表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/26

第8話 やっと自覚した第一皇子

 レジェスの部屋は皇宮一階の突きあたりにあった。エスメはその右隣――北側の部屋に案内されたのだが、護衛が待機する前室もなく、ドアをあけるとすぐに居間があった。ドアには鍵もない。


(なんだか不安だわ)


 唯一、部屋から裏庭へ降りられることには感動した。いままでは三階に住んでおり、すぐ近くの花といえば花瓶に咲く切り花しかなかった。

 しかし、レジェスもリサベルも浮かない顔をしている。


「一階は使用人たちも通るし、庭は警備兵の巡回もある。あまり外には出ないほうがいい」

「あら、リサだってこの部屋の向かいに住んでいるのでしょう? ……あ、お義姉(ねえ)様と呼ぶべきかしら?」


 結婚した実感などまったくないが、身分を知り、年上であるリサベルを呼び捨てにするのも(はばか)られる。ただ少し、『おねえさま』という響きに実姉を思い出して心が引きつれた。


「いいえ、妃殿下。いままでどおりリサとお呼びください」

「どうして?」

「わたしが、この皇宮で生きていくために必要なことなのです」

「そう……」


 リサベルが守っている境界線を超える気はない。帝国内の誰にも気を許さないことは、エスメにとっても復讐を果たすうえで必要なことだ。


 会話の途切れた部屋に、レジェスの気まずげな声が落ちる。


「その……王女、必要なものがあれば言ってくれ。バルトロメほどの財はないが、できるかぎり用意する」

「……とくに何も」


 そこへリサベルがポンと手のひらを合わせた。


「レジェス、ホセを呼んできて。シャベルも持ってきてね」

「あぁ……、またアレをやるのか」

「安心は何よりの宝物よ。お金や宝石よりもね」

「そうだな」


 リサベルは、テラスに置かれたテーブルへとエスメを誘い、お茶を入れてくれた。

 何をするのかは「見ていればわかる」とのことだったので、庭に大穴を掘る男ふたりを呆然と眺めた。

 大穴はリサベルの部屋からぐるりとレジェスの部屋をまわり、エスメの部屋の前へと続いているらしい。


「リサ、見てもよくわからないわ?」

「これは、お城を囲む堀のようなものです」

「堀……。これではわたくしも外へ出られないわ」

「ご心配なく。妃殿下しか渡れない橋をご用意します」


 エスメの体重がかかっても壊れないが、成人男性が乗れば折れてしまうような木板が架けられた。作業を見ながら、エスメは“王の書”をひらく。


「ねぇ、リサ。粒が大きい砂利はあるかしら? 敷き詰めておくと足音を知らせてくれるそうよ」

「まぁ! それはよい考えですわね。すぐに持って来させましょう」


 ほかにもクローゼットに内側から閂をかけられるようにしたり、ドアをあけると鈴が鳴るようにして、エスメは仮初めの安心を得た。


(音がしたらクローゼットに逃げ込めばいいわね)


