第一話 立夏の邂逅⑤
「――ていやっ!!」
という、掛け声が聞こえ。そして同時に、自身に覆い被さっていたジルが消え、ジャンヌの身体に自由が戻った。
驚き、何があったのかと周囲を見回し。首を右側に捻ると、床に転がるジルの姿があり、左に捻ると。行儀悪くもカウンターに乗っかる、ランの姿があったのだ。
「きっ、君は……君が!?」
ランを見ながら、ジャンヌが言う。
「すみません、風紀委員さんの目の前で暴力は良くないのですが」
でも……と、続けて。
「フィクション以外での無理強いな行為は、良くないです!」
ランは力強く言い放つ。
しかし、内心では。
――けど、マリに薦められて読んだ俺様系責めの女子向け少女漫画と。ソフトなBL同人誌は結構好きだった!!
と、こっそり思う。
「……なっ、何故だ……」
すると、ジルがゆっくりと立ち上がりながら続けて。
「普通の人間ならば、既に気を失っている程の衝撃を与えたはず……」
言いながら、ジルの瞳が赤い光を放つ。
途端に、ランの身体にだけ急激に重力が増したかのような感覚が襲い来る。
「何の関係無い小娘が……出しゃばって来るなっ!!」
彼が怒りの表情で目を見開くと、ランへの負荷がさらに増す。
「ジル! やめろ!!」
ジャンヌが駆け出そうとした、刹那。
「ふんぬっ!!」
と、いう声が聞こえた。
そして、ランは右足で床を思い切り踏みつけ。両手を勢い良く広げ、自力で身体の自由を取り戻す。
「何っ!?」
驚愕の声を上げるジル。ジャンヌも、何も言葉を発せられぬまま、驚きで硬直する。
「ばっ、バカな……俺の力を、普通の人間が……」
戸惑うジルに、当の本人であるランは。
「すみません……」
と、申し訳なさそうな声を出した。
「父と祖父との修行や鍛錬に比べたら、まだ平気な方なので」
ランの言葉に、さらに唖然とするジャンヌとジル。
「イヤ、そういう問題じゃねーよっ!!!!」
だが、ジルは我に返って声を荒げる。
「人間が……普通の、何の力も魔力も無い。エクソシストでも陰陽師でも無い人間が、この俺の“力”に対抗出来る訳がねーんだよ!!」
「力なら、結構ある方ですよ? リンゴジュースなら、右手だけで果汁百パーセントで作れます!」
「そういう問題じゃねーし、スゲーけど何かイヤだし飲みたくねーし!!」
「オレンジジュースのが好きですか?」
「フルーツの種類の問題じゃねーし!!」
ランとジルが交わす会話を、ジャンヌは未だに呆然と見つめる。
「この俺、悪魔のち――」
その時、ジルの顔面に何かが直撃し。鈍い音が鳴り響く。
今度はランも、ジャンヌと一緒に硬直する。
「……全く、地獄から勝手に人間界に抜け出して来た上。極秘事項を簡単にベラベラ喋ろうとしやがって」
そう声を出したのは、床に倒れるジルの頭に乗っかる茶色い犬であった。
犬が学校内……というか、いきなり目の前に現れた事もだが。人語を話している光景に、ランとジャンヌは驚きで言葉を失った。
ジャンヌに至っては、矢継ぎ早に色んな常識範囲外の出来事が起き過ぎていて。何から手を付ければ良いのか、もう脳内大混乱である。
「あのー……」
おずおずと、ランが犬に声を掛けてみる。
「ああ、このバカが迷惑掛けたな」
「いえ、それは全然……それより、彼と……アナタは?」
凄い、話し掛けた上に質問した……と、ジャンヌは内心で驚く。
「どうも、初めまして。生者のお嬢さん、オイラはケルベロス」
そう告げた瞬間、ランとジャンヌの脳裏に大きな図体で三首の猛犬の姿が思い浮かべられる。しかし、どう見ても。今、二人の目の前に居るのは普通の雑種っぽい犬。
「……の、右の首だ」
付け加えられた言葉に、ランとジャンヌはさらにキョトンと目を丸くした。
「っていう、名前なんですか?」
「違う」
ランの質問に、否定を返す自称・ケルベロスの右の首。
「いや、名前でも納得出来ないと思うんだけど……」
ジャンヌがポツリと呟く。
「まさか貴方は、冥府の入口を守護する。番犬・ケルベロス……」
そしてジャンヌは用心深く、犬を見つめたまま。
「の、右の首に位置するお方……ですか?」
と、尋ねた。
「その通り!」
犬の歓喜の声が響く。
「流石、生前に天使のお告げを受け取った伝説の聖女サマは違うなァ」
「その出来事は今、関係してるのでしょうか……」
戸惑いつつも、言葉を紡ぐジャンヌ。
「貴方は百合園先輩……じゃなくて、偉人のジャンヌ=ダルクさん何ですか?」
「それは……」
ケルベロスの右の首から、自分へと向けられたランの質問に。ジャンヌは少し口籠り。
「半分正解、かな……」
と、返答した。
「私は確かに、中世後期のフランスにてオルレアン解放の戦いに参戦したジャンヌ」
柔らかな微笑みを携えて、さらに続ける聖女の生まれ変わり。
「でも今は、新たな生を受ける事が叶い。百合園純矢として今を生きる、普通の日本の男子学生です」
「そしてこの俺が!!」
