最終話 愛の抵抗記は終焉へ
「……まさか、彼を愛しているのか?」
兄の言葉に心臓が跳ねるも、エスメは首を横に振った。
「いいえ、お兄様。これは愛ではないのです。それ以外の何かなのですが、わたくしにもよくわからなくて」
愛ではないから血の契約を解除できなかったのだ。そう思っているエスメは、アンドレイ以上に戸惑っている様子。
レジェスを不安げに見つめていたリサベルだったが、弟の不始末にこめかみを揉んだ。
「エスメ王女、血の契約は解除されております」
「で、でもっ」
「レジェスは……、あなたの気持ちが『愛』ではないと、偽装したのですわ」
アンドレイにもわかるようにリサベルがこれまでの話をすると、エスメは真っ赤な頬を押さえて瞳を彷徨わせ、アンドレイは複雑な表情を見せた。
忙しないエスメの視線は、ワゴンに乗った短剣に行き着く。
「あれは……」
「レジェス皇子のお腹に刺さっていたものです」
そう言って隠そうとするホセの手を止める。
ありふれた短剣だが、同じものをアリヤが持っていた記憶がある。
鍔の彫飾が一部欠けているところまでそっくりだ。
「そんな……どうして」
「妃殿下?」
エスメは胸に手をあて、“王の書”をひらいた。
(サナム王国で流通している毒を教えて)
――主流は神経に作用するヘビ毒。サナムでは馬にヘビ毒を与え、その血で解毒薬を作っている。
(解毒薬があるのね! きっとアリヤ様なら持っているはずだわ)
皆に説明する暇も惜しく、エスメは治療室を飛び出した。
だがすぐに兄やリサベル、ホセに追いつかれてしまう。
「エスメ、どこへ行くつもりだ?」
「ハァ、ハァ、お兄様……話しかけないで。急いでるの」
大股で歩く兄と同じ速度しか出せない体が恨めしい。
リサベルは小走りしながらも、涼しげな顔を傾けた。
「皇宮へ向かわれるのですか?」
「ええ、アリヤ様に……用が、あるの」
そこへのんびり口調でホセが答えた。
「アリヤ妃殿下なら、侍女と一緒に使用人通用口へ向かわれましたよ?」
「はっ、早く言ってちょうだい!」
「ええ~、りふじ~ん」
「……そうね、ごめんなさい。あなたに当たってしまったわ」
しょんぼりと肩を落としながら方向転換すると、ホセは「これは緊急事態ですからね!」と言ってエスメを横抱きにした。
「レジェス殿下のためなんでしょう? 口を閉じてください。走ります!」
「あっ、おい⁉ 運ぶなら僕が――」
アンドレイが何か言っていたが、すぐに聞こえなくなった。ホセも走るのが速い。
あっという間に通用口に着き、小さな門の外で言い合う声が聞こえた。
「我々は主を待っておりますゆえ、ご容赦ください」
「これだけの宝石を積んでも売らないなんて、あなたたちの主は幸せ者ねぇ」
これまた懐かしい声にエスメがおどろく。
「イゴル? あなたなの?」
「姫様!! ご無事で何よりです!」
「あなたこそ! レジェスに斬られたとばかり……」
「実は――」
レジェスはイゴルを捕まえたのち、ほかの護衛とともに縄で縛り上げた。
そしてイゴルにこう言った。
『国境沿いの教会に、アンドレイ王子を匿ってもらった。帝国軍が引いたのちに向かえ』
エスメは鼻にツンとした痛みを感じて両手で押さえた。
(レジェス、あなたって人は……ありがとう)
あとはレジェスが回復してくれたなら……。
その元凶である背中に声をかける。
「アリヤ様、解毒薬を渡してくださいませ」
「……くすっ、本当にあなたは、何から何まで持っているのねぇ」
「え……?」
「戦ってくれる父親、守ってくれる皇子様、忠実な騎士たち。前に『羨ましい』って言ったのは本心よ」
「アリヤ様……」
たしかにそうかもしれない。失ったものばかりに目を向け、持っているものには気づかない振りをしていた。そうでなければ、復讐など果たせなかったから。
