第20話 愛じゃなかった
着せ替えなどという不躾な提案に、エスメは微笑みをくずさずジリジリと下がる。クラウディオが我が物顔で手を伸ばしたとき、男の鋭い声が割って入った。
「おい! それはぼくのモノだ!!」
声の主を見やると、顔や首などにも包帯を巻いたバルトロメが、護衛に支えられながら立っていた。意外と元気そうでエスメはがっくりと肩を落とす。
「バルトロメ皇子……」
「ああ、そんなに悲しまなくていい。すぐに治してみせるさ」
放たれた言葉を理解できず、エスメは辺りを見まわした。
誰も悲しんでいる様子はない。
「バル兄様はベッドへ戻ったら? みっともない」
「なんだと⁉ だいたい、ぼくの小鳥だぞ!!」
「兄様は振られたって聞いたよ!」
取っ組み合いをはじめた皇子たちを余所に、エスメはリサベルの袖を引く。
「リサ、行きましょう」
パトリシアは包帯姿のバルトロメに目を白黒させ、皇后は皇子たちを止めようとオロオロしている。
ふたりはゆっくりと下がり、猛ダッシュで逃げた。誰もいない階段横までたどり着くと、リサベルはとうとう笑い出した。
「あはは! 胸がスッとしましたわ」
「ハァ、ハァ。それは、よかったわ。ふ、ふふふ」
体力のないエスメは肩で息をしながらも、つられて笑みをこぼす。
ひとしきり笑ったあと、エスメは悪い顔をしてリサベルをのぞき込んだ。
「ねぇ、リサ。一緒に悪戯してみない?」
「ふふふ、今度は何をなさるおつもりですか?」
「パーティーのファーストダンスで皇后に恥をかかせるの。精油のある倉庫に連れて行って」
***
お披露目パーティーの前日、レジェスから久しぶりに話しかけられた。
「王女、魔剣のことなんだが」
「はぅ⁉ ち、違うわ!! あなたなんか愛し……愛……愛したり」
間近で見たレジェスは、少しやつれて見えた。
「わかってる。俺が聖水をかけたせいで、おかしくなったんだろう」
「そ……そうだわ! 絶対にそう! でも、魔剣はリセットされたのよね?」
もじもじと手遊びするエスメの前で、レジェスは申し訳なさそうに魔剣を引き寄せた。忽然とあらわれた魔剣の宝珠が、赤い瞳孔を細めている。
「うそ……どうして?」
「王女は俺を愛してなどいない……ということだ」
「っ……」
否定されて安堵するべきなのに、心臓に何かが突き刺さったように感じた。この棘のようなものは何だろうか。これのせいでうまく笑えない。
「王女?」
喜んでもらえると思っていたレジェスは狼狽えた。ここ一週間、魔剣にかなりの血を吸わせてやっと、ぱっと見にわかるほどの赤い線を得たのだ。
もう誰にも操られたくないという気持ちもあった。けれど一番は、エスメの葛藤を和らげたかった。
「王女、何を考えている? 教えてくれないか?」
「わたくしは、あなたを……」
――愛していない? そうよ、見目に惹かれただけだもの。こんなの愛じゃない。
包み込むような優しさも、忍耐強さも、気遣いも、野菜嫌いな子どもっぽさも、甘く痺れる声に胸をどれだけ焦がされようとも、エスメはレジェスの契約を解けなかったのだ。
「……あなたを操って利用するつもりだったのに、当てが外れたわ」
震える声でそれだけ言い捨てると、エスメは寝室へ逃げてベッドの中に転がり込んだ。
まるでエスメ自身を否定されたかのように心が引きつれる。どうしてこんな気持ちになるのか、わからなかった。
(きっと、計画がくずれたせいだわ……)
レジェスが操られたままだと困るから。復讐を遂げるのに魔剣は妨げになる。
(ねぇ、どうすればいい?)
