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第23話 この時を待っていた

 アリヤの後ろから、リサベルが浮かない顔をのぞかせた。彼女のドレスも用意したのに、皇后の機嫌を損ねるからと言って逃げたのだが、アリヤには敵わなかったようだ。


「さぁ、リサ。あなたも着替えるのよぉ」

「ですが……」

「今日はおもしろいことが起こるそうよ。見逃したらきっと後悔するわぁ」


 リサベルはアリヤの侍女に連れられて浴室へ。

 そのあいだにエスメは、アリヤに耳打ちした。


「アリヤ様、お願いしていた件ですが」

「ちゃんと染み込ませて来たわよぉ」

「ありがとうございます」

「大広間にも悪戯したってリサから聞いたわ。うまくいくといいわねぇ」


 アリヤはニヤニヤした笑みを喜びの表情に変えて、クルリと一回転してみせた。やわらかなスカート生地がまわり切ると、体の線が露わになる。


「あたしも帝国式ドレスをやめたの。やっぱり自国のドレスは落ち着くわねぇ」

「本当に。よくお似合いですわ。ところで、スカートの中に何か入れているのですか?」

「あら、気づいちゃった? これはねぇ、短剣なの」


 国を離れるとき、親から渡された自害用の短剣だという。家紋もなくありふれたものだが、(つば)の彫飾が一部欠けている。肌身離さず持ち歩いているのだろう。



 浴室から出て来たリサベルに紫色のドレスが着せられていく。帝国式のふんわり広がったドレスではなく、お仕着せと変わらない控えめな色とデザインだったので本人も首を縦に振った。


 すべてが終わったあと、ほんの悪ふざけだと思ってエスメに加担したふたりは、どんな顔を見せるのだろうか。


(これで、レジェスとの関係も一変してしまうのね)


 それでも構わない。復讐を遂げないかぎり、エスメは笑うことなどできないのだから。ひとたび覚悟を決めれば、こわいものなど何もなかった。



「――入るぞ?」


 フィッティングルームの隣にある待合室に、レジェスがやって来た。皇子服ではなく、黒い騎士服をまとって。

 金の刺繍が施され、ペリースマントも着けているからそれなりに見栄えはする。されど、これから戦場へ向かうことを否応(いやおう)なしに突きつけられた。


「これは、リブレリアのドレスか。上品で美しいな……君によく似合っている」

「ありがとう。レジェスも素敵よ」


 レジェスは眩しそうに目を細めながらも、ポツリとこぼした。


「……悔しいな」

「どうしたの?」

「父は、一曲踊る時間すら与えないつもりだ」


 聞くところによれば、マルシアが皇帝に告げ口したらしい。それでレジェスたちの出立時刻が早まったという。

 アリヤがあきれた顔で腕組みをした。


「まったく小さい男ねぇ! 会場もわざわざ西門近くの大広間にしたでしょう? 王女にレジェスたちを見送らせるためよ」


 その執着を見越して大広間に悪戯をしたのだ。思ったとおり会場の変更はなかった。オレンジの匂いは取れたのだろうか。


「アリヤ様。ファーストダンスは皇帝と皇后が踊るのでしょう?」

「ええ、それは間違いないわ。皇后陛下に恥をかかせるわけにはいかないものぉ」


 ならば何も問題ない。エスメはレジェスに手を差し出す。


「行きましょう」

「ああ」



 会場へ向かいながら、レジェスはしきりにエスメの手を気にしている。それも左手を見て、何か言いたげな表情だ。


「レジェス?」

「……その指輪の石は、黒曜石か?」

「ええ、大きくていいでしょう?」

「それもいいが、王女にはもっと明るい色のほうが……いいと思って……だな」


 レジェスの声が尻すぼみになっていく。エスメがヒールを履いても身長差があるのだから、小さな声だと聞こえづらい。聞き返そうにも会場に着いてしまった。

 アリヤとリサベルは別の扉から入るため、ここでお別れだ。


 皇族用の扉がひらき、レジェスのエスコートで進む。先に入場していた皇帝はエスメの全身を見まわして歯噛みした。髪は結い上げ、レジェスの色に染まったリブレリアのドレス。すべてが意に反している。


