第19話 皇后のドレスコード
レジェスの部屋から戻ったエスメは、父の魔法書を“王の書”に取り込んだ。
ベッドで横になり、胸に手をあて、小さくつぶやく。
「お父様、わたくしね……ずっと迷っていたの」
エスメにも可能な復讐方法を探して、“王の書”を入念に検索した。ようやくたどり着いた方法は、常人にはできてもエスメにはハードルが高い。
すると“王の書”は、他人を利用する方法を提示した。
――本当の目的は告げずに、他愛のない悪戯のように装え。
「とてもこわいわ。悪に染まっていく気分よ。お父様もそうだったの?」
エスメが利用できる人間といえば、リサベルとレジェス、それにアリヤだけ。
彼らを騙すのは気が引けた。
「でも、お父様の最後を知って決めたわ。同じ苦しみを、あの男にも味わわせてやるの。……愛してなどやるものですか」
決意を“王の書”に告げ、エスメは静かに目を閉じた。
***
魔剣をリセットした夜からずっと、レジェスとは挨拶を交わすだけの日々が続いている。向こうも忙しそうだし、エスメの頭の中も大変騒がしかった。
「……愛してなど……絶対に……愛なんかじゃ……違うわ……」
あまりに必死すぎて、口に出ているとは思わなかった。
ドレッサー越しにリサベルが苦笑を漏らす。
「妃殿下、これから向かう先は敵陣です。声に出してはなりませんよ」
「えっ、出ていたかしら? 気をつけるわ」
キッチリと髪を結い上げてもらったエスメは、最後にメイドキャップをかぶり、皇后から送りつけられた紺色のドレスに白いエプロンをまとう。
「これがお仕着せなのね。普段のドレスより動きやすいわ」
キラキラと瞳を輝かせるエスメとは裏腹に、リサベルは浮かない顔で渋った。
「……やはり、茶会用のドレスで押し切ったほうが」
「どうして? お茶会にこれを着てこいというのだから、ドレスコードは守るべきだわ」
「あの女は妃殿下を笑いものにしたいだけなのです」
「そうだとしても、一度着てみたかったの!」
もう何も言うまいとリサベルは諦め、エスメを連れて皇宮の中庭へ向かう。お仕着せ姿のため使用人の通路を歩くのだが、男も女もエスメを見るなり頬を染めて振り返った。
どんなに粗末な格好をさせたとしても、エスメの美しさは隠せるものではない。しかも本人が乗り気で愛想を振りまいているものだから、誰もがだらしない顔つきになっていく。そろそろ敵陣だ。気を引き締めてもらわねば。
「妃殿下、あちらに見えるのが皇后陛下とパトリシア様、第三皇子のクラウディオもいるようです」
「第三皇子……」
“王の書”によれば、エスメよりふたつ年上の十八歳。皇后が一番かわいがっている息子らしい。皇后と同じ赤毛を受け継いだせいだろうか。
隣に座るピンクブロンドの公爵令嬢パトリシアは、クラウディオにも媚びるように体をくねらせている。
毒々しいほど真っ赤な薔薇に囲まれたテーブルへ近づくと、エスメに気づいた皇后とパトリシアが、いまにも吹き出しそうな顔で扇子を広げた。
エスメは微笑みを崩さず、皇后の前で膝を折る。
「お招きいただき、ありがとうございます。ですが、ドレスコードを聞き間違えたようですわ」
「ふっ、合っているわ。お茶を入れさせるためにお前たちを呼んだのよ」
皇后の赤い唇から嘲笑混じりの声が落ちる。
ところがエスメは瞳を輝かせ、うれしそうにポンと両手を合わせた。
「まぁ! わたくしもお茶を入れてみたかったのです。美味しく入れてみせますわ!」
「――は?」
呆気に取られた皇后にくるりと背を向け、エスメは用意されていたワゴンに向かう。触れずとも熱湯入りだとわかるヤカン、背の高い陶器のティーポット、三客のカップアンドソーサーのそばに、紅茶の缶を見つけた。
(まずは、缶から茶葉を……えっ? あら? あらら?)
