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第24話 死ぬまで終わらない復讐

 リサベルには『皇后に恥をかかせよう』と誘い、倉庫に眠るオレンジの精油を持ち出し、ひと晩かけて床に染み込ませた。アリヤには毎日少しずつ、皇帝の夜会用の靴底に精油を垂らしてもらうようお願いした。


 彼女たちはダンス中に皇帝夫妻が転ぶのを楽しみにしている。だがエスメとしては、まだ転んでもらっては困るのだ。


 ふたりが無事、ダンスフロアの中心へ進んだのを見てエスメも動く。

 周囲を貴族たちが取り囲み、ワルツがはじまった。

 壇上から降りてすぐの、人垣でできた輪っかの端に立ち、ポケットから精油を取り出して垂らす。


(うまく着いてくれるといいけど)


 ベルトを飾るバックルに忍ばせた鋼鉄リングを取り外し、中指の黒曜石と一緒に、曲の盛り上がりに合わせて勢いよく――擦った。

 飛び散った火花が床板に落ちる。何度か繰り返すと、精油についた火が瞬く間に燃え広がっていく。


 ――下がりなさい! いますぐに!


 “王の書”から発せられた警告に身を引いていなければ、エスメのドレスも無事ではなかったかもしれない。安全な位置まで下がって口もとにハンカチを押し当てた。


 オレンジの精油は引火点が約四十五度と低い。床を伝う火はぐるりとダンスフロアを囲み、皇帝と皇后が輪の中に取り残された。テラスから吹き込む風に(あお)られ、火の粉が舞い、貴族たちが逃げ惑う。


「水を!! すぐに消火を! ()を助けよ!!」


 皇帝の叫びに応え、衛士が助けに向かおうとするも、輪の幅は一メートル以上ある。熱さに(ひる)んで誰も飛び込まない。


(そうでしょうね。とても熱いもの。……お父様の痛みを思い知るがいいわ)


 バケツの水が届くまでのあいだ、衛士たちが飲み水用のピッチャーを火に浴びせていく。だがそれは、エスメが入れ替えた蒸留酒だ。バチバチとおそろしい音を立てて炎が燃え盛った。


 皇后からプレゼントされたお仕着せは、渡りに舟だった。エスメが朝廷宮に出入りできない問題点を解決してくれたのだから。


 この騒ぎに乗じて侍従たち使用人は我先にと逃げた。助けようとする貴族もいない。片手で数えられるほどの衛士が残っているだけ。人望がないにも程がある。


 火が強まり、いよいよ誰も近づけなくなったとき、痺れを切らした皇帝が火に近づいた。すぐに諦めて後ろへ下がったが、火の粉が仕事をしてくれたようだ。

 突然、足もとから火の気が立ち、皇帝は飛び跳ねながら、わめき声をあげる。


「ああぁぁ――――⁉ ひっ、火があああぁぁ――――!!」


 皇后もひどく取り乱し、「こっちに来ないで!」と逃げまわる。皇帝のマントに燃え移った火は皇后にも飛び火して、大輪の炎の華を咲かせた。ダンスフロアで踊るふたりの顔は、狂ったように歪んでいる。


「父上! 母上!!」

「母様ぁ――!!」


 ふたりの皇子は会場の隅で、幼子のように叫ぶだけ。成人済みとは思えない。

 あきれた視線を投げていると、クラウディオに近づく貴族がひとり。


(あっ)


 クラウディオの背に沿うように中年の男性が重なった。蜂蜜色の髪と顔立ちはナタリアを思い起こさせる。


(彼もまた、復讐に来たのね)


 クラウディオの目が見ひらかれ、体が沈んでいく。

 バルトロメは炎を見つめてオロオロするばかり。後ろを振り返りもしない。


 這いつくばるクラウディオの背には短剣が深く刺さっている。それを冷たく見下ろしていた男性と、ふいに目が合った。一瞬身構えたものの、男性は胸に手をあて、エスメに一礼してから去って行った。


(まぁ、こんな時にも礼儀を忘れないなんて。わたくしも見習いたいわ)



 ダンスフロアに視線を戻そうとしたとき、震える声で呼びかけられ、ゆっくりと振り返る。


「妃殿下、お気持ちは晴れましたか?」


 リサベルの表情は(とが)めるでもなく、むしろ(おび)えているように思えた。


「……そうね。父と同じ苦しみを与えることができて、満足よ。息の根を止めてやりたいところだけど、ここまでのようね。残念だわ」


 バケツリレーがはじまった。炎の道がひらかれ、ふたりに水がかけられていく。皇帝の靴に精油を仕込んだのは、下半身に重度の火傷を負わせるためだ。これでもう若い女性が生贄(いけにえ)になることはないだろう。


