第五話 白百合の芽吹き⑦
そして、ジャンヌはというと。
少し疲れた足取りで、ランの部屋を目指していた。
(ランちゃんと出会ってから、驚きで疲れる事多いなあ……)
それが嫌なワケではないのだが、“前世の記憶を持つ転生した聖女の男子高校生”という肩書を持つ自分自身の予測を大きく超えていってしまう彼女に。リアクションの休む暇がないのだ。
(私も、もっとランちゃんと一緒に居られたら……桃瀬さんみたいに、動じなくなるのかな?)
そんな未来を、ほんの少しだが想像してみた。
やっぱり、まだ自分の体力が持つのか不安だったが。でも、絶対楽しい日々に違い無いな……と、ジャンヌの顔が自然と綻ぶ。
(そしたら……もっと、色んなランちゃんの事。知れるかな……?)
そう思っている間に、ランの部屋の前へと辿り着く。
すると、中から声が聞こえて来た。
「……お前、果物剥くの無駄に上手いな」
「フン! 刃物の扱いは、拷問での必須スキルだからな」
どこかで聞いた事のある魔物と悪魔の声だった。
「深すぎず、浅すぎず……絶妙に痛くて、苦しみに悶え苦しむ悲鳴を――」
「ちょっとジルゥゥゥゥゥ!!!!」
生々しい発言に、ジャンヌはノックも忘れて女子の部屋へとなだれ込んでしまう。
「あっ、聖女サマ」
ケルベロスの右の首が「こんちわっ!」と、平静に挨拶をする傍ら。
「ジャンヌ~! こんな所でお会い出来ると――」
ジルが笑顔で駆け寄ろうとしてきて、ケルベロスの右の首に足をガブリと噛み付かれる。
「~~~っ!!!! クソ犬テメー!!」
「いや、学べよバカ悪魔」
抗議をするジルに、冷たい眼差しを放ち吐き捨てるケルベロスの右の首。見慣れ初めてきてしまった景色に、唖然としていると。
「――ジャンヌさん」
聞き慣れた声が、優しい音色で彼女の名前を呼んだ。
顔を向けると、布団に仰向けに寝るランの姿があった。
「ら、ランちゃん……」
何だか、一日しか空いていないのに。久しぶりに、ようやく会えたような……そんな感覚が、ジャンヌに訪れる。
「だ、大丈夫!? 風邪引いたって、聞いたけど……」
「ああ、コイツ。昨日の――」
――ガブリっ!!
と、盛大な音が響くと。ジルの悲鳴が上がる。
「テンメ~……」
「お前は変態なだけじゃなくて、正真正銘の馬鹿なのか?」
ケルベロスの右の首が睨みながら告げた冷静な一言に、反論せず押し黙るジル。
「じゃあ、あんまり長居しても悪ィし。オイラ達はそろそろ仕事戻るわ」
「あっ、はい! わざわざ、お仕事の合間に来て頂いてありがとうございました!」
「良いって。果物、また欲しかったらいつでも言いな~」
と、言ってから。ケルベロスの右の首は、ジルの足元に地獄への入口となる黒い穴を出現させる。
「オイ!! せっかくジャンヌと会えたんだ! もう少しだけ――」
「大勢で居座ったら迷惑だろうが。黙って仕事に戻れ」
抗議をするジルの顔を前足で踏み付けて押し込めると。ケルベロスの右の首は「じゃあな~」と、ランの部屋を後にするのだった。
「相変わらずだね、彼等……昨日ぶりだけど」
「仲良しですよね!」
ポツリと呟いたジャンヌの言葉に、ランが笑顔で返す。
「あっ、すみません……私、今、起き上がれなくて……」
申し訳なさそうに告げたランに、ジャンヌはランの枕元に腰を降ろしながら。
「だ、大丈夫だよ……お祖父様から聞いてるから」
と、言いつつ。風邪だから動けないではなく、秘孔を突かれて動けないとは……正直、今も信じ難い事実だ。
「身体怠くても、修練の一環かな~と思って学校行こうとしたんですが。周りにも移してしまうかもだし、早期回復の為に安静にしてないと……と、怒られてしまいました」
「秘孔を突くのはやり過ぎだと思うけど……そうだよ。ランちゃんはもう少し、自分の身体労わってあげようね」