突然、ケルベロスの右の首を振り払ってジルが勢い良く起き上がりながら。
「そのオルレアン包囲戦等の数多の戦に協力した貴族で軍人、通称ジル・ド・レェだ!」
続けられたジルの言葉に、ランが「へぇ~、なるほど~」と。解っているのかいないのか、解釈しづらい反応をしていると。
「けど、聖女サマの死後。錬金術や黒魔術にのめり込んで何百人以上の少年を拉致、凌辱、虐殺した大罪人“青髭”だろうが」
「違う!! “青髭”は俺を元に作り出されたらしい虚構のキャラクターだ!! 俺じゃないし、俺の髭は青くない!!」
「問題はそこじゃねーだろバカが」
ジルとケルベロスの右の首が言い合いをする傍ら。「青髭?」と眉を寄せるランに、ジャンヌが。
「シャルル・ペロー作のグリム童話だよ。子供向けの内容じゃないけど……多分、この図書室にも本があったはず」
と、本の分類が記載されている本棚へと向かい、綺麗に並んでいる本達の背表紙をなぞる。
「あっ、あった」
発見すると、ジャンヌは手に取り。ランの元へと戻って来る。
「これだよ」
「あっ、わざわざすみません!!」
「いえいえ……とは言っても、戦友の恥を晒すのはとても情けないな……」
「いや、まあ、ジャンヌさんが悪いわけでは……」
「いや、後世の記述を目にする限り。私の死が原因と伝えられているから」
すると、ジャンヌは悲し気に瞳を揺らし。未だにケルベロスの右の首と口論をする、ジルの元へと歩みを進めた。
「ジル。殺められた被害者達の事を思うと、貴方のした行いを赦す事は出来ない……しかし、私の所為で貴方にそんな凶行を犯してしまうまで苦しめてしまった事は本当に申し訳なく思っている」
そして、ジャンヌは頭を下げ。
「本当に、すまなかった」
と、言葉を送る。
「ジャンヌ……」
ジャンヌの行為に、ジルは涙を両の目に浮かべ。
「いえ……謝るのは、俺……私の方……無実の罪に焼かれる貴女を、救う事が出来なかった……」
頬に雫を溢しながら、彼は言った。
「私の方こそ、本当に――」
「イヤ、まあ。他にも、ちょいちょい小賢しい悪事重ねて土地や財を肥やしてるから。刑の重さは兎も角、コイツの地獄行きは決定してたんだけどな」
「このクソ犬! 余計な事言うんじゃねー!!」
しれっと言ってのけたケルベロスの右の首の首輪を、ジルは思い切り掴んでブンブンと揺さぶる。
「お前っ、動物っ、虐待もっ、罪状にっ、加えてっ、やろうっ、かっ!!」
「テメーなんか動物じゃねーよ怪物が!!」
「ジル……あの、絵面的に大人げ無いから……」
自分より小さな体躯の犬に掴み掛かるジルに、制止をかけるジャンヌ。
「あの……怪物って、どれ程の強さ何ですか?」
すると、何故かランから素っ頓狂な質問が飛び出して来る。
「えっ、何でそんな質問が出て来るの?」
「猛者とのガチンコ勝負が、一番良い修行と経験になるので!」
「えっ!? 猛者? ガチンコ勝負? 君って、一体――」
ジャンヌがランに尋ねようとした瞬間。
――ガブッ!!
という、盛大な噛み音が聞こえ。ジャンヌとランは視線を移した。
「イデッ、イデデッ!!」
見ると、ジルの頭にケルベロスの右の首が噛み付いていたのだ。そして、一旦牙を離し。
「良いから帰って仕事しろ!!」
と、今度はジルの制服の襟首を咥える。
「「仕事?」」
ケルベロスの右の首の言葉に、首を傾げるランとジャンヌ。
「コイツは悪魔に転生して、今は地獄で拷問官の仕事をしてるんだ」
ケルベロスの右の首の説明に「拷問官?」とランが首を傾げ、ジャンヌが「日本でいう、極卒みたいなものかな? 多分」と言葉を紡ぐ。
「殺した数が多すぎたり反省の色が無くて、人間への転生許可が全っっっく降りない処遇の奴には。地獄に縛り付ける形で、悪魔に転生させて業務を行わせたりしているんだ。だから、生前と姿形も変わっている」
「あっ、確かに」
と、ジャンヌがポツリと呟く横で。
「へぇ~、地獄って結構。制度がしっかり整ってるんですね!」
と、ランが呑気な感想を述べる。
「あの、君……なんで、そんな冷静に受け止められてるの?」
ジャンヌが苦笑を浮かべつつ、少し脱力しながら突っ込んだ。
転生した聖女に、悪魔に転生した殺人鬼。加えて、地獄の番犬まで揃っているこの状況は、普通の人間であればかなり混乱するはずである。
「いえ、なんか……十歳の時の超人オリンピックに比べたら……」
「それ、昔の漫画の架空の大会だよね!? キャラクターの形になってる消しゴムが流行った漫画の……かなり古い作品だけど、漫画かアニメで観たの?」
というジャンヌの質問に、何故か気まずそうに目を逸らし始めたラン。
「えっ、ちょっと!?」
「あっ、そっか! さっき私を吹き飛ばしたのは悪魔の力か何かだったんですね!」
「話し逸らした!?」
「悪魔超人の力……恐るべし」
「いや、超人とは一言も言って無かったよ!?」
勝手に話を進め、一人納得をするランに。ジャンヌは突っ込むが、反応は特に返って来なかった。