第16話 愛する人を探して
それほど距離はないと聞いていた修練場は皇宮の西端にあり、長い外廊下をひたすら歩く。
すぐに疲れたエスメは柱に寄りかかり、休憩がてらリサベルに話しかけた。
「そういえば、帝国はオレンジの産地でしょう? 精油も手に入るの?」
「ええ、朝廷宮の倉庫にたくさん眠っておりますわ」
「倉庫に? どうして?」
「圧搾して作られたもので不純物が多い売れ残りを、国が買い取っております」
「あら、意外と国民思いなのね?」
とんでもない、とリサベルは首を振った。
「皇后陛下の実家であるバルス公爵家の不良品を買い取っているだけです」
「他家から不満は出ないの?」
「宰相は皇后陛下の分家筋ですから、言いなりなのですわ。さぁ、参りましょう」
「……ハァ、どうしてこんなに遠いの……」
体力のなさを実感してエスメがため息をこぼすたびに、行き交う人々からも感嘆の声が漏れた。
「なんと美しい姫君だろうか」
「あの色の白さは北国の、リブレリアの姫では?」
「噂もバカにはできんな。皇帝陛下が欲しがるわけだ」
ときどき男性が近づいて来るが、エスメの後ろに視線をやっては青い顔をして去って行く。不思議に思い振り返っても、リサベルがすまし顔をしているだけだ。
金属が合わさる音と、喧噪が近づいてきた。階段をのぼり、観覧席へ続く二階の渡り廊下から見下ろせば、レジェスと見知らぬ兵士が剣を合わせているところだった。
「「きゃぁぁっ! レジェス殿下ぁ――!!」」
黄色い声援がエスメの体に振動を起こした。観覧席から渡り廊下までそれなりの距離があるというのに、地響きのように熱気が伝わってくる。
「これなら、レジェスを愛する人も簡単に見つかるのではなくて?」
「彼女たちの半分以上はただのファンですわ。この中から、どうやって探すおつもりですか?」
「――え? どう……やって、探せばいいのかしら?」
リサベルから困った子どもを見るような目を向けられ、エスメは目を泳がせた。斜め下を見やると、夕日色の瞳が大きく見ひらかれ、エスメを見つめていた。
「あら、終わったのね。……そうだわ! 本人に聞いてみましょう」
エスメが手招きをすると、我に返った様子のレジェスがすっ飛んで来た。
「王女! どうしてこんなところに⁉ ここは危険だ!!」
「矢でも飛んでくるというの?」
「矢より厄介な獣の巣窟だ。下を見てみろ!」
レジェスが指差す方向を見下ろすと、兵士たちが口をあけた魚のようにわらわらと集まっていた。クッキーを適当に投げても誰かの口に入りそうだ。
少しこわくなって視線を彷徨わせ、ホセの姿がないことに気づく。
「そういえば、ホセはどこへ行ったの? もうずっと見ていないわ」
「ホセは使いに出した。それより王女、部屋へ戻ろう」
「ダメよ! 人探しをするのだから」
「誰を探しているんだ?」
よくぞ聞いてくれました、とエスメは胸を張って答える。
「あなたを愛している人よ! あの女性たちの中に、あなたに熱い視線を送っているご令嬢がいるでしょう? 誰が一番、熱烈だと思う?」
「…………よし、帰るぞ」
レジェスが手を引いて歩き出すと同時に、悲嘆に暮れたような狼たちの遠吠えと、絹を裂くような声があがり、観覧席から一団の塊が移動するのが見えた。塊は渡り廊下の向こう側から、なかなかのスピードでやって来る。
(まぁ! ドレス姿でもこんなに早く走れるものなのね)
一団の先頭に立つのはピンクブロンドの女性。
皇宮の玄関で騒いでいた令嬢だ。
「お待ちになって! 抜け駆けは許されないわ」
「……あなたはたしか、バルトロメ皇子の婚約者ですわよね?」
「婚約者候補ですわ! わたくしはセブロ公爵家が長女パトリシア。小国の姫なんかより尊い身よ! 控えなさい!」
リブレリア王国は決して小国ではないが、そんなことよりも、エスメは令嬢の選定に忙しかった。