 レジェスの隣の部屋といっても、妃を迎えるための部屋ではないから、完全に分かれている。この部屋はエスメだけのお城だ。


「……あら? これだとレジェスの寝首を()けないわ」

「「…………」」


 声に出ていたらしい。三人からあきれたような視線を受けてしまい、咳払いでごまかそうとしたところへ、ホセが手を打った。


「オレ、(ひらめ)いちゃいました!! クローゼットの壁に穴をあけましょう! 隣は殿下の寝室だから、寝首を掻けますよ!」

「おい、やめろ」

「まぁ、ホセ。天才だわ! やってちょうだい!!」

「お任せください! え~、ノコギリとハンマーと……」


 エスメとホセはさっそく寝室へ向かい、止めようとしたレジェスは寝室の入口でリサベルに捕まった。


「なんだ? 姉上、あれを止めないと」

「レジェス、命を差し出すなんて……本気なの?」

「……ああ、これしか償う方法がない」

「本気で愛しているのかと聞いているのよ」

「は……、あ、愛……?」


 的外れだとレジェスは首を振った。


「そんなんじゃ――」

「――よく考えてみて。戦争に(おもむ)いて何人殺したの? その家族全員に、あなたは命を差し出したりしないでしょう?」

「…………、っ⁉」


 レジェスは頭をはたかれたように体を揺らしたのち、硬直した。リサベルの言うとおり、こんな気持ちになったのはこれが初めてだった。


 ――我が身すべてを差し出してもいいと思った。守るべき姉のことも、自分の立場も忘れて。


「レジェス、どんな大義名分があろうとも、戦争はただの殺し合いよ。仕掛けたほうも受けて立ったほうも、承知のうえで戦うの。その責は、あなただけが負うものじゃないわ」

「……」


 ――そうだ。自分だってそう割り切って戦っていたはずだ。それでもなお、燃え盛る炎が身を焦がすような、この気持ちは何だ?


「もう一度聞くわ。彼女を愛しているのね?」


 レジェスはちらりと視線をエスメに向け、口もとを覆いながらゆっくりと顔を伏せた。信じられないと言いたげに瞳を揺らしながらも、耳まで真っ赤だった。

 やっと自覚を持った弟の背を、リサベルが押す。


「なら、あなたがやるべきことは、命を差し出すことじゃないわ。彼女を幸せにするのよ。それは生きていなければできないことなの」

「だが、俺は――」

「「――せ~の!」」


 ドォンという鈍い音がして、ホセとエスメが勝鬨(かちどき)をあげた。


「「ヤッタ――!!」」

「ぁあ⁉ ホセ、お前……マジであけやがって」

「あれれ? オレだけが怒られる感じ? オレは妃殿下のご命令に従っただけなのにぃ~……妃殿下、なんとか言って……妃殿下?」


 忽然とエスメの姿が消え、レジェスは「まさか」と穴をのぞき見る。ベッドの手前に座り込むエスメの後ろ姿が見えた。


「王女! そこを動くなよ!!」


 壁にあいた穴はエスメがなんとか通れるくらいの大きさ。レジェスには無理だ。慌てて自室へ走る。ひとつだけ、見られたくないものがあった。



 一方、エスメは呆然とベッドの上を見つめていた。もっと正確に言えば、ベッドの上に寝転ぶ、一糸まとわぬ女性に目を奪われていた。申し訳程度に掛布がかかっているが、下着すらつけていないとわかる。


 壁をぶち破った音にも動じておらず、肉づきのよい小麦色の足が、我が物顔でベッドを蹂躙(じゅうりん)する。枕もとから流れ落ちる亜麻色の髪を見て、夢心地に聞いたレジェスの言葉を思い出した。


『この髪色、彼女に似ているでしょう?』


 明るめの亜麻色は、エスメのクリームブロンドに似ていなくもない。エスメに彼女の面影を見たということか。そしてここはレジェスの寝室。


(彼女はレジェスの……大切な人? そういう関係なのね?)


 突如、バンッと左手のドアがひらき、座ったままのエスメを確認したレジェスが、ベッドを二度見した。


「あ⁉ しまった……忘れてた」


 レジェスの声に女性が身を起こす。亜麻色の髪が豊かな胸を覆った。


「んん……、おはようレジェス。ごめんなさいね。昨日はあまりにも激しすぎたから」

「いいから服を着てくれ」


 脱ぎ捨ててあった服を放り投げ、レジェスが後ろを向いた隙に、エスメはするすると壁の向こう側へ戻った。


「あっ⁉ ま、待て、王女! 誤解――」


 クローゼットの扉を閉めれば、レジェスの声も聞こえなくなった。

 寝室のドアからホセが顔をのぞかせる。


「あ、お帰りなさい! どうでした? レジェス殿下のお部屋は」

「……不潔だわ」

「え? あ~、メイドが掃除をさぼったかな? 二年も留守にしてたから」

「レジェスが来ても部屋に入れないで」

「エッ⁉ そんなにですか? あっ、もしかしてレディ・エリザベスが……」


 ホセの口から女性の名前が飛び出し、エスメは寝室のドアもバタンと閉めた。いまは何も聞きたくない。レジェスに妃はいないはずだが、恋人がいてもおかしくはない。


(これも復讐の一環よ。好きでもない女と結婚させられて、いい気味だわ)


 胸がチリチリと痛むのは、他人の部屋に穴をあけた罪悪感のせいだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