缶の蓋が固くてあかない。爪を引っかけて顔を真っ赤にしていると、リサベルに取り上げられそうな気配を感じて、体をよじりながら思い切り力をかけた。
パカンとあいた蓋はどこかへ飛び、茶葉が宙を舞う。
「きゃあぁ⁉ 何が起こったの⁉」
「痛ったぁい!!」
皇后は悲鳴をあげ、パトリシアはおでこを押さえて前のめりになった。ふたりより奥手に座るクラウディオが吹き出す。
「ぶふふっ。母様、お茶の葉が頭に乗っていますよ」
「まぁっ⁉ よくも――」
立ち上がろうとした皇后の前に、ティーカップとポットを乗せたトレーがガチャリと置かれた。それだけで息を切らせたエスメが額を拭う。
「わたくし、よいことを思いつきましたの! お茶を入れてから運ぶとこぼれてしまうでしょう? 最初にカップを運んでしまえばいいのですわ」
「は……、も、もう――」
「茶葉は入れたから、次は……ティーポットにお湯が必要ね!」
パタパタとワゴンに走り寄り、熱々のヤカンを手にしたエスメに、啖呵を切れる者などいなかった。テーブルに着いている三人だけでなく、リサベルですら息を飲む。そばに寄って助けるという考えは、危険すぎて頭から飛んだ。
エスメの足取りが危うい。ドレスに隠れてわからないが、若干ガニ股になりながらもエスメは懸命にヤカンを運ぶ。ふらふらと近寄られたパトリシアは、蒸気の熱を感じて後ずさった。
「ちょっと! こっちに向けないでよ!!」
「ハァ、ハァ……これ、とてつもなく重いんですの」
一旦下ろすべきだと判断し、エスメはテーブルの上にドンと置いた。テーブルクロスから煙が立ちのぼり、焦げくさい臭いが鼻を突く。
三人の引きつった顔を尻目に息を整え、エスメはティーポットへお湯を注いでいく。これがなかなか、うまく入らない。
こぼれ落ちたお湯が跳ねたのか、「熱っ」と口々に叫んで、三人とも椅子から立ち上がってしまった。これでは、どちらが虐めているのかわからない。
「もう結構よ! 下がりなさい!!」
皇后が声を張り上げるも、顔を真っ赤にして集中するエスメの耳には届かない。渾身の力を振り絞ってポットにお湯を注ぐのみ。湯が飛び散るたびに三人はテーブルから離れていく。
我に返ったリサベルが走り寄った。
「妃殿下! あふれておりますわ!」
「あ、あら? もういいのね?」
テーブルに置いたヤカンはリサベルが回収していった。エスメはポットの蓋を無理やり閉め、茶こしも通さずカップへ注いでいく。
薄茶色の液体に落ち葉のような物体が漂流するさまを、不思議に思いつつ三人分入れ終えた。最後に、首をかしげながらも砂時計をひっくり返す。
呆気にとられていた皇后がわめく。
「こっ、こんなもの、飲めるわけがないでしょう⁉」
「そんなこと仰らないで。わたくしが初めて入れた紅茶ですわ」
潤んだ瞳を向ければ、光に吸い寄せられた虫のようにクラウディオが進み出た。
「クラウディオ⁉ おやめなさい!!」
「お茶はさすがに飲まないよ……。それより母様、彼女をぼくのメイドにしてください。いいでしょう?」
「なっ⁉ バカを言わないでちょうだい!!」
「そうです、クラウディオ殿下! この女は危険ですわ!!」
エスメは自己紹介していなかったことを思い出し、スカートの裾をつまんだ。
「申し遅れました。わたくしはレジェス皇子の妻エスメでございます。メイドはほかをあたってくださいませ」
自分で言っておきながら、『妻』という言葉にエスメの心が騒ぐ。
それでもクラウディオは諦めなかった。オモチャをねだる子どものように頬をふくらませる。
「知ってるよ。けどレジェス兄様は二十三歳なんだよ? ぼくのほうが年も近いし、見目も美しいでしょう?」
「わたくし、線の細い方は――」
「――そうだ! これからぼくの部屋で着せ替えしよう? 綺麗なドレスをたくさん着せてあげる」
いくら世間知らずのエスメでも、男性の部屋で着替えるなど考えられない。彼の言ったことは、服を脱がせたいと言っているのと同義だった。
誤字報告ありがとうございます。
とても助かります。