第13話 復讐の手段を見つける
穴から顔をのぞかせてすぐ、レジェスと目が合った。その腕に抱かれているのは楕円形の毛玉。凹凸がなく枕のようだ。
「レジェス、変わった枕ね?」
「まくら? 彼女はレディ・エリザベス。皇宮に住んでいる猫だ」
「レディ…………えっ、猫? わ、わたくしの知っている猫とはずいぶん姿が違うわ」
「かけた愛情が違うからな」
鼻高々に言い切ってレジェスが手招きをする。猫に対する仕草にも思えたが、仕方なく穴から這い出てレディ・エリザベスとご対面した。
(あら、耳も尻尾もあったのね。手足はよくわからないけれど)
くるりと顔を向けたレディ・エリザベスは、ぺたんこの鼻に離れた目、とてつもなく異国情緒あふれる顔立ちをしていた。
(こ、これは……かわいいの、かしら?)
クリーム色の艶やかな毛並みは、心なしか自分の髪と似ている気がする。ご丁寧に瞳の色まで緑色だ。嫌な予感がしてレジェスを見上げると、うっとりした視線を向けられていた。
「ハァ、ふたりとも愛らしいな。こうして並ぶとよく似て――ぐっ⁉」
最後まで言わせてなるものか。急所である鼻を手のひらで押してやった。
「誰がこんなブサ……丸っこいですって?」
「髪を下ろした状態でしゃがんでいると、よく似て――ぶっ⁉ 猫パンチ……」
やり方は合っているはずなのに、あまり効果が見られない。感動を呼んでいるようにすら思える。これ以上、猫談議に付き合いたくはない。
「バルトロメはどうしたの? 猫が嫌いなの?」
「猫に近づくとああなるんだ。クシャミが出たり、目が真っ赤になったり。こんなに愛らしい生き物に触れないなんて不憫なことだ」
ふ~んと聞き流しながら“王の書”を紐解く。猫に関する記述のなかに、同じような症状が出た人の話があった。ひどい人では呼吸困難に陥ったり、失神に至る場合もあるらしい。
(まぁ! わたくし、復讐の手段を見つけてしまったわ!)
“王の書”によれば、猫の毛に問題があるというより、猫の唾液が付着した毛や、排泄物などに触れると発症しやすいとあった。
「レジェス、お願いがあるの」
手を組んで見上げると、レジェスは大袈裟にのけぞった。
(失礼な人ね。あなたにもキッチリ復讐するんだから、覚えておきなさい!)
***
医者に診てもらったリサベルは、過労も原因にあったようで、三日ほどベッドに縛りつけると顔色もよくなった。
文字通り縛りつけておかないとすぐに起き上がるため、エスメは付きっきりで身のまわりの世話を――しようとがんばったのだが、まぁほとんどはレジェスがやった。
レジェスには「何もしなくていい」と言われ、ベッド脇でリサベルの話し相手を申しつけられた。指に巻いた包帯をいじりながら不満を漏らすと、リサベルまで遠慮する。
「妃殿下、お気持ちだけで十分ですわ」
「でも、わたくしだって何かひとつくらい……あ、そうだわ!」
ベッド脇に置かれたワゴンの上にリンゴを見つけ、兄がリンゴでウサギを作ってくれたことを思い出す。まずはリンゴを六等分にしようと、そばにあった果物ナイフを両手で振り上げた。
ベッドからリサベルの小さな悲鳴があがる。
後ろからレジェスがすっ飛んで来た。
「王女⁉ それはリンゴだ!!」
「わかっているわ?」
「どう見ても薪割りスタイルだろ!」
おそろしい形相のレジェスにナイフを取り上げられ、仕方なくお茶を入れることにした。ここから三部屋離れた場所に、侍女たちが使う小さなキッチンがある。そのキッチンへ入ろうとして、玄関口が騒がしいことに気がついた。
「何かしら?」
女性の言い争う声がする。壁際からこっそり覗いてみると、いつぞやバルトロメのそばに侍っていたピンクブロンドの女性が、使用人たちと揉めていた。