かぶっていたフードを下ろし、アリヤは不敵に微笑んだ。
「こんなに早くあたしにたどり着くなんて、やはりリブレリア人は侮れないわね。でも、解毒薬は渡さないわ」
どうして、と問いかけるより先に、彼女の動機に思い当たった。
「アリヤ様、レジェスは戦争を止めようとしているの。これはサナムを苦しめる行為よ」
「ハッ……まさか。皇帝の言いなりでしかないあの子に、逆らえるはずがないわ」
「――本当ですわ!」
後ろから飛び込んで来た声は、兄に抱えられたリサベルだった。顔が真っ赤になっている。アンドレイに下ろしてもらい、リサベルは気持ちを切り替えるように咳払いを落とした。
「レジェスは変わろうとしています。それに、エスメ王女のおかげで血の契約も解けましたから。あの子を縛るものはもう、何もないのです」
目を瞠ったアリヤの顔が青ざめていく。よろめいた体は侍女のシラが支えた。
エスメがにじり寄る。
「アリヤ様、お願いです。解毒薬を」
「……いいえ、渡さないわ」
「アリヤ様!」
「必要ないのよ」
「――え?」
アリヤは突然、こんな話をはじめた。
「第一側室妃が亡くなったのは、毒を盛られたせいよ……」
それに気づいたレジェスは毒について調べ、アリヤにもヘビ毒を分けてくれと頼んできた。憎き皇后に使うのかと思いきや、レジェスは少量ずつ自身に投与していった。
リサベルは頬に手をあて、「そういえば」と続ける。
「いろんな毒をレジェスと一緒に試しましたわ。少しずつ耐性をつけるのだと言って」
アリヤは頷き、思い出を懐かしむように笑った。
「姉まで失いたくなかったのよぉ。――というわけで、レジェスは死なないわ。だけど……そうね、動けるようになるまで五日はかかるはずよ」
アリヤはレジェスを殺す気などなかった。魔剣の脅威をサナムに伝え、備える時間を稼げればよかったのだ。
「それに、エスメ王女を敵にまわすのはこわいものぉ」
「…………。アリヤ様、国へ戻られるのですか?」
少しふてくされた表情で問えば、アリヤは曖昧に頷いた。
「そのつもりなんだけど、初手でつまずいちゃったのよねぇ。家紋のついてない、二頭引きの馬車なんて、なかなか……」
言いながらアリヤは、チラリと馬車を見やる。
エスメが兄を窺い見れば、快く頷いてくれた。
「イゴル、馬車はアリヤ様にお譲りして」
「――は、仰せのままに」
***
アリヤの予想に反して、レジェスは三日で回復した。寝ているあいだに筋肉が落ちたことを嘆き、皇宮の裏庭で剣を振るう。エスメはその様子をテラスから眺めた。
この三日間でさまざまなことが起きた。バルトロメは消火が間に合わず死亡。パーティー会場の隅にいたクラウディオも、発見が遅れて死亡した。
息子たちの死を聞かされた皇后は、目を離した隙に、五階のバルコニーから飛び降りた。
しぶといのは皇帝だ。すんでのところでマントを脱ぎ捨てたため、上半身の火傷は免れた。頭も口も達者なものだから、治療室で毎日、医師たちを怒鳴り散らしている。
面倒をみてくれるはずの使用人はパッタリといなくなった。侍従長も侍女頭も、こぞってレジェスに媚を売り、皇帝には見向きもしない。医師が匙を投げれば、食事すら運ばれなくなりそうだ。
サナム侵攻の取りやめは、ホセが伝令を出してくれた。サナムは遠い国なので、まだ戦は始まっていない。戦争は回避できるだろう。
皇帝の目が届かないのをいいことに、兄アンドレイたちは皇宮の客間で過ごしている。
ぼうっとレジェスを眺めていると、暇を持て余したアンドレイが加わり、打ち合いをはじめた。
アンドレイの生死については、レジェスも賭けであったという。むやみに教会へ寄れば、バルトロメに気づかれるかもしれない。だから戦争が終わってようやく、ホセに安否を探らせた、ということだった。