「バルトロメについて戦場まで行ったのですもの、あなたは論外ね。ほかに誰か、レジェスを愛する者はいないのかしら?」
「なっ⁉」
「わ、わたくし、レジェス殿下を心からお慕いしておりますわ!」
「わたくしだって!」
ふたりが名乗りをあげたが、エスメはひとりの令嬢に目を留めた。この騒がしいやり取りのなかでもずっと、熱心にレジェスを見つめている。
「そこのあなた、お名前は?」
目の前に立ってやっと気づいたらしい栗毛の令嬢は、背筋を正して答えた。
「は、はひっ、メンデス男爵家のロイダと申します」
「ロイダ、あなたはレジェスを愛しているのね?」
「ヒェッ⁉ お、おそれおおいですっ。わたくしごときが」
「はっきり仰って? どうなの?」
問い詰められてロイダはいまにも泣きそうだが、レジェスもまた似たような心境であった。助けを求めてリサベルを見ても、目を合わせようとしてくれない。
「わ、わた、わたくしも、レジェス殿下を――」
「――失礼する!!」
言ってレジェスはエスメを抱き上げ、全速力で走った。愛する人の目の前で、見知らぬ女性から告白を受けるなど耐えきれなかった。断り方によってはエスメに軽蔑されるかもしれない。
三十分かけてたどり着いた道のりが、十分足らずで戻って来られたことにエスメは驚愕した。自室の長椅子に下ろされるなり、レジェスが声を荒らげる。
「王女! どういうつもりだ⁉ なんでこんなことを」
「わたくしを担いでもこんなに速いのね?」
「王女は軽いからな。それより――」
「――では、レディ・エリザベスのようではないと、認めるわね?」
レディ・エリザベスは猫の中ではヘビー級だ。一緒くたに『かわいい』とされるのは心外なのだ。
「……そんなに気にしてたのか」
「当たり前ですわ!」
「すまなかった。王女は羽根のように軽く、ミモザのように可憐だ」
また微妙な例えが飛び出して、エスメは額に手をあてた。いままで薔薇や百合に例えられたことしかない。
「あなたから見たわたくしは、ミモザなの?」
「好きなんだ。ミモザ」
うっ、とのけぞってエスメはくるりと背を向けた。
「そ、そう……好きなら、仕方がないわね」
心臓の音がうるさいのに、後ろから聞こえるレジェスの声がはっきりと届く。
「王女、理由を教えてくれないか?」
「いっ、言うわ! だから、もう少し離れてちょうだい」
「あ? ああ……」
ダビドから聞いた話を説明しながら、ローテーブルの上に聖水瓶を置く。するとレジェスは右手をかざして赤い魔剣を呼び寄せた。急にあらわれた魔剣におどろく。
「ど、どこから飛んで来たの⁉」
「どこに置いても、呼べば契約者のもとへあらわれる」
言いながらレジェスは聖水瓶を手に取り、あろうことか、魔剣の宝珠に向けてドバドバと流しはじめた。
「レジェス⁉ ダメよ! まだ愛する人の涙が」
「そんな人いるわけないだろう。それよりも、聖水をかければ声が聞こえなくなるんじゃないかと思ってな」
「声……?」
「魔剣には、いままで血を吸わせた人間の怨念が蓄積されている。耳もとでわめく声が一番の悩みだった」
ふいにレジェスが目を瞠ったのを見て、エスメも剣に視線を落とす。魔剣の鍔を飾る赤い宝珠が色をなくしていき、一筋の細い楕円を残して透明になった。残った赤い楕円は、猫の瞳孔のようにも見える。
「すごいな……、声が聞こえなくなった」
「そうなの?」
「ありがとう、王女。君が聖水を求めてくれたおかげだ」
「……でも、契約は結ばれたままなのでしょう?」
微笑みで応えたレジェスの顔は、いままでの険しい表情が嘘のように穏やかだった。いつもの奥歯を噛みしめたような顔は、魔剣がそうさせていたのかもしれない。
(わたくしの中にある“王の書”も、聖水をかければ……)
あの声が聞こえなくなるのだろうか。それはよいことなのか。兄の声が聞こえなくなることは、エスメにとっておそろしいことにも思えた。