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第9話 既成事実を作ろう

 残念ながら、籠城をはじめて十分で開門するはめになった。第三側室妃がご挨拶にいらっしゃるとなれば、エスメも折れるしかない。

 猫足の長椅子に向かい合うなり、レジェスが隣に座る女性に手を差し向けた。


「こちらはアリヤ妃。サナム王国の王女で、父の三番目の側室だ。俺のベッドで寝ていたのは……」


 レジェスが戦争に出れば長く部屋が空く。そのときはアリヤの自由に使っていいという約束をしており、ちょっとした避難所になっているらしい。アリヤ自身の部屋にいると、皇帝が発散しにやって来るので、休むことができないそうだ。


(アリヤ? レディ・エリザベスじゃないの? ほかにもいるのね)


 あの親にしてこの子あり。話半分に聞いたほうがよさそうだ。


「アリヤは姉のような人であって、決してやましいことなど――」


 言い訳に走ったレジェスをアリヤが遮った。


「初めまして、エスメ王女。あたし、リブレリア王にご挨拶したことがあるのよ」

「父に?」

「もう十年も前のことだけど」


 アリヤは十七歳で皇帝の側室として嫁いだ。祝いの席にリブレリア王も呼ばれていたという。

 サナム王国はひとり娘であったアリヤを泣く泣く手放した。国を守るためだとアリヤに言い聞かせて。


 いまの自分とそう変わらぬ歳で皇帝に嫁いだアリヤに、同情の念を禁じ得ない。ところが本人は、何でもないことのようにあっけらかんとしていた。


「あなたのお父様は戦ってくれたのね。羨ましいわぁ」


 頬に手をあて、のほほんと言い放った言葉に引っかかりを覚えた。


「……本当に羨ましいと、思ってらっしゃるの?」


 アリヤの唇がニィッと持ち上がる。


「うふふ。鳥かご姫と聞いていたのに、まったくの初心(うぶ)ってわけでもないようね。そう……あたしは、国を救えたことを誇りに思っているわ」


 エスメはキュッと唇を引き結んだ。自分には救えなかった。国を滅亡に追い込んだ。

 思い詰めた顔に気づき、アリヤは下からのぞき込むようにして、エスメに顔を上げさせた。


「勘違いしないでね。あなたが悪いんじゃない。国王が決めたことなのよ。だけど不思議だわ。歴代のリブレリア王の中でも穏健と言われた彼が、戦争を選ぶなんて」

「それは……」


 “王の書”も原因のひとつであることは間違いない。だけどもし、十四歳のエスメを差し出していたら、皇帝はそれだけで満足したかもしれない。いまも変わらず国は栄え、誰も失わなかったかもしれない。そんな思いがずっと(くすぶ)り続けている。


「まぁ、過ぎたことを考えてもしょうがないわ。それよりあなたたち、もう初夜は終えたの?」

「ゴフッ」

「しょや? ああ……初夜ね」


 恋愛小説にときどき出てくる言葉だ。男女が初めて迎える夜のこと。愛をささやき合いながら抱き合って眠るらしい。読んだときには衝撃を受けた。いまもエスメの心臓がトクトクとうるさい。


「アリヤ! そういう話は――」

「――陛下はまだ彼女を諦めていないわ。レジェスに意気地がないと思っているから」

「っ……」


 アリヤは身を乗り出して、まるで警告するかのように、コツンとローテーブルに爪を立てた。


「エスメ王女、早いところ純潔を散らしておきなさい。あなたはレジェスを選んだのでしょう?」

「…………」


 レジェスを選んだのは、一番目に復讐するためだ。父や兄の無念を晴らす。きっと死神皇子を、帝国を恨みながら逝ったに違いない。

 エスメの知る復讐とは、相手を苦しめて殺すことだ。復讐劇の小説で主人公が言っていた。『簡単に殺してなるものか』と。


「待ってくれ。俺たちが関係を持つことが抑止力になるのか?」

「……陛下はね、劣等感の塊なのよ」

「「?」」


 エスメはともかく、レジェスまで首をかしげたものだから、アリヤは脱力したように背もたれに身を預けた。


「優秀な弟に(おびや)かされ、弟が出家しても比べられる。そこで陛下は、努力を(あきら)めて人の弱みにつけ込むことを覚えたの。いままで自分を苦しめてきた者たちが青ざめるさまは、陛下の心を満たしてくれたそうよ」