火事騒動から一週間が過ぎたころ、ダビド大司教が祭服姿のまま、慌てた様子でやって来た。
レジェスと一緒にエスメも呼ばれ、応接室でダビドと向かい合う。
「レジェス、体調はもういいようだね?」
「ええ、筋肉はまだ完全には戻りませんが。三日であんなに落ちるなんて……」
レジェスにとって筋肉は大切なものらしい。
それを知ってか知らずか、ダビドは聞き流して続ける。
「ならばすぐに即位式を。そして戴冠式も早々に行わなければ、皇家に対する不満がふくらんでいる。だがお前なら――」
「――叔父上、俺は皇位継承権を放棄します」
「なんだと?」
「離宮にいるブルーノには手紙を出しました。もうすぐこちらへ着くでしょう」
ブルーノとは第四皇子の名前だ。
「だが、ブルーノはまだ十二歳だぞ? それにお前のほうが」
「叔父上が摂政に就いてください。俺の命はエスメに捧げると決めたんです」
しばし睨み合いが続いたのち、ダビドが折れた。
「…………ハァ、そうだったな。面倒事から逃げたツケがまわってきたか。それで、お前はこれからどうするんだ?」
「エスメと一緒に旅に出ます」
「旅……?」
これは昨夜、レジェスと遅くまで議論したことだ。
『レジェス、あなたは皇帝に相応しい人物だわ。だから――』
さよならを告げようと思ったのに。
『冗談じゃない。俺はリブレリア王から課題を出されているんだ。それは皇位に縛られた状態でできるものじゃない。エスメはこれからどうしたい?』
『わたくしは……旅に出るわ。人のいない静かな土地を目指すの』
期待と不安を胸に秘めながらもエスメが答えると、レジェスはギョッとして眉を跳ね上げた。
『誰と行くつもりだ⁉ ひとりじゃ無理だろう』
『無理なんかじゃないわ! わたくしだってやればできるのよ!!』
レジェスは言いたいことがたくさんあるような顔をして、けれど、言葉を絞った。
『俺は君から離れないからな!』
『はうっ⁉ そ、それはよい心がけね! でも、それじゃ誰が皇位を継ぐのよ?』
『ちゃんと考えてある。叔父上にすべて押しつけるつもりだ』
そう言ったレジェスの悪い顔が、エスメの脳裏に焼きついている。
ダビドはまだ不満げだ。引き止められる前にと、レジェスは言葉を強めた。
「リブレリアに寄ったあと、いろんな場所を旅して、安寧の地を見つけます!」
「ハァァァ……ふたりとも、手紙くらいは寄越してくれよ?」
「「はい!」」
***
旅立ちの日がやって来た。
用意された馬車の前で、唐突にレジェスがひざまずく。
「エスメ。遅くなったが、受け取ってほしい」
リサベルとダビド大司教、そして兄アンドレイが見守るなか、エスメの左手にオレンジ色の光を放つ指輪が収まった。
「これは……オパールかしら?」
「ああ、ファイアオパールだ。嫌われたらと思うと、ずっと渡せなかった」
「なんて美しいの。あなたの瞳のようだわ」
オレンジ色の夕焼け空に朱く染まった雲が浮かんでいるかのようだ。
レジェスはエスメへ手を差し出し、愛しいただひとりを見上げた。
「エスメ王女、あなたを心から愛している。あらためて、俺と結婚してほしい」
「ふふっ、順番が違うわね」
レジェスは少し困った顔で微笑んだ。返事を待っているのだろう。
出会ったときと同じように、大きな手のひらに身を委ねた。
「ええ、あなたと結婚するわ。よろしくね、旦那様」
愛の抵抗記はこれでおしまい。
これからは愛の探求記が、エスメの書に綴られていくことだろう。
~Fin~
最後までお読みいだたき、ありがとうございました。
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