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第6話 余はまだ四十六歳

「十四歳で手に入れるはずが二年もかかるとは。まぁよい……」

「ヒッ……い、嫌ぁぁ!!」

「くくっ、逃げろ逃げろ。どうせこの部屋からは出られんのだから」


 円形の室内は、床自体が巨大なベッドになっており、足を取られて何度も転んだ。満月型のベッドに沿うようにして三日月型の浴槽に湯が張られている。


 窓には鉄格子が張りめぐらされ、見える景色は茜色の空ばかり。皇帝が遊戯に更けるために作った展望台は、皇族しか入れない皇宮の六階にある。助けなどやって来ない。なんといってもこの男こそが、カナル帝国の皇帝なのだから。


「ほれほれ。小鳥よ、捕まえてしまうぞ?」


 裸同然に近いガウン姿から締まりのない肉体がのぞく。白髪混じりの黒髪をかき揚げ、皇帝は楽しそうに目を細める。そのたびにエスメはゾッとして体を強ばらせた。


 ふわふわのクリームブロンドも乱れるまま、無様に這いつくばってドアへたどり着く。押しても引いてもひらかない鉄製扉の前で、体力も尽きていよいよ動けなくなった。


 リサの言葉が頭をよぎる。


『あなたも早いうちに(あきら)めてしまえば、きっと楽に生きられますわ』


 そうなのかもしれない。父も『従順でいなさい』と言っていた。それでも、どうしても心が拒絶してしまう。どうにかして皇帝の気持ちを鎮められないだろうか。


(そうだわ! 皇帝が、自身の(おこな)いを(かえり)みるような言葉を探しましょう!)


 心の中で必死にページをめくる。皇帝が目の前に迫っており時間がない。思いきって、拾い読みした言葉をぶつけてみた。


「あ、あなたみたいな人を……イロボケジジィって言うのよ!!」

「ジジィだと⁉ ()はまだ四十六歳だ!! 小鳥が調子に乗りおって」


 父がいつも皇帝に対して思っていた言葉を書から拾い読みしたのだが、逆効果だったらしい。皇帝の大きな手が迫る。祈るように手を組み、ギュッと目を閉じたときだった。


「――父上!! お待ちください!」


 エスメも聞き覚えのある声に、皇帝が動きを止めた――までは良かったのだが、急に扉がひらいて支えを失い、反転した世界に黒髪の美丈夫が見えた。出会ったときと同じように丸くなった朱い瞳が、焦ったように揺れている。


(わたくしは本当に愚かだわ)


 レジェスの顔を見て気を緩ませた自分を叱咤(しった)しながらも、エスメは安堵(あんど)から目を閉じた。



 ***


 ゆらゆらと心地よい揺れがエスメの体を包む。周りの音を拾えるほど意識は浮上していたが、目をあけるまでには至らなかった。

 穏やかな靴音が眠気を(うなが)す。バリトンの、ささやく声が脳を痺れさせる。


「すまない。こわい思いをさせてしまった」


 身を預けたくなるような声だが、エスメは夢心地にも自分を戒めた。


(だめよ、エスメ。この声は(かたき)の……レジェスの声なのだから……)


 もうひとりは知らない男の声。こちらも落ち着いた優しげな声だった。


「なるほどねぇ。お前の言っていた意味がやっとわかったよ」

「この髪色、彼女に似ているでしょう? 叔父上」

「う~ん、そうだねぇ……王女の前で口走らないようにね」

「言われるまでもありません。それに、教会で引き取ってもらえれば、約束は果たせます」


 彼女とは誰のことだろうか。引き取るとは……約束とは……。意識は浮かんだり沈んだりで聞こえる言葉も途切れ途切れだ。


「私はそうは思わないがねぇ。王はきっと……お前に償いの機会を与えたんだと思うよ?」

「償えるものなら、命でも何でも差し出します」

「……そうか。長く戦場にいて、お前も心が参っているだろう。いつでも告解室に来なさい」

「はい……」



 ***


 食欲をそそるいい匂いがする。スパイスのきいた野菜スープと、焼きたてパンの匂いだ。釣られるようにして鼻先から身を起こす。


(あら? わたくし、どうやってここに来たのかしら?)


 いつの間にかベッドに寝ていたが、皇帝の遊戯ルーム(とりかご)とは違う場所だ。カーテンからのぞく窓には鉄格子もなく、ちらほら木々の頭が見える。やわらかな空色は本格的な夏に向かって青色を重ねている最中だ。


 対して室内は薔薇(ばら)色に埋め尽くされていた。金細工をあしらった家具や小物たち。財力を見せつけるように置かれていることからして客間だろう。


 体に目を落とすと、素っ気ない厚手の夜着が着せられており、特に違和感もない。


「お目覚めでしょうか?」


 食べ物の匂いは、ひらかれたドアの向こう側からやって来たようだ。ドアの内側に立つリサが、気まずげな表情で目を伏せている。手には水を張ったボール。


「ええ、身支度を手伝ってくれるかしら?」

「かしこまりました」



 鏡に映るリサを見ながら、やはり(あか)い瞳がレジェスに似ていると思った。


(それにあの言葉……)


『わたしも弟も、とうに諦めております』


 エスメは“王の書”から記録をなぞる。もし、レジェスの姉だとすれば、第一皇女であり、名前は――


「リサベル皇女」

「っ――⁉」


 強ばったリサの顔を見て確信を得る。けれど疑問は増えた。


「どうして皇女が、侍女のお仕事をなさっているの?」

「……わたしとレジェスは側室の子です。母は男爵家でなんの後ろ盾もありません。なのに、皇后陛下を差し置いて第一子を、そして長男を産んでしまった」


 そこで話は途切れてしまい、エスメは首をかしげた。母親である第一側室は十年も前に亡くなっているようだが、皇女は皇女だ。


「それが侍女と、どうつながるの?」

「え……?」

「誰から生まれようとも、あなたは皇帝の御子なのよ? ハッ……もしかして、帝国では皇女もお仕事を学ぶの⁉」


 エスメは尊敬の眼差しで鏡の中のリサベルを見つめたが、彼女はゲンナリと顔を(ゆが)ませた。その顔にレジェスの面影を見て、一抹の寂しさが通り抜けていく。


「王女殿下は、たいそうお幸せに暮らしてらっしゃったのでしょうね」

「え? ええ、そうね。……奪われて初めて、幸せだったと気づいたわ」

「っ……」


 リサベルは青ざめた顔を伏せ、ぎこちなく食事用のテーブルへと案内した。


「こちらへどうぞ。食後に弟が参りますので」

「レジェスが?」


 エスメの顔は一瞬ホッとしたように緩み、次いで思い出したように眉根が寄せられた。


 リサベルはおどろき、混乱した。レジェスは彼女の兄を、そして父親を手にかけたと言っていた。それに“王の書”を奪えなかったバルトロメは、腹いせからリブレリア城に火を放ったと聞く。


 ――きっとエスメ王女は知らないのだ。真実を知ったとき、彼女は弟をどうするのだろうか。自分が彼女の立場なら、決して許すことなどできない。


 ノック音に意識を浮上させ、リサベルは弟を招き入れた。

 いつもの無愛想に不機嫌を上乗せしたようなレジェスがやって来て、重たげに口をひらく。


「……エスメ王女、皇帝の側室になるか、第二皇子の妃になるか、選んでくれ」

「はい?」


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