プロローグ:とある人物の一日
その日は、本当に不運が続いた一日だった。調子の悪かった目覚まし時計がとうとうアラームを鳴らさなくなり、電車の時間十五分前に飛び起きて一日がスタートした。
一人暮らしのアパートの中で慌てながら全力でスーツに着替え、外に出たら財布を忘れたことに気付いて一度家に戻る羽目になった。そこからどうにか電車には乗れたが、その時点で汗だくかつ息が切れ、周囲の人から視線が刺さりなんだか申し訳ない気持ちになった。
出社してからも不運は続く。顧客からのトラブルが立て続けに起こって午前中はその対応に追われた。昼休みに入ってもトラブルは続き、昼食の時間すらまともに確保できなかった。
午後からは溜まっていた仕事に追われ、何故か上司に呼び出されて怒られ……たぶん普段の俺なら耐えられなくて頭を抱えていそうだったけど、その日は違った。これが終われば楽しみにしていたことが待っている。そう自分に言い聞かせ、落ち込みながら仕事を続けた。
結局仕事が終わったのは午後八時。退社して俺はそこから疲れ切った体に鞭打ってとある場所へダッシュで向かう。それはアニメグッズなどが売られているチェーン店。ある物を店舗予約していて、俺は閉店時間ギリギリにそれを受け取った。
家で夕食を作る気にはなれず、牛丼を食べて電車に乗ってアパートへ帰る。一人暮らしの真っ暗な部屋に入り、俺はようやく息をついた。
明日は休みなので今日の疲れをとることはできる……が、それ以上に楽しみにしていた物を手にした。それだけで今日一日の憂鬱な出来事が心から消え去っていくようだった。
俺はとりあえず部屋着に着替え、スマホで適当な動画を流しながら予約した物を確認する。それは一冊の本――ビジュアルファンブックと呼ばれる、アニメやゲームなどの設定資料やイラストが載せられている本だ。
予約したのはゲームの本。表紙には、ゲームのメインビジュアルを務めていた女性キャラが描かれている。
――長い栗色の髪をたなびかせ、白銀の鎧を着た騎士。手に取った人に柔和な笑みを浮かべる彼女は、まさしくゲームのメインヒロインであった。
鎧を着てはいるが、彼女はゲームの舞台となった王国の王女様。名はシャルミィア=ビセル=ロイハルト。ロイハルト王国における第二王女にして、騎士として魔物と戦う姫騎士様である。
そんな彼女がヒロインとなったゲームこそ、俺が人生で一番ハマっていた……名を『ワールドエンド・アルカディア』といい、スマホでプレイできるいわゆる基本無料、ガチャありのロールプレイング系ゲームである。
ハマっていた、と過去形で表現するのには理由がある……というのもこのゲームは、半年ほど前にサービス終了してしまったためだ――
俺が『ワールドエンド・アルカディア』と出会ったのは、駅にある広告だ。
据え置き機やパソコン、あるいはスマホでもゲームはしてきたけれど、特別のめり込む物はなかった……のだが、俺はメインビジュアルであったシャルミィア王女――ゲームではシャル、あるいはシャル王女と呼ばれていた彼女が描かれていた広告を見て、一目惚れした。
だから家に帰って速攻でゲームをインストールした――調べたところによると、かなり期待されていたゲームだったらしい。スマホのゲームではあるが有名な絵師による魅力的なキャラクターに、綺麗な3Dグラフィック。ビジュアル面は完璧で、なおかつ有名なシナリオライターを起用したことで話題になり、事前登録者も結構多かったとのこと。
けれど、肝心のゲームは――正直評価は芳しくなかったらしい。ゲーム部分が微妙で戦闘システムはあまり面白くないしUIも不便で……結果、事前登録者数が多いわりに売上げは振るわず、一ヶ月も経てば早くもサ終――早期にサービス終了するだろう、なんて推測が出ていた。
そんな中で俺は、このゲームにハマった。微妙と言われたゲームは面白いと感じたし、不便だと言われたUIも気にならなかった。
その理由はゲームをやるきっかけとなったシャルミィア王女――その姿を見ることでモチベーションが上がったためだ。最初王女はキャラとして使用できず、主人公を見守るような役目だったのだが、いつか実装されるだろうと期待しつつ、結構な額を課金してまでのめりこんだ。
シナリオも個人的に面白かったことがゲームを続けるモチベーションになった。ゲーム名通り、世界は滅亡の危機に晒されていた。ロイハルト王国に押し寄せる数々の強大な敵。その全てが世界を終わらせる力を持ち、主人公とその仲間は世界を壊す存在に対抗すべく集結し、戦い続けるというのが基本的な物語の流れとなっていた。
世界を滅ぼそうとする敵を倒すと、また次の敵も世界を滅ぼす存在でありさらに強い――というパワーインフレに次ぐパワーインフレみたいなシナリオで、俺としては興味を惹かれていたが、単調になっているという指摘もあった……まあ、俺にとって相性が良かった、ということなのだろう。
やがてゲーム開始から半年後にとうとうシャル王女が実装され、俺はガチャを回しまくった……どれだけ回しても出なかった結果、課金額が目ん玉飛び出すほどになったけど、後悔はなかったし、さらにのめり込んだ。
そして、いよいよ周年記念か――などと思った時にサービス終了を発表。世間的な評価は「残念ながら当然」とか「むしろ一年よく続けられたな」とかいう評価であり、発表された日は失意の中で過ごした。
課金が無駄になるとか、そういうことで落ち込んだわけではなかった。ただただこのゲームが好きだったから……やがてサ終し、最後の最後にビジュアルファンブックが今日発売され、本当に『ワールドエンド・アルカディア』というコンテンツが完全に終了した――
そんな経緯を改めて思い出しつつ、本を読み進める。実装された仲間のイラストとか、実装されるはずだったシナリオについて簡単に解説されていたりと、読み応えはあった。
その中で俺は主人公のイラストを見る。黒い髪の、勇壮な顔つきの男性。ゲームにおいて主人公の名前は自分で決めるタイプであったが、公式の名前としては『リュンカ』となっていた。
もしゲームが長く続きアニメ化とかされていたら、この名前が使われていたことだろう……深夜を回るくらいの時刻となって、ようやく一通り目を通した。とはいえ本棚に置くことはせず、明日の休みはずっとこの本を読むことだろう。
それだけ、俺にとって思い入れの強いゲームだった……世間から評価は芳しくなくとも、俺にとってはまさしく神ゲーだった。シャル王女に一目惚れして始めたけれど、ゲームそのものについても俺としては満足だった。
実装された最後のシナリオで、笑顔を見せるシャル王女の姿を見て、俺は本当にやって良かったと思った。のめり込んでいる間は人生そのものが潤っていた。その代わり財布はずいぶんと軽くなってしまったけど……今も後悔はない。
俺はふと部屋を眺める。このゲームに関するグッズがパソコン周りに置かれているのが見えた。一年でサ終してしまったのでグッズそのものは少なかったのだが……俺はなんとなくパソコンを起動。サントラの楽曲をパソコンに入れているので、それを聴き始めた。
戦闘BGMなんかを聴くと、ゲームの色々な場面を思い出す――現在、オフラインでシナリオが読めるというわけでもなく、『ワールドエンド・アルカディア』はこの世から跡形もなく消えている。半年前にサ終されている以上、ゲームをやっていた人だって思い出す人は少ないだろう。
でも、俺はその中で……曲を聴いているとなんだか眠くなってくる。今日はとりあえず寝ることにしよう。サ終した直後のことを思い出してちょっとだけ感傷的な気分になりつつ、俺はベッドに入ったのだった――