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第4話 俺の命は君のものだ

 ――第一皇子レジェスが、アンドレイ王太子の腹を魔剣で貫いた。


 戦場から持ち帰られた魔法書にはそう書いてあったが、持ち手の主観で(つづ)られる文字は、時に事実と違うこともある。どうか、そうであってほしい。


 レジェスの表情は途端に強ばり、一度固く(まぶた)を閉じると、疑いようもない強い眼差しで頷いた。


「ああ、俺が王太子を斬った。それだけじゃない、リブレリア王の首を落としたのも、この俺だ」

「っ……、あ……あぁ……」


 聞きたくなかった。聞かなければよかった。髪をかきむしるようにして耳を塞ぎ、くるりとレジェスに背を向けた。バサリと帽子が落ちる。


「エスメっ!!」


 人にぶつかるのも気にせず、とにかく走った。金切り声をあげるエスメの心とは裏腹に、のびやかで陽気な音楽が大通りを包む。パレードのために道をあける人々に押され、エスメは細い路地裏に追いやられた。


 涙に滲む視界が正しく働いたときにはもう、見知らぬ男たちに囲まれていた。

 前にひとり、後ろにふたり。


「バカな娘だ。自分からひとりになるなんてなぁ」

「近くで見ると、お貴族様みてぇな顔してるぜ?」

「こりゃぁ、娼館に売るより、女好きの貴族にでも売ったほうが金になるんじゃねぇかぁ? 髪の毛だけでも高値がつきそうだ」


 男三人の下卑(げび)た笑いが狭い通路にこだまする。それでもパレードの盛況には敵わなかった。大通りはわずか二メートル先、たくさんの人がいるというのに、誰もこの状況に気づかない。


「だ、誰か……」


 こんなか細い声を、誰が聞き取るというのか。

 城の中でさえ護衛がついていたエスメは、ひとりになればどうなるのか想像だにしていなかった。侍女たちから『外は危ない』『連れ去られてしまう』と散々言い聞かされていたことを、いまになって思い出す。


(まさか、本当のことだったなんて……)


 エスメを鳥かごへ戻すための嘘だと思っていた。たくさん読んだはずの冒険物語は所詮(しょせん)おとぎ話で、自分の身に起こるとは(つゆ)とも思っていなかった。

 恐怖から胸に手をあてれば“王の書”が反応した。


 ――ひとりでいるほうの男を狙え。急所は鼻、(あご)、みぞおち、股間、足の(すね)


 “王の書”は知識を与えてくれるが、経験を与えてくれるわけではない。知識を知恵に昇華できるかどうかは読み手次第。歴代の王には可能でも、非力なエスメにできるとは思えなかった。


 前にも後ろにも進めず、恐怖はエスメの下半身から力を奪い取った。へなへなと座り込み、毛むくじゃらの浅黒い手が伸びてくるのを眺めることしかできない。


「がっ⁉」

「うぐっ!!」


 エスメの後ろにいたふたりの男が突如、奇声をあげた。振り返れば、逆光の中に男が立っており、狼のような双眸(そうぼう)(あか)く光って見えた。死神のごとくおそろしい顔つきであるのに、エスメの張り詰めていた気が緩んでいく。


(あっ……)


 この死神から逃げていたことを思い出したのは、レジェスの強い視線に射抜かれ、荒々しく手を伸ばされたときだった。途端に体が強ばっていく。

 だがレジェスより先に、破落戸(ごろつき)がエスメを引っ張り上げた。


「きゃっ⁉」

「動くな!! この細い首をへし折るぜ?」


 破落戸は左腕をエスメの首にまわし、右手で自身のポケットをまさぐった。ナイフでも取り出すつもりか。エスメの膝は震えて力が入らない。首に触れる手が気持ち悪い。見知らぬ男に捕まるくらいなら、レジェスに捕まっておけばよかった。


 助けを求めるように視線を上げると、レジェスの顔から(するど)さは消えており、眉根を寄せつつも柔らかい表情をしていた。


「エスメ、君は賢い。……どうすればいいか、わかるな?」


 レジェスの言葉にハッとして、エスメは“王の書”を紐解く。


(教えて。わたくしは、どうすればいいの?)


 ――左に重心をかけろ。


 授けられた知恵に従い、エスメは左側――男の腕のほうへ身を引いた。途端に男が体勢をくずす。すかさずレジェスが破落戸を引き剥がし、地面に落とし込んだ。三人とも生きてはいるが、起き上がる様子はない。


 恐々と破落戸たちを眺めていたエスメは、ふと影が差して顔を上げる。そこには唇を噛んだレジェスが、わなわなと体を震わせていた。怒っているにしては、なんとつらそうな表情だろうか。


(逃げたから……わたくしを、罰するの?)


 身構えたエスメに、レジェスは消え入りそうな声を落とした。


「無事でよかった……」


 どうして? と聞きそうになって口を(つぐ)む。理由はわかりきっている。無事、皇帝に差し出すためだ。レジェスも皇帝がこわいに違いない。

 ギュッと握り込んだエスメの手を、レジェスが胸もとへ引き寄せた。


「王女、俺を憎め。怒りは生きる原動力になる。君は生きなければならない。そうだろう?」


 まるで何もかも知っているような口ぶりだった。


「いくらでも殴って構わない。いっさい抵抗しないと誓う。俺の命は、君のものだ」


 エスメの全身を、熱された血流が駆けめぐる。胸のうちに溜っていたものがフツフツと沸き上がり、抑えようもなかった。


「な……何よ! どうしてそんなこと言うの⁉ 後悔しているような顔をして! 悔やむなら殺さなければよかったのよ!!」


 レジェスの胸に拳を叩きつけても、体を揺らすことさえできなかった。両の拳をもってしてもそれは変わらない。


「返してよ! お兄様とお父様を!! 返して……お願い……」


 沈みゆくエスメの体に合わせてレジェスも膝をつくが、その両腕がエスメを抱くことはなかった。出会ったときと同じように、ただひたすら、エスメが落ち着くまで(かたわ)らに(たたず)んでいるだけ。

 レジェスに押し当てた額と拳から伝わる暖かさが、エスメの心をひどくかき乱した。


(どうしてこの人が……、もっと嫌な男であれば、心底憎めたのに)


 どんな男であろうと、身内を殺された事実は変わらないのに、相手がレジェスというだけで戸惑う自分に一番腹が立った。


 ――間違えるな。許してはならない。

 “王の書”が震えるのを感じ、エスメは心の中で頷いた。


(わかっているわ。決して許さないから)



 このときからエスメは塞ぎがちになったが、不思議とレジェスに対する恐怖はなくなった。明確な敵として怒りをぶつけていいとわかったからか、それとも、彼が絶対に手をあげないと言ったからか。


 時折、エスメが暴言を投げつけようとも、胸板を叩いても、狼の瞳は柔らかく澄んだままだった。


(どうして、そんなに優しい瞳で見るの?)


 ――帝国に復讐を! 第一皇子に無惨な死を!!


 気が緩みそうになるたびに声が聞こえる。忘れてはならない。彼は仇だということを。いつか、復讐を果たさねばならない。


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