「お見舞いだって言ってるじゃない! そこを通しなさい! わたくしはバルトロメ殿下の婚約者なのよ⁉」
「とてもお会いできる状態ではないのです。どうかお帰りください」
あの皇子、婚約者の前でエスメを『妃にしてやろう』と言ったのか。それなら睨まれて当然とも言えるが、睨むべきはバルトロメだろう。
そのバルトロメはベッドの上だ。レジェスに頼んでレディ・エリザベスが毛繕いをしたあとにブラシで梳き、十分な量の毛と糞尿をベッドのまわりに撒いてもらった。
レジェスには『これで猫耐性がつく』と吹き込んでおいたので、彼はいいことをしたと思っている。
その日の夜からバルトロメは発疹とかゆみ、呼吸困難でベッドから出られなくなった。お世話をしたメイド数人も同じ症状が出たことから『新種の伝染病』と診断され、部屋でそのまま隔離された。
箝口令が敷かれており『伝染病』とは言えず、侍女たちはもどかしそうだ。見つかる前に退散しようと思ったのに、不運にも目が合ってしまった。
「ちょっと!! あの女は中にいるじゃないの! どうしてわたくしはダメなのよ⁉ まさか、本当にバルトロメ殿下の妃になったんじゃ……」
「い、いえ、あちらはレジェス殿下のお妃様ですわ」
メイドが取りなしてくれたが、彼女の怒りに油を注いだようだった。
「レジェス殿下ですって⁉ キィ――!! どうやって取り入ったのよ⁉ 孤高の狼にっ」
いっそう金切り声が大きくなり、エスメだけでなく、使用人たちもおどろいている。
「ここうのおおかみ?」
首をかしげたエスメの後ろから、のんびりとした女性の声が応えた。
「レジェスのことねぇ。あの子、社交界では意外と人気あるのよ? 鍛え抜いた体に整った顔立ちだものぉ」
「アリヤ様……。てっきり死神皇子と畏れられているものかと」
「その渾名をつけたのは敵対した他国よ。うちでは『誰とも馴れ合わない孤高の狼』ってことになってるわ。あたしから見れば犬だけど」
それもそうだ。帝国にとっては死神どころか、英雄なのだから。
ピンクブロンドの女性が突撃しそうな気配を感じて、アリヤがエスメの背中を押した。
「おお、こわい。王女は部屋から出ないほうがいいわ。さぁ、戻りましょう」
「あっ、でもわたくし、お茶を」
「何もするなとレジェスに言われたでしょう? お茶ならあたしの侍女に入れさせるわぁ」
リサベルが寝込んだ初日、陶器のポットを持って直火で炙り、火傷をしたところをアリヤに目撃されてしまった。それ以来とても過保護になった気がする。
(たしかに火傷はこわいけど……、このままでは成長できないわ)
ぐいぐいと押されて部屋に戻り、エスメは鬱屈した気持ちを抱えながらもレジェスをジッと見つめた。
たまに狼のような鋭い目つきになることもあるけれど、レジェスから向けられる視線はいつだって温かい。夕日色の瞳は……なるほど、孤独を抱えているようにも思える。
「な、なんだ?」
「……孤高の狼」
「うっ、どこでそれを」
心底嫌そうに引きつった顔を見て、エスメは歓喜した。
(嫌なのね⁉ 復讐に使えるわ!)
それからというもの、事あるごとにレジェスの耳もとで『孤高の狼』という呪文を唱えた。そのたびにレジェスは顔を真っ赤にしてそらす。最初とは違う反応だが、嫌がっていることは間違いない。
「孤高の狼。孤高の狼……? 狼さん?」
顔をのぞき込むように呪文を唱えれば、おもしろい反応が返ってくる。ときどき本物の狼のようにエスメへ飛びかかろうとして、何を思ったのか、自身を抱きしめて床に転がるのだ。
あどけない小鳥に悶絶する狼の様子を、アリヤとリサベルが生温かく見つめる。
「孤高の狼が、腹を見せて転がってるわねぇ」
「我が弟ながら、情けない姿ですわ」
違う意味で、レジェスに打撃を与えていることは間違いなかった。