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第2話 敵に想いを寄せるなど

 エスメの強ばった体は立ち上がることすらできず、結局皇子に抱き上げられて林道に出た。


 馬車のそばには帝国軍がうようよいるものと身構えていたが、御者台に乗った若い兵士がひとりで待っていただけであった。

 若い兵士は「ホセです!」と明るく手を振り、死神皇子は「レジェスだ」と素っ気なく名乗り、ぎこちない手つきでエスメを馬車に乗せた。


 馬車の座席は高級ソファのような座り心地で、たくさんのクッションに囲まれていた。エスメひとりの空間としては十分な広さがあり、向かいの座席は折りたたみ式で、伸ばせばベッドのようになるらしい。


 ――だがこの気遣いも、エスメを皇帝に差し出すためのもの。


 レジェスの父である皇帝が、エスメを四番目の側室に寄越せと言ってきたのだから。エスメは言わば戦利品。傷すらつけることは許されないだろう。


 馬車に揺られながら、エスメは窓の外をのぞき見る。先ほどまで軽装だった死神皇子はしっかりと鎧を着込み、馬で併走している。こちらを油断させるために鎧を脱いでいたのだろう。やはり計算高い男のようだ。


「帝国はどんなところなのかしら?」


 我がリブレリア王国の南にあるカナル帝国。その皇帝は父よりも年上で、申し出のあった当時、エスメはまだ十四歳だった。父王も兄王子も激怒し、二年にも及ぶ戦争に発展した。

 もし皇子の正室にという話であれば、友好的な関係を模索できたであろうに。


「そうしたらわたくしは、彼の妃になっていたのかしら?」


 ぼんやりとレジェスを眺めていたら、目が合っておおいに狼狽(うろた)えた。

 プイッと顔をそらし、赤くなった頬を両手でペシペシと叩く。


(何を言ってるの⁉ 彼は敵よ!! この男がお兄様を殺したの!! 一瞬でも心を奪われるなんて……)


 だがふと考える。エスメが騎士に憧れを抱かなければ、兄は死ななかったかもしれないと。これが最初の過ちだったのだ。


(……結局、わたくしのせいだわ)


 昔からエスメは、自分とは真逆の筋肉質な男性が好みだった。母も姉も、『好きな人と結婚すればいい』と笑い、兄は王太子であるにもかかわらず、『僕も騎士になる!』と言ってぐんぐん実力をつけていった。


『エスメを皇帝になど渡すものか! 僕が追い払ってやるからな!』


 国境にあらわれた帝国軍に対し、騎士団を率いて兄アンドレイが(おもむ)いた。

 帝国を舐めていたのは兄だけではなかった。守りに徹するだけならこちらが有利であったし、女に不自由していない皇帝が小娘欲しさに本気で兵を投入するなど、父も誰も予想していなかったのだ。


 蓋をあけてみれば、帝国が欲していたのは王女だけでなく、魔法書(知識)だった。


『アンドレイは討たれ、魔法書が奪われた……』


 王太子として兄が学び、積み上げたすべての知識が敵の手に渡ってしまった。秘密の通路も兄の魔法書から知り得たのだろう。


(お兄様……、ごめんなさい)


 公爵家に嫁ぐ予定だった姉は喪に服し、結婚は延期された。これが第二の過ちだ。

 非常識と言われようとも、姉は嫁いで王家を離れるべきだった。そうすれば姉だけでも助かったかもしれない。


(お姉様……、あのとき背中を押していれば……)



 帝国はエスメをあきらめなかった。

『弔い合戦だ』と父王も出征することになり、その直前にエスメは両親に呼び出された。父は変わらず穏やかな微笑みを浮かべていたが、母は青白い顔を伏せ、肩が震えていたように思う。


『お父様、本当に行ってしまうの?』

『エスメ、いまから王のみが継承する“王の書”契約の儀を行う』

『“王の書”を……わたくしが? い、いまから?』


 まさかと耳を疑った。魔法書とは知識の塊だ。初代から受け継がれる“王の書”は、ほかと一線を画すほどの知識量を持つ。それを持たずに戦地へ赴くなど、正気の沙汰ではない。

