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第11話 兄王子の魔法書を回収

 エスメの首もとに皇帝の息がかかる。レジェスに迫られて感じたおそろしさとは比べものにならなかった。それどころか、レジェスに対して浮かんだ感情には期待が入り交じっていたと、いまさらながらに気づく。


 浮ついた自分も、目の前の状況も最低最悪だ。


「痛いのは最初だけだ。すぐにそなたも余を愛するようになる。アリヤのようにな」

「あ、愛してなどやるものですか! ――ヒッ」


 皇帝の舌がエスメの首筋を舐め上げ、唇へと近づく。こんなことならレジェスにすべてを捧げておけばよかった。一番最初の相手というのは大切だ。こんなイロボケジジィに奪われるのだけはごめんだった。


 ギュッと目をつむると、レジェスの顔が脳裏に浮かび上がる。


『エスメ、君は賢い。……どうすればいいか、わかるな?』


(はっ、そうだわ!)


 以前、破落戸(ごろつき)に囲まれたとき、“王の書”から伝授された対処方法を思い出し、エスメは思い切り――膝を跳ね上げた。


「んガッ⁉ ぐうぅぅ……」


 皇帝が股間を押さえて悶絶している。その隙にエスメは這って逃げ出した。いまだ恐怖から立ち直れない体を引きずるようにしてドアへ向かうも、マルシアとアシスタントたちが立ちはだかった。


「戦利品の分際で……陛下のご機嫌を損ねるなど、許されないわ」


 マルシアに腕をつかまれたと思ったら、次の瞬間には頭から布を被せられ、力強い男の腕に抱き上げられた。


「いっ、嫌ぁ――」

「――王女、俺だ! 何もしない」


 布から頭を出したエスメは、レジェスの顔を見た途端に、その首に抱きついた。


「助けるのが遅いわ!」

「す、すまなかった」


 レジェスの耳が赤くなっているのを見て、溜飲を下げる。

 ともあれ、いつもの気遣いができなくなったのはいただけない。


「服っ!」

「そうだった。――おい、それを返せ」


 ドレスを奪ってエスメごと抱え、部屋を出て行こうとするレジェスを、いまだ立ち上がれない皇帝が呼び止める。


「レジェス! 余の小鳥をどこへ連れて行く⁉」

「父上のものではありません。俺の妃です」

「ダビドを味方につけて、いい気になりおって」

「お忘れですか? これは皇后陛下のご意向でもあるのですよ」

「ぐぬぅ……」


 心底恨めしそうな目つきで睨まれ、エスメはレジェスの肩を叩いて急かした。

 隣の部屋ではリサベルがアリヤに介抱されており、つらそうに頭を押さえている。


「念のため、リサを医者に()せるわ」

「ああ、頼む」



 近くの空き部屋に入り、ドレスを着る。着脱しやすい服だったから、途中まではひとりでも着られたが、背中のボタンはレジェスに頼むしかない。

 大きな背中に声をかける。


「レジェス」


 名前を呼んだだけでエスメの後ろにまわり、ボタンを留めてくれる。まるで従者のようになんでも言うことを聞いてくれるから、いつの間にか甘えるようになっていた。そう、甘えているのだ、この男に。


(でも、これと復讐は別よ! 絶対に……)


 ――絶対に、許してはならない。第一皇子に無惨な死を与えよ!


 いつからか聞こえるようになったこの声は、誰のものだろうか。男のように力強く、女のようにしっとりと聞こえることもある。


(きっと、歴代の王が怒っているのだわ。しっかりするのよ、エスメ)