 本当は『息の根を止めたい』とは思っていない。エスメの思い描く“復讐”とは、長く苦しめてこそ遂げられるものだ。火傷を抱えて死ぬまで苦しめばいい。


 皇后はふくらんだスカートに守られ、上半身が大変なことになっていた。

 髪から下がる長いベールを炎が伝い、赤毛は黒く焼け落ちて、苦しそうに喉を押さえている。熱されたネックレスに肌を焼かれたか。


「リサ、あなたは復讐しなくていいの? いまがチャンスよ」

「……あの状態では、長くは生きられないでしょう。それよりも、……どうか、レジェスへの復讐を思い(とど)まっていただけませんか?」


 この火事で、リサベルは自身の考えが甘かったことを思い知った。何もできない鳥かご姫だと侮っていたのだ。これだけの知恵があるならば、弟もひどい目に遭うかもしれない。


「もう手遅れだわ」

「っ……妃殿下、いえ……エスメ王女。どうか、弟だけは……罰ならわたしが」

「何を言ってるの? あなたにもレジェスにも復讐したでしょう? この先ずっと、あなたたちから恨まれる覚悟よ」


 リサベルはわけがわからず必死に頭を悩ませた。ひとつ思い当たることがあるとすれば、父親が火に巻かれたこと。

 あのろくでなしが火傷を負い、後遺症で死ぬことがあったとしても、リサベルはもちろんレジェスもきっと、エスメを恨むことなどない。


 血のつながりに希望を抱いたのは過去の話。昔は憎悪を向けたものだが、いまではその熱意も失った。レジェスとふたりで諦めたときから、父親というものに興味を失ってしまったのだ。

 しかし、そのことをエスメに告げる気はない。


「……では、これで復讐は果たせましたか?」

「いいえ。復讐はレジェスが死ぬまで続くのよ」

「エスメ王女、どうか――」

「――ねぇ、レジェスはわたくしとの約束を、ちゃんと守ってくれるかしら?」

「約束……?」


 レジェスは血の契約が『ほとんど解除されかけている』と言っていたが、エスメは心配だった。


(だってまだ、バルトロメが生きているわ)


 自害を命令されたとき、本当に(あらが)えるのだろうか。

 いつの間にかバルトロメは会場から姿を消している。


 “王の書”は『使用人通用口へ向かえ』と揺さぶってくるが、エスメは迷いを消し去り、ホセが待つ通用口ではなく、皇族用通路へと足を向けた。



 ***


 一方、パーティー会場をあとにしたレジェスは、後発隊の隊長を捕まえて説得を試みていた。


「先発隊の引き上げを! 俺が責任を取るから、頼む!!」

「私だとて、そうしたい。しかし、陛下の命令に背いて処罰を受けるのは我々です。いや、我々だけで済むならまだしも、陛下は我々から家族を奪うでしょう。ならば、戦場で散るほうが余程いい」


 隊長も兵士たちも唇を噛み、やるせない表情を見せる。

 レジェスがなおも言い(つの)ろうとしたとき、会場からたくさんの悲鳴があがった。


「どうしたんだ?」


 逃げ惑う人々の姿はあっても、原因がわからない。テラスからも貴族たちが飛び出してくる。レジェスが一歩踏み出したところで、隊長に肩をつかまれた。


「殿下、我々はサナムへ向かうよう命令を受けております」

「しかし、この騒ぎは尋常ではない!」

「会場内には衛士がおります。さぁ、参りましょう」


 彼らの顔にうっすらと浮かんだのは嘲笑だった。兵士には平民が多い。貴族や皇帝がどうなろうと、知ったことではないのだ。命令を守り、自分たちの家族さえ無事ならそれでいい。


 会場内からごうっと火が燃え上がった。


「エスメ! ――隊長、俺はあとから合流する!」


 隊長の手を振り払い、レジェスは遠回りして人気(ひとけ)のない廊下を走った。次の角を曲がれば会場へ着く。

 ところが道を塞ぐ者がいた。アリヤが(みち)の真ん中に立ち、いつもの調子で暢気(のんき)に手を上げる。


「エスメ王女なら大丈夫よぉ。だって、この騒動を起こした張本人だもの」

「……王女が」


 きっと“王の書”が彼女を助けてくれる。そうは思えども、どこか抜けているエスメを信用しきれない気持ちが(まさ)った。何せ、ヤカンではなくティーポットを直火にかけようとした前科がある。


「そこを退いてくれ」


 強引に押しのけようとしたところ、突然アリヤが抱きついてきた。

 レジェスの腹部にヒンヤリとした感覚が走り、次第に熱を持っていく。


「レジェス、お別れを言いに来たの」

「ア……リヤ、どうして……?」

「死神皇子をサナムへ送るわけにはいかないの」


 腹に刺さった短剣が、レジェスから力を奪った。思わず膝をつくと、アリヤが横を通り過ぎて行く。残された声は少し震えていた。


「あたしは国を守るために嫁いで来た。最後まで祖国を守らなきゃ、生きている意味がないの」


 女の細腕で刺されても内臓にまでは達しない。けれど、刃に毒が塗ってあったようだ。体が痺れ、視界が霞んでいく。


「エスメ……、どうか……無事で」


 約束を守れないかもしれない。

 だが何よりも、エスメの安否が気がかりだった。


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