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第10話 皇帝は諦めていなかった

 月明かりもない夜。天蓋ベッドの内にはポツリと蝋燭(ろうそく)が灯され、薄く引かれたカーテンに影を映し出す。

 細い腕が大きな人影を押し返そうとしては飲まれていく。

 少女の叫び声が部屋中に響いた。


「んっ、やぁ⁉ い、痛い!! レジェス、痛いわ!!」

「俺の背中に爪を立てるなりして、我慢してくれ」

「えっ、まだするの⁉ はっ……あああ!!」


 エスメの悲鳴は、破瓜(はか)の痛みを思わせるのに十分な音量だった。

 叫び疲れて眠りに就いたエスメの隣で、レジェスは額を押さえる。


「肌を吸っただけで、こんなに痛がるとは……」


 かく言うレジェスは吸われたことなどないから、痕が残るほどの痛みは、それなりにあることを知りようもない。


「……にしても、腹が立つ」


 愛しい存在だと自覚したにもかかわらず、この甘く(みだ)らな行為が()()となってしまったのにはワケがある。


 白く柔らかな肌に口づけを落とそうとするたびに、窓の外――庭に敷かれた小石が警告を鳴らし、堀に渡した木板が割れ、痛みを我慢するかのような男の低い唸り声が聞こえてくるのだ。気になってしょうがない。


 予測していたことではある。婚姻を結んで初めての夜であり、見張られるのは覚悟のうえだった。けれど、こうもお粗末な内偵は皇帝の部下ではないだろう。おそらくバルトロメの駄犬だ。


「これで済めばいいが……」


 蝋燭のわずかな明かりをたよりに、エスメの寝顔を見つめてはため息をこぼす。

 この命を差し出せば、エスメの気は晴れるだろうか。しかし自分がいなくなった世界で、誰が彼女を守ってくれる?


「リブレリア王よ、『笑顔でいられる人生』とは何だ? 作り笑いしかしたことのない俺には、とてつもない難題だ」


 小さなぼやきは誰にも聞かれることなく、宵闇に溶けていく。

 庭師が仕事をはじめるまでまだ時間がある。体は中途半端に熱を持ち、どうせ眠れやしないのだ。誘惑に負け、手を伸ばしそうになる自分と戦うよりは、彼女の父親から出された難題について考えをめぐらせるほうが建設的だろう。


「…………、どちらもキツイな」



 ***


「――確かなのか⁉ あのボンクラ息子が?」

「はっ、昨夜は王女の叫び声が廊下まで響き、今朝は仲睦まじくテラスで涼んでおられ、エスメ王女の肌には赤い痣がそこかしこに」

「もうよい!! あやつめ、“王の書”を燃失させたうえに、余の小鳥を……」


 ベッドの上で報告を受けた皇帝は、この世の終わりを嘆くかのように頭を抱えた。

 “王の書”はリブレリア王とともに炎に巻かれ、回収できなかったと報告を受けた。ならば王女だけでもと思っていたのに……。


 皇帝は顔を両手で拭い、未練がましい瞳を虚空(こくう)に据える。


「あれほど美しい小鳥はおらぬ……」


 皇帝のまわりには若い女性がいない。皇后が手をまわし、侍女やメイドはすべてベテランと入れ替えた。最近では街まで下りなければ若い女性に出会えない。貴族たちも年頃の娘を隠してしまう。それがまた皇帝の執着心をあおった。