 皇宮へ戻る途中の外廊下で、ふいにレジェスが足を止めた。不思議に思いながら見上げると、何かを迷うように右手の建物を気にしている。

 芝生の向こう側にあるレンガ造りの建物は、四方向から入れる造りで、本を抱えた者たちが出入りしている。


「あれは図書館なんだ。もう昼食の時間だが……少し見ていくか?」

「ええ。興味があるわ」


 リブレリアで読んだ娯楽小説は帝国からのものが多かった。まだ読んでいない本がたくさんあるはずだ。


 レジェスに連れられ、図書館に入ってすぐ横の階段をのぼっていく。階段の上から見下ろすだけでも、おびただしい数の本があるとわかる。

 そわそわするエスメの手を引いて、レジェスは階段の踊り場にあるドアをひらいた。その向こうにあるのは通路だけ。


「どこへ行こうとしているの?」

「……特別閲覧室だ」


 なんともつまらなそうな響きだ。きっとお堅い本ばかりが並んでいるに違いない。陰鬱(いんうつ)な気持ちになり肩を落としつつも、レジェスに(うなが)されて資料室のような部屋へ足を踏み入れた。思ったとおり、全然わくわくしない。


 いくつかの棚を通り過ぎ、最奥の棚の角を曲がると作業机があった。積み上がった本の(かたわ)らにはたくさんの紙。写本をする作業場だろう。ひらかれたままの本を何気なくのぞき込むと、リブレリアについて触れられていた。


「これ……」


 読めば読むほど、リブレリアの国内事情が赤裸々に(つづ)られており、『僕』という人物が考えたことまで事細かに明記されている。しかもなじみのある書体だ。

 思わず本を手に取り表紙を返すと、見たことのある新緑色。懐かしい魔力がふわりとエスメを包んだ。


「お兄様……」


 魔法書を抱きしめてうずくまるも、感傷に(ひた)る時間は与えてもらえなかった。


「エスメ、急かしてすまないが……その本が読めるのは、写字官たちが戻って来るまでだ。俺は外で見張っているから」

「……わかったわ」


 レジェスが外に出るのを見送って、魔法書の後ろをパラパラとめくる。兄の最後を知りたかった。



 ――木枯らしはとうに吹き抜けて、しんしんと寒さが身に染みる。本格的な冬に入れば帝国軍も一時撤退するから、それまで持ちこたえればいい。もう少しで家に帰れる。

 そんな気の緩みを見透かされたか、帝国軍の奇襲を許してしまった。


 空も白まぬうちにやって来た死神皇子は、獣のように息が荒く禍々(まがまが)しかった。あっという間に見晴台の天辺に追い詰められ、血の滴る魔剣が妖しく光る。

 剣先を突きつけられ、これまでかと思ったとき、死神皇子――レジェスが苦しみはじめた。まるで、血を吸いたいという魔剣の欲望に(あらが)うかのように。


『う……っ、アンドレイ王子、魔法書を……渡せ。そうすれば、命までは取らない。帰ってリブレリア王に伝えるんだ。王女と、“王の書”を差し出せば、国は助かると』

『ハッ、僕たちが何のために戦っているか忘れたのか⁉ 妹は渡さない! “王の書”もだ!!』


 不思議な光景だった。魔剣が意志を持っているかのように震え出し、それをレジェスが必死に抑え込んでいるように見える。

 ふいに、魔剣から男の声が聞こえた。


『兄上、まだか⁉ さっさと王子の首を持って来いよ!』


 威圧的ではあるが、あきれるほど暢気(のんき)な声だった。声の主はレジェスを兄と呼んだ。目の前の男は弟皇子の言いなりなのか。何か妙だ。


『……そうか。魔剣というのは、人の行動を操れるのだな?』


 魔剣を持つ右腕を押さえつけながらも、レジェスは頷いた。


『首の代わりに魔法書を持ち帰れば、単純なあいつは納得する。切り離せるのだろう? 自らの意志で』

『…………』


 ――死にたくない。

 だが、おめおめと帰ってどうする? エスメに『帝国へ嫁げ』と言うのか? 父上に『王の書を渡せ』と? 言えるわけがない。きっとここで散る運命なのだ。魔剣など関係なく、レジェスの技量は本物だ。敵うはずもない。


『う……うおぉぉぉ――!!』

『っ、頼むから! 書を渡してくれ!!』


 レジェスの剣が横腹を引き裂いていく。


 ――死にたくない。

 痛みとともに体の力が抜けていく。死ぬのがこわい。生きるのも恥だ。嫌だ。こわい。ああ、どうすれば…………エスメ、父上、申し訳――……



 文章はそこで途切れていた。


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