 こちらまでギリギリと音が聞こえそうなほど、皇帝の口もとは(ゆが)んでいた。


 バルトロメは、掃除メイドたちの献身ですっかり元気になった。クラウディオも片目を隠すような髪型で参加している。

 ふたりは腕組みをしながら、ニヤついた笑みを見せた。これは何か企んでいる。


「レジェス、どうしましょう? 魔剣のリセットをしていなかったわ」

「大丈夫だ。実は――」


 レジェスの声をかき消すほどの歓声があがった。集まった貴族たちがこちらに注目している。帝国式カーテシーで応えると、拍手でもって迎えられた。


 会場を見渡すかぎりエスメの親世代が多く、若い世代は男性しかいない。若い女性を見つけたと思ったら、アリヤとリサベルだった。ふたりは内階段を上がっていく。二階から悪戯を眺めるつもりだろう。


 十代の女性は見事にいない。この異様さに誰も気づいていないのだろうか。


 大広間の一階は窓が全開で風通しもよく、外へも下りられるテラスは薔薇の生け垣に囲まれ、その向こうには兵士たちの並ぶ姿が見える。

 夏は日が長いとはいえ、帝都を出たころには暗闇に包まれていることだろう。


 皇帝が立ち上がり、開会の口上がはじまった。威厳を示す毛皮つきの豪華なマントは、レジェスとの差を見せつけているかのよう。

 くだらない自慢話にエスメの(まぶた)が閉じそうになったころ、皇帝の口からリブレリアの名があがった。


「――戦利品として“王の書”を持ち帰るはずが、目の前で焼失させ、おめおめと戻って来たレジェスに、王女を(めと)る資格はない!! よって、エスメ王女はレジェスと離縁させ、()の側室とする!」


 この宣言に会場は、嘆くかのようにどよめいた。口もとを観察するに、「またか」と言った声が多く、眉をひそめる者たちばかり。

 皇帝にしたり顔を向けられても、エスメは白けた顔で群衆に目をやった。


 そこへ、ひとりが手を叩きはじめると、渋々と拍手があがっていく。

 拍手を先導したあの男は宰相だ。


(皇帝を(いさ)めるべき宰相が、あれではね)


 リサベルの話では、皇后の権力を笠に着て、ずいぶんと甘い汁を吸っているらしい。


 レジェスの反応が気になって見上げたが、意外と冷静に受け止めており、エスメの視線に気づいて耳もとに口を寄せた。


「王女。修練場の近くにある、使用人通用口を教えてもらっただろう?」

「ええ、リサから聞いたわ」

「隙を見てそこへ行ってくれ。ホセが馬車で待っている」

「――え?」

「君を故郷へ帰す」


 レジェスがこんな冗談を言うはずがない。ずっとホセの姿が見えなかったのも、この日のために準備していたせいだったのか。それでも、これから起こす出来事を知れば、考えが変わるかもしれない。


「……レジェスはどうするの?」

「俺は戦争を止める。もう父の言いなりにはならない。こんな勇気をもらえたのも、君のおかげだ」

「止めるって、まだ始まっていないでしょう?」

「俺たちは後発なんだ。先発隊がサナムへ向かっている。全員引き上げさせたら、エスメ……君に会いに行ってもいいか?」


 レジェスと離れるけれど国へ帰れる。でも戦争に送り出せば、二度と会えないかもしれない。エスメは不安になり、彼の腕をギュッとつかんだ。

 レジェスはその手に自身の手を重ね、エスメをまっすぐに見つめた。


「エスメ……俺は君のことを――」


 見つめ合うふたりを引き裂くように、皇帝の言葉が続く。


「レジェスよ! いますぐサナムへ侵攻せよ!!」


 レジェスはスッと一礼すると、エスメの姿を目に焼きつけるように見つめ、会場をあとにした。


「はぁ⁉ なぜ言うことを聞かないんだ⁉」


 素っ頓狂な声をあげたのはバルトロメだ。

 その隣でクラウディオもおどろいた顔をしている。

 レジェスに何かをさせようとしたのだろうが、彼はもう会場の外だ。


「ち、父上!!」


 焦ったように皇帝へ走り寄ったバルトロメだったが、皇帝は意に介さなかった。


「行儀の悪い。――下がれ! さっさとファーストダンスを済まさねば」


 その言葉に皇后は苛立ちながらも、ダンスの誘いを断ることはなかった。皆の前で新参者(エスメ)と先に踊られるなど、プライドが許さないのだろう。

 皇帝にエスコートされて皇后が階段を下りていく。結い上げた赤毛から垂れる長いベールや、ひと際華やかにふくらんだドレスを興味深く見つめた。


(この時を待っていたわ)


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