第五話 白百合の芽吹き⑥
(……って、待ってー!! このお家に、ランちゃんも居ない状態で一人にしないでー!!)
ジャンヌが少し呆気に取られてから正気を取り戻すと、途端。心細さが最高値へと到達する。
何だかんだ思うところはありつつも、マリの存在が大変心強かった事を痛感するジャンヌ。
「……あっ、あの……お見舞い品お渡ししたら、すぐ、帰りますので……」
やっぱり、祖父とは違って。父親というのは、男子(中身が聖女とはいえ)が娘を訪ねて来られるのが嫌なものであろう……と、ジャンヌが萎縮していると。
「百合園君……と、言ったね」
重量感のある声に問い掛けられる。ジャンヌが「はっ、はいっ!」と返事をすると。
「鮭」
「えっ?」
「今から捌いて北斗の飯を作るから、待っててくれるかい? 一緒に持って行ってくれ」
と、威力のある笑みを浮かべて言う。
「はっ、はい……」
戸惑いながらも返事を再び返すジャンヌ。
そして、ランちゃんのお父さんだし優しい人なんだろうけど真意の読み辛い方だ……と、内心縮こまる。
「じゃあ、青年や。待ってる間、儂とゲームでもしない?」
すると、歳三がジャンヌへと声を掛けて来た。
「わっ、私で良ければ……でも、ゲームって何のですか?」
将棋とか囲碁とかだったら、ルール知らないよ……と、思いながら。少し戸惑い気味に尋ねたジャンヌに、歳三は眼鏡をキラーン!! と、光らせて。
「これじゃああああ!!!!」
と、ちゃぶ台の上に勢い良く提示した。
「こっ、これは……オセロ、ですか?」
「そうじゃあ、儂とオセロで勝負せんかい? 言っておくが、儂は強いぞぉー。四つ角、全部取るぞぉー」
お祖父さん、ホント若いな……と、思いながらも。これなら、ジャンヌも知っているゲームなので。
「お手柔らかにお願いします」
と、快諾する。
「すまないね、親父の道楽に付き合わせてしまって」
台所にて鮭を捌く猛が、ジャンヌへと声を掛ける。
「いっ、いえ! そんな……」
「北斗も最近じゃ、あんまり構ってくれなくなって寂しいみたいでな」
猛の言葉に、ランにしては少し意外な印象を受けるジャンヌ。
「違う違う。孫が構ってくれんのじゃなくて、儂が構ってあげておらんのじゃ。あやつ、暇があれば直ぐに稽古をしたがるからのぉ。もっと、老人を労わってトランプとかで勝負して貰いたいわい」
「朝の散歩と言って、一時間でご町内を一周ランニングする人間を老人とは言わん」
「何じゃとー! 昔はニ十分以内じゃったわ!」
父子の会話を聞きながら、ジャンヌは自分の石をボードに置き。「ああ、ランちゃんの家族って感じするなぁ……」と、思いながら囲んだ石を自軍の白色へとひっくり返す。
「すっ、凄いですね……さすが、北斗さんのお祖父さんです」
「孫にはそろそろ、儂の全盛期の記録が越えられそうじゃがのう……」
少ししょぼんと拗ねたように言いながら、黒を上面にして置き。囲んだ石をひっくり返す歳三。
「北斗は昔から、何をやらせても飲み込みが早かったな。武芸や運動事に限るが」
「天才、なんですね」
少し嬉しそうな色を含んだ猛の言葉にジャンヌがそう返しながら、自身の石を置きひっくり返す。
「ああ。俺はあまりそう呼称し、特別視するのは好きでは無いが。北斗を見ていると、肯定せざるを得ん」
「親バカじゃよ」
「ジジ馬鹿が良く言う」
「何じゃと! 孫が可愛くないじいじが居るかァ!!」
「それなら娘が可愛くない父親だって存在しないっ!!」
会話だけ見ると、何とも些細で可愛らしい内容の諍いであるが。歳三も猛もランの親族であり武闘家なので、声も態度も気配も圧の重さが強く。一触即発、という緊張感に包まれてしまう。
(ジルとケルベロスの右の首様の喧嘩より、重圧感が段違いだ……)
普段から微笑ましく思っていた痴話喧嘩が、現時点で仔猫並みの愛らしさへとジャンヌの中で変貌する。
「まっ、まあまあ! 結論、北斗さんは可愛くて天才で最高って事で良いんじゃないでしょうか!」
場の空気に耐えられず、思わずそう口を挟んでしまうジャンヌ。
「君……」
すると、猛が重々しくジャンヌへと顔を向け。
「良く、分かっているじゃあないか。後で鮭のムニエル、食べて行きなさい。新鮮な魚は、旨いぞ」
と、満面の笑みで告げるのだった。
「あっ……ありがとうございます……」
とりあえず、怒られなくて良かった……と、ジャンヌはホッと胸を撫で下ろす。
「……自分でも、過保護過ぎるんじゃないかとは。思っているんだ」
歳三が順番を終え、続いてジャンヌが盤上に石を置いていると。ポツリと溢すように、猛が告げる。
「たかが風邪で、こんなに取り乱し。大騒ぎしてしまって、と」
騒ぎ方が予想外過ぎて、イマイチ取り乱してる感が分かりずらいけど……と思いながら、ジャンヌは歳三の手を待つ。
「お前の場合は、星菜さんの事があったからじゃろ」
言いながら、歳三は自分の手を置き。
「星菜さん?」
続けてジャンヌが置く。歳三は石を持って、次の置き場所を黙考しながら。
「アレの嫁さんで、儂の義理の娘で。孫の母親じゃよ」
と言い、石を打つ。
(ランちゃんのお母さんか……)
ジャンヌはオセロを続ける手は緩めずに。
(どんな人なんだろう……全然、想像つかないけど)
と、心の中で思う。蘭家に嫁ぐくらいの人物なので、只者ではなさそうだが……どの方面に特化した人物だったのかは、ジャンヌには予測不可能であった。
「あのゴリラには勿体ない、器量も性格も良い子じゃったよ」
歳三は盤面を視線だけで何度も周回しながら言う。
「いや、ご自分のご子息をそんな……」
「親父、俺はまだまだゴリラの持つ強さの域には達していない!」
戸惑うジャンヌに構わず、堂々と言い放つ猛。
「能力じゃあなく、見た目の話しじゃよ」
そんな息子に、冷たく言い放ちながら歳三は盤面に石を置く。
「……まあ、確かに。毛深い方だが」
萎んだ声を出す猛に、再び蘭家を感じながらジャンヌは次の手を進める。
「孫は才能以外、星菜さん似じゃのう。本当に良かったわい」
「親父、流石に娘が俺のDNAを大量に採用していたