第22話 皇帝陛下の意に背く
小鳥のさえずりに目を覚ますと、眉間にシワを寄せたレジェスの顔があった。
心なしか苦しそうだとエスメは思案する。
(もしかして、愛が足りなかった?)
くっついて眠ったはずなのに、いつの間にか体の距離があいている。これが原因かもしれない。エスメはもぞもぞとレジェスの懐にもぐり込んだ。
(あら? なんだか落ち着くわ。このまま眠って……しまい……)
すやすやと気持ちよさそうな寝息を聞きながら、レジェスはさらに眉間のシワを深めた。身じろぎもできない状況で、体は熱を上げていくばかりだ。
――夫婦になったのだ。抱きしめるくらいは許されるのではないか。
……いや待て、無理やり結んだ婚姻だぞ。
それでもエスメは『あなたを愛したい』と言ってくれた。ならば自分も、愛していると告げても嫌われないのではないか。
「……エスメ、俺も君のことを」
寝ているのをいいことに練習しようとしたのだが、どこからか視線を感じて魔剣を呼び寄せた。
「ちょっとぉ! そこで剣を持ち込むなんて、台無しじゃなぁい」
「その声、アリヤか……」
足もとから聞こえるということは、エスメのクローゼットからのぞいているのだろう。エスメよりひとまわり大きな体格のせいか、アリヤは「痛い」「無理」と言いながらも這って寝室に入ってきた。
さすがのエスメも騒がしさに目を覚ましたようだ。
「……れじぇす、しわ、なくなった?」
「シワ? 何の話だ?」
まだ少しボーッとしていたエスメは、レジェスの手にある魔剣を見て目が覚めた。一晩愛し合ったはずなのに、宝珠の赤い線が消えていない。
(――あ、涙が必要だったわ!)
頬を叩いたりつねったりとエスメが奇行に走り出し、アリヤが慌てて止めに入った。
「何をしてるの⁉ 今日の主役なのに顔が腫れ……あら、変わった夜着を着てるのねぇ?」
「でもっ、ちゃんと初夜を終えたから、解除できるかもしれないの!」
「「――エッ⁉」」
まだ終えてなかったのか、とアリヤがあきれた視線を向ければ、レジェスが頭を抱えている。
察したアリヤは、エスメの手を引いて壁に連れていく。
「リサが待っているから、早く部屋へ戻りなさい」
「でも涙が……」
穴に押し込まれ、不承ながらもエスメは戻っていった。
「さて」とアリヤはレジェスに振り返る。
「昨夜は大変だったのよぉ? あなたが騒ぎ立てるから、王女に何かあったんじゃないかって、陛下が取り乱しちゃってぇ」
「……クラウディオまで、王女に手を出そうとしたんだ」
まずバルトロメの部屋に押し入ったが空振りに終わった。次に皇帝の部屋へ行こうとして思い留まる。少し冷静になり、エスメの部屋の入口に落ちていた血痕を思い出す。
魔剣に血を吸わせ、導かれるまま三階へ向かいながらも、血の主にエスメを守るよう命令した。
「ああ、それであんな服を……まぁ、女のあたしから見ても、頬ずりしたくなるものねぇ」
うんうんと頷いて、ふいにアリヤが窓の外へ目を向けた。
「ねぇ、予定どおりに今日出征するの?」
「……ああ、そのつもりだ」
「そう」とつぶやいたアリヤの横顔に憂いは見当たらず、だた強い眼差しで空を見上げていた。
***
本日のお披露目パーティーは、エスメの所有権を皇帝が喧伝するためのもの。軽い昼食を取ってすぐ、エスメは朝廷宮のフィッティングルームへ呼び出され、五人の侍女たちに浴槽へ放り込まれた。
念入りなマッサージを受け、自慢の髪もさらに輝きを増した。それを活かそうと考えたのか、子どものように髪を下ろされたものだから、エスメは侍女にぼやく。
「髪は結い上げてちょうだい」
「なりません。皇帝陛下のご命令です」
「…………」
何から何まで皇帝の趣味に合わせるらしい。浴室の隣にあるフィッティングルームでは、マルシアたちが待ち構えていた。
トルソーにかかるのは純白のドレス。ふくらんだプリンセスラインのテールはどこまでも長く、ベールと合わせてウェディングドレスにしか見えない。
肌の色を合わせると言っていた布地の中に白はなかった。最初から決まっていたのなら採寸だけでいい。やはり、皇帝の指示でエスメを無防備にさせたのだろう。
なんの罪悪感も抱いていないマルシアは、これみよがしに裾を揺らして見せた。
「いかがです? リブレリアでは手に入らない上質な絹ですわ。皇帝陛下の側室になれば、これからも贅沢ができますのよ?」
「……わたくしはレジェスの妃よ」
頑なな態度を見せるエスメに、マルシアはもう取り繕わなかった。
「ハッ、そんなもの、陛下が『側室だ』と言えばそうなるの! 頭の悪い小鳥ね」
後ろからクスクスと声が聞こえる。平民であるマルシアの物言いに侍女たちは怒るでもなく、冷笑をこぼすだけ。マルシアは優越感に満ちた顔つきで、下着姿のエスメに手をかけた。
「さぁ、陛下がお待ちよ。さえずれないほどウェストを締め上げてやるわ」
そこへノック音が響き、エスメは顔を輝かせながら入室を許可した。
「どうぞ入って!」
「お待たせしました~! アネーロ商会で~す!」
「待っていたわ、エヴァ」
アネーロ商会はアリヤ妃御用達の店で、サナム王国のドレスはもちろん、リブレリア王国のドレスも扱っている。エヴァは明るい笑顔を振りまきながら、トルソーにかけられた純白のドレスを手早く抜き取り、マルシアへ投げた。
「納品先を間違ってますよ~。邪魔なんで、持って帰ってくださいね~」
「――な、なんですって⁉ どういうことよ⁉」
我に返ったマルシアは眦を吊り上げ、侍女たちもつられてエスメを睨んだ。
エスメはしれっと言い返す。
「商品を選択する権利は、客側にあるということよ」
「これは皇帝陛下のご命令よ!!」
「ええ。あなたの客は陛下なのでしょう? 陛下が何を注文しようと、わたくしには関係のないことだわ」
わけがわからないといった表情で、マルシアはわなわなと体を震わせた。
「自分が何をしているかわかっているの⁉ 陛下に逆らうなんてとんでもない。殺されるわよ⁉」
「あら、わたくしの心配をしてくれるの? でも結構よ。わたくしは着たいものを着るわ」
新たにトルソーへかけられたのは夕日色のドレス。茜色が空に滲むようなグラデーションが美しい。
リブレリアのドレスは、ベルトで調整するためコルセットがいらない。スカートの広がりも少なく動きやすい。肩から垂れる飾り袖には見事な刺繍が施されている。
「そ、そんな貧相なドレス、笑いものになるわよ⁉」
帝国で流行の豪快に広がったスカートではないが、緻密な刺繍が華やかさを醸し、決して見劣りはしない。エスメの思い描いたとおりのドレスだった。
「あなたたち、もう結構だと言ったでしょう? ――下がりなさい」
これでもエスメはリブレリアの王女だ。冷たい視線を流せばマルシアたちは口を閉ざし、ドレスを抱えて荒々しく出て行った。
それでもまだ侍女たちがいる。ある者はリブレリアのデザインに興味津々の様子、またある者は何か言いたげにエスメを目で追った。
レジェスの瞳を思わせる色をまとい、久しぶりに着た自国のドレスに安らかな気持ちを得る。
「エヴァ、髪をアップにできるかしら?」
エヴァが答える前に、ひとりの侍女が声を張り上げた。
「なりません!! 髪は幼子のように下ろせと、皇帝陛下のご命令です!」
「あなたたちも下がっていいわ」
「わたくしたちは陛下のご命令で――」
「――うるっさいわねぇ、廊下にまで聞こえてるわよぉ?」
のんびり口調で入って来たのはアリヤだ。サナム王国のドレスをまとっている。こちらも裾が広がらない動きやすそうなドレス。十年もいて、この国で着るのは初めてのことらしい。
「ヘアアレンジならシラにさせるわ」
「お任せください」
五人の侍女たちを追い出し、アリヤの侍女シラが櫛を握る。
後れ毛を遊ばせる程度にしっかりと結い上げてもらい、エスメの戦闘準備は完了した。




