時間で間近へと迫ってくる。
その瞬間に、俺の頭の中で思考が巡った。紛れもない窮地であり、剣を手にする前の俺なら瞬きをする間にオルザークの拳を食らって死ぬだろう。
だが、今は違う――思い浮かんだことは二つ。一つは背後にいる王女の気配。そしてもう一つは、この剣を手にした時の決意。
背後の王女を、守るために――たった一人で魔物調査を行う無茶苦茶な王女を救うために、俺は戦う。
それでいい、と俺の心は呟き剣もまた応えた――刹那、オルザークが攻撃を繰り出すまでの僅かな時間で剣から魔力が生まれ、俺の全身を包み込む。
まるで一陣の風になったかのように体が軽くなり、差し向けられた魔物の王による攻撃を見極め、剣を薙いだ。勝負は紛れもなくこの一瞬で決まる――そう確信させられるような、魔力と魔力のぶつかり合いだった。
俺の剣とオルザークの拳が、激突した。次の瞬間には剣が発した魔力と光によって視界が染まり、手先の感覚がなくなる。
だが、俺はそれでも剣を振り抜いた。結末は――視界が真っ白になる中で、俺の意識もまたほんの一時、失った。
――そして、我に返った時には全てが終わっていた。
俺は剣を薙いだ体勢のまま固まっていた。意識がはっきりした時に姿勢を戻し、真正面にいるオルザークを見据える。
相手は、直立した状態で動きを止めていた。隙だらけの状況であり、飛びかかって斬ることもできたが、すぐにその必要はないのだと察する。
俺とオルザークは互いに沈黙していたが……やがて、
『……なぜ、このような結末となった?』
声を発する魔物の王。同時、その体躯に細かなヒビが入り始めた。
『貴様は矮小な存在であり、その剣の特殊性であっても、勝てる道理はなかったはずだ』
「そうだな。俺も正直相対してどうにもならないと思った……でも、この剣が応えてくれた。お前を倒すだけの力を、俺に託してくれた」
『その剣は、何だ……?』
「さあね。俺も実はよく分かっていない……でも、この剣は俺に応じて力をくれた。それだけは確かだ」
『よく分からない物に頼るとは、愚か極まりないな……だが、私は敗れた。それは事実か』
オルザークはゆっくりと倒れ伏す。その光景を見ながら俺は息をついた。
そこで背後の気配、王女へ目を向ける。彼女は半ば呆然としながら俺のことを見ていた。
「……えっと」
そこでどう説明したものか、と迷っていると突如、魔物の雄叫びが周囲に響いた。
何事か、と辺りを見回すと残っていた魔物達が一斉に俺達へ――否、王女へ視線を注いでいた。
『……最後に一つ、抵抗させてもらおう』
その時、崩れゆく体躯からオルザークの声が聞こえた。
『貴様を狙って殺すことはできない……が、王女に狙いを定めれば話は別だろう。全ての配下に王女を襲うよう命令した……貴様が奈落の底へ来るよう呪っているぞ』
オルザークが消える。それと共に、魔物達が一斉に襲い掛かってきた。