「あら、あたしではご不満かしら?」


 皇帝の隣で身を起こしたアリヤが唇を尖らせる。

 顎に手をやった皇帝は、アリヤの体を眺めてこう言った。


『そろそろ、そなたも離宮へ移るか?』


「――って言ったのよ!! 信じられる⁉ あのタヌキオヤジ!!」


 すでに第二側室妃は第四皇子とともに離宮へ移っている。つまり、お役御免ということだ。

 ローテーブルを叩くアリヤの勢いに飲まれ、レジェスは背筋を正した。


「大変申し訳ない」

「あなたに謝られてもね。それより、ちゃんと肌を合わせたんでしょうね?」


 レジェスの目が泳ぐ。これはダメだとアリヤはこめかみを押さえた。


「ハァ……、エスメ王女はどうしたの? リサの姿もないけど」

「ああ、夜会用のドレスを作るから採寸を受けている」

「へぇ……あなたも気が利くようになったわねぇ」


 しみじみと頷くアリヤに、レジェスはバツの悪そうな顔を向けた。


「いや、手配したのは父上だ」

「――なんですって⁉」


 ティーカップを揺らしながら立ち上がったアリヤの顔色が悪い。怪訝(けげん)な表情のレジェスにブランケットを持たせ、「行くわよ!!」と部屋を飛び出した。



 ***


 リサベルに連れられて、エスメは朝廷宮の一室で採寸を受けていた。夜会用のドレスを作るのは初めてのこと。作る予定は立てていたが、戦争でそれどころではなくなった。いまとなっては飾り立てる気にもならない。


「既製品でいいのに……」

「そうは参りませんわ。帝国の威信にかけて、最高級のものをご用意いたします」


 エスメのつぶやきを拾って答えたのは、採寸に来た服飾店のデザイナー、マルシアだ。フィッティングルームにはマルシアのほかにふたりのアシスタント、そしてエスメの四人だけ。リサベルは部屋の外に控えており、なぜか同席が許されなかった。


「採寸は終わったでしょう? 服を返して」

「もう少々お待ちくださいませ。肌と布地のお色を合わせなければなりませんわ」


 寒いわけではないが、下着姿でずっといるのは居心地が悪い。それにレジェスがつけた赤い痕を見られるのも恥ずかしかった。採寸のために髪も結い上げており、隠せるものがない。


 たまらず、アシスタントが持つエスメのドレスに手を伸ばそうとしたとき、隣の部屋からリサベルの叫び声が聞こえた。


「おやめください!! お父様!!」


 リサベルが父と言うならば、皇帝しかいない。隠れる場所はなく、マルシアもアシスタントも当たり前のように頷き合い、壁際に下がって(こうべ)を垂れた。

 ドアがひらく直前、エスメは窓際の赤いカーテンを体に巻きつけた。


「おや、小鳥がカーテンに止まっておるぞ。ぐふふ」


 (こら)えきれない笑みをこぼしながら、皇帝が近づく。手を伸ばしかけ、エスメの鎖骨辺りを見て苦い顔をした。皇帝は肩越しに後ろを見やる。


「マルシア、どうであった?」

「はい、陛下。胸から下は痣ひとつなく、お綺麗なものでしたわ」

「やはりな。そなたはまだ生娘(きむすめ)だ。あの意気地なしが手を出せるわけがない」


 皇帝が突きつけた人差し指がおそろしくて、エスメは否定もできずに身をすくめた。助けを求めるようにあけ放たれたドアを見やると、ソファのそばにリサベルが倒れているではないか。


「……リサベルに、何をしたの? あなたの娘でしょう?」

「あれは皇后にくれてやった人形よ。おかげで小言が少なくなったわい。少しは役に立ったな」


 娘を、皇后の鬱憤(うっぷん)を晴らすための道具にしたというのか。エスメには到底考えの及ばない行為だった。親に愛されない子どもがいることを初めて知った。城を出てからというもの、衝撃的なことばかりだ。


 リサベルに気を取られていたエスメは、皇帝の手が伸ばされたことに反応が遅れてしまう。カーテンを剥ぎ取られ、反動で床に投げ出された。小さな肢体を抱えるように丸めたが、腕を取られて仰向けにされ、皇帝の体がのしかかる。


「ヒッ……い、いや……レジェス!」

「ほう? 肉親を殺した奴の名を呼ぶのか」

「っ……」


 悔しいけれど、肉親を殺したのも、エスメを助けてくれるであろう唯一の人間もレジェスしかいない。自分の中でもぐちゃぐちゃで折り合いなどついていない。“王の書”に問うても、返って来るのは怨嗟の声だけだ。


 エスメの小さな唇は声をなくし、浅い呼吸を繰り返すだけで精一杯だった。


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