 恐怖で人を操るようになった皇帝はさらに、最も満たされる行為を知った。

 思い出したようにアリヤの顔が歪む。


「何も知らない無垢な少女に畏怖(いふ)の念を植えつけること。手っ取り早いのは、破瓜(はか)の痛みを与えることね。若ければ若いほどいいわ。(おび)えることしかできない小動物のような」

「はかの痛み?」


 聞いたことのない言葉だった。“王の書”に問えば、父と母の初夜の記録が表示された。心の中でひらかれた書には、父と母それぞれの目線で交互に文章が浮かび上がり、ちょっと読んだだけで耐えきれなくなった。


「ひゃあぁぁあぁあ⁉」


 奇声をあげてエスメは立ち上がり、ローテーブルに膝を打ちつけて長椅子へ倒れ込む。


「王女⁉ 大丈夫か?」

「な、なん、なんでもないわ!!」


 顔に集まった血は、けれど罪悪感に押し戻されていく。

 安易に“王の書”をひらくのは危険だ。知りたくないことまで知ってしまう。

 目を白黒させていたアリヤは、意味深にエスメを見やった。


「ふぅん? 意外と耳年増なのかしら? レジェスよりいろいろと知っているかもしれないわねぇ?」


 文字からの情報だが、まったくの的外れでもないからエスメは黙り込んだ。

 レジェスが焦ったように声を張る。


「とにかく! 父を王女に近づけなければ済む話だろう?」

「あらやだ。この子、こんなに愚鈍だったかしら? ねぇ、リサ?」

「二年も外に出ていたせいで、寝ボケているのですわ」

「なんだよ、ふたりして……」


 言いながらレジェスは、何かを思い出したように口を噤んだ。

 朱い瞳が険しくなっていく。さらにアリヤがダメ押しした。


「あたしは十七歳だった。王女が十六歳のうちに、陛下は必ず動くわ」

「……わかった。対策を打っておく」



 その日の夜、湯浴みを終えたエスメのもとへ、レジェスがやって来た。

 入れ替わりにリサベルが部屋を出て行く。


「王女、これから既成事実をでっち上げる」

「きせい、じじつ?」

「君の純潔を、俺が散らしたと思わせるための工作だ」

「……どうするの?」


 手を差し出され、エスメもおずおずと重ねる。『でっち上げる』というのだから何もされないはずだ。そう思いながらも鼓動が早くなっていく。

 レジェスは寝室のドアをあけ、ベッドへとエスメを(いざな)った。


「まずは朝まで一緒にいてもらう」

「……あ、初夜というものね?」

「そうだ。朝になったら、ふたりでテラスに出たところを庭師に目撃させる」

「早起きしなくちゃいけないのね!」


 朝があまり得意でないエスメは、急いでベッドへもぐり込む。早く寝なければならないのに、レジェスはベッドの縁に腰かけたまま、瞳を彷徨(さまよ)わせた。


「レジェス?」

「……もうひとつ、やるべきことが、ある」

「なに?」


 レジェスは眉間を揉んだり、口もとに手をあてたりと落ち着かない様子を見せ、なかなかその先を言わない。


「早く言って! わたくしの寝起きの悪さは知っているでしょう⁉」

「うっ……、その……王女の体に、()()()を残さねばならない」

「しるし……?」


 覚悟を決めたレジェスの瞳が野性味を帯びて近づき、エスメは身を強ばらせた。


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