いつも何事においても、無茶が過ぎる気概が彼女にはあるとジャンヌは思った。
「あっ、お見舞いに。ゼリーとスポドリと……あと、お菓子をちょっと買ってお祖父様とお父様に渡しておいたから、良かったら後でどうぞ。お菓子は、風邪が治ってからでも」
「わざわざすみません……てか、父。帰って来てたんですね」
「う、うん……これ、お父さんが捕まえてきた鮭入りのお粥」
「あ、ありがとうございます。じゃあ、滝行から帰って来たんですね~」
サラッと言っているが、大分異常行動だよ……と、思いつつ。あの親御さんにして、この娘ありなんだろうな……と、半ば無理矢理納得するジャンヌ。
「でも、風邪引いたら。まさか、父がパニック起こすとは思いませんでした」
「そうだね、まさか滝に祈祷に行くなんて予想外過ぎるよね……」
「『南極でペンギンと競泳してもピンピンしてたお前が、風邪……だと……?』って」
「南極行ってる事も驚きだけど、ランちゃんがそんな事してたのも予想外過ぎるよ!?」
「ペンギンさん達、メッチャ可愛かったですよ!」
「えっ、それは私も見たい……」
野生のペンギンと触れ合って良いか否かはさておき、想像の中でも愛らしい姿を見せる飛べない鳥に。ジャンヌは思わず心惹かれてしまう。
「あっ、そうそう……桃瀬さんから、プリントと。“養生しろよ”ってメッセージ預かってきたよ」
ペンギンに心奪われかけながら、ジャンヌは自身の使命を思い出す。
「アレ? マリですか?」
「本当は、一緒に家まで来たんだけど……会長が、ランちゃんのお父様に招かれて? ランちゃんの家に来たら、何故か桃瀬さんが用事を突然思い出して、会長を連れて帰っちゃって」
「何故、会長さんが私の家に?」
「どうやらね、私と桃瀬さんが二人で歩いて学校を出たのを目撃して。気になって、後をつけて来たらしいよ」
少しいたずらっぽく、ジャンヌが言うと。
「それって、まさか。会長が、マリに……って事ですか?」
「うん、多分!」
ジャンヌの説明に、正確無比な推測を立てるラン。
「なんということでしょう……」
親友に突然やってきた春の訪れに、驚愕したランは。
「マリ……やったね。ついに、念願の恋の訪れだよ……」
と、何故か涙を流す。
「ちょ、ランちゃん!? 何で泣くの!?」
「ずみまぜん……嬉じぐで、づい……」
手足を動かす事の出来ない本人に代わり、ジャンヌが傍に置かれていたティッシュでランの涙を拭う。
「重ね重ね、すみません……」
「ランちゃんは、優しいね」
「えっ、何でですか?」
「だって、友達の為に泣いてるから」
「い、いえ……これは、娘の結婚が決まった父親のような心境でして……」
「ランちゃんと桃瀬さんの関係って?」
何故、親目線!? と、目を剥くジャンヌ。
「いや~、マリが良く。『少女漫画みたいな素敵な恋がしてみたい~』って言ってたので、夢が叶って良かったなぁ~って」
「あ、そういう……確かに、そのお相手なら、会長は申し分無いね」
学校内でも一、二を争うイケメンで聖人君主の敏腕会長なら。マリの夢は、きっと最高の形で成就するであろう。
「でも会長、いつもより冷静じゃない感じで。ちょっと、『キミ恋』の昂輝みたいだったなあ」
「大人っぽい雰囲気漂ってるので、余裕のる方だと思ってましたけど。欲望に十年間打ち勝ってきたくらいの人だから、色恋事には感心無くて不慣れなのかもしれませんね」
「確かに! ありえそうだね」
「二人は今、どこで何をしているんでしょうね~」
「桃瀬さんは、『人手が要る命懸けで遂行しないといけない程の大事な用事』って言ってたけど……」
「一体、どんな重要ミッションに行ったんでしょう?」
そう会話を交わしながら。「ん~?」と、首を捻るランとジャンヌであった。