 書を育成するのに魔力を使ってしまうリブレリア人は、魔術に使う余力がない。知恵で乗り切るしかないのだから。


『お父様、なぜですか⁉ “王の書”がなければ――』

『――聞きなさい、エスメ。帝国との軍事差はもはや、知恵で乗り切れるものではない。それでも、帝国に“王の書”をくれてやるわけにはいかんのだ。酷なことを言うが、捕まったなら従順でいなさい。そうすれば皇帝はそなたを殺さないだろう』

『でしたら、いまからでも――』


 ――エスメが帝国に向かえばいい。血を流すことなく収まる唯一の方法だ。しかし、父王は首を横に振った。


『目的はそなただけではない。“王の書”を手に入れるまで争いは続く。歴代の王がこの問題に悩まされてきた。私はもう、終わりにするべきだと思っていたのだ。エスメ、“王の書”をどうするかは任せる。しかし、その存在を明かしてはならない。いいね?』



 “王の書”を継承したエスメは兄の最後を知った。“王の書”は他人の魔法書を取り込める。兄が散った戦場から数名の魔法書が戻り、それを“王の書”は吸収していた。兄を殺したのは、第一皇子レジェスだ。赤い魔剣で兄の体を貫いた。


 ――絶対に許さない。許してはならない。


 帝国軍の魔の手が城に迫ったとき、母や姉、そして城に残っていた臣下たちが、エスメに魔法書を託した。書は魔力の塊であるから、自らの意志で切り離すことも可能だ。


 切り離された直後からまた用紙が編まれていくが、用紙が作られ記録の書き込みが始まるまで数日かかるため、もし母の魔法書を読まれたとしても、エスメに“王の書”が託されたことは敵に知られずに済む。


 ――帝国に復讐を! 第一皇子に無惨な死を!!


 書を託した者たちの顔が浮かんでは消えていく。

 声が聞こえるたび、エスメの気持ちも(たか)ぶった。




「ホセ! 馬車を止めろ!!」

「はいよっ」


 先ほどまで百面相をしながら頬を叩いていたのに、ちょっと目を離した隙にエスメ王女の姿が消えたのだ。焦りながら馬車のドアをあけると、座席で眠るエスメを見つけた。


 ――横になっていただけか。


 レジェスは長く息を吐き出して、エスメのまわりにクッションを敷き詰める。小さく形のよい唇に見とれ、白く透き通った肌に手を伸ばそうとしたところで我に返った。

 静かにドアを閉めたのち、御者台に座るホセを仰ぎ見る。


「できるだけゆっくり走ってくれ」

「構いませんが……殿下、弟君に追いつかれるかもしれませんよ?」

「……そのときは、何とかする」

「はいよ~」


 情けないことに、レジェスが動かせる兵は乳兄弟であるホセだけ。第一皇子といえども、レジェスは側室の子であり、皇位継承権は三番目。

 一番目は正室の子である第二皇子が、二番目も同腹の第三皇子がいるため、レジェスに皇位がまわってくることはない。それどころか、こうして戦争に使われる駒でしかなかった。


「こんな俺が、約束を果たせるだろうか……」

「ん? 何か(おっしゃ)いましたか?」

「いや、何でもない」


 軍の指揮を()るのは第二皇子で、レジェスは先鋒として敵中に放り込まれるだけ。それが有利に働いたこともあった。こうして第二皇子を出し抜けたように。

 馬上から身を乗り出し、眉の下がったエスメの寝顔をのぞき見る。


「……つらいだろうが、耐えてくれ」


 エスメを皇帝に差し出すつもりはない。帝国内でも皇帝に負けない権力を握る場所、教会へ連れて行く。教会には大司教になった叔父がいる。皇帝の弟とは思えないほど品行方正な男だ。


 もうウンザリだった。女癖の悪い父親も、無気力な駒でいる自分にも。


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