――第一皇子を閉じ込めろ。頑丈な檻がある場所……展望台だ。
“王の書”から受け取った知恵にエスメは頷く。牢屋はむずかしくても、展望台なら誘い出す言い訳も立つ。すべてが終わるまで、レジェスには展望台にいてもらおう。
「さぁ、やれることはすべて、やっておきましょう」
エスメはこっそりとお仕着せに着替え、レジェスの部屋を通って外へ抜け出した。
一方、エスメに逃げられたレジェスは、寝室のドアの前でうなだれた。膝をつき、未練がましくドアに頭を擦りつける。
「俺は何を間違えたんだ?」
嘆かわしい弟の声に、リサベルはこめかみを押さえた。
「妃殿下の気持ちをなかったことにしたのは、まずかったわね」
「どうしてだ? 愛していないとわかれば、心が晴れると思ったのに」
「……叔父様の話だと、『身分も容姿も関係なく魂を愛する者』の涙しか有効ではないの。それだけあなたを愛してるってことよ。本人がいくら否定してもね」
うっ、と小さく呻いてドアに背を預け、レジェスは立て膝に額をぶつけた。いまだに信じられずにいる。どうして自分なんかを愛してくれるのか。肉親を奪った男のことを。
「なぜだ……理由がない……」
「愛ってそんなものじゃないかしら? ところでレジェス、あなたは気持ちを伝えたの?」
「……伝えられるわけないだろ。俺は彼女の仇なんだぞ? 迷惑なだけだ」
「わたしは伝えたほうがいいと思うわ。そうできなくなってからでは遅いもの」
リサベルにも想い合う人がいた。不遇な彼女を皇宮から連れ出そうとして捕まり、裁かれることもなく牢内で殺された。レジェスにもよくしてくれた兄のような存在だった。
「姉上……、わかった。出征までには、伝えられるようにがんばる」
「ええ、後悔しないようにね」
***
その夜、エスメはクローゼットの中でジッと穴を見つめていた。レジェスはまだ寝室へやって来ない。手にしたペーパーナイフは脅しに使うためだ。
(本当に言うことを聞いてくれるかしら? はしたないと軽蔑されるんじゃ……それでもいいわ)
明日、復讐を遂げればレジェスとの関係が変わる。もう優しく接してもらうこともなくなり、近づくことさえできなくなるだろう。だから最後に、レジェスのそばで眠りたい。
(ナイフを突きつけて脅すのよ。言うことを聞きなさいって)
これは、レジェスが大人しく従うかどうかを、見極めるためでもある。もし拒絶されたら、朝一で展望台に連れて行く。髪留めを落としたから探してと言えば、聞き入れてくれるはずだ。
探している間に閉じ込めて、エスメは復讐を果たす。すべてが終わったあと、レジェスはきっとエスメを許さないだろう。
(こんな関係も明日まで……)
いざ、レジェスの部屋へ入ろうとしたとき、ノック音が聞こえた。こんな夜更けに尋ねてくるのはレジェスくらいのもの。
ペーパーナイフを後ろ手に隠してドアへ向かう。薄暗いなか、居間のドアノブに手をかけようとして、鈴が落ちていることに気がついた。
「ふっ⁉」
後ろから口を塞がれ、耳もとで何事かをささやかれる。おそらく呪文だ。魔法が失われつつある帝国だが、魔術師がいると父の書にもあった。
咄嗟にエスメは、持っていたペーパーナイフを振りまわす。「チッ」と舌打ちが聞こえたのを最後に瞼が重くなり、エスメの意識は途切れた。
***
出征準備から解放されたレジェスは、疲れた体を引きずるようにして歩きながらも、エスメの部屋の前で足を止めた。
もう遅い時間だが、顔が見たい。どことなく眠たげなエメラルドの瞳。かわいらしい唇から紡がれる透き通った声。聞けば疲れなど吹き飛んでしまうだろう。
「いや……、どう考えても非常識だな」
ため息を落とした廊下の絨毯に、黒いシミを見つけた。指でなぞってみると、まだ渇いていない血液だった。
「王女、入るぞ!!」
ノックもそこそこにドアを押しあけると、入口に血のついたペーパーナイフが落ちていた。寝室を探しても、レジェスの部屋に戻ってみても、どこにもエスメの姿がない。
レジェスの瞳孔がひらくのに呼応して魔剣があらわれた。
「誰だ……王女を攫ったのは。父上か、バルトロメか?」
考えている時間はない。レジェスは皇宮をひっくり返さん勢いで探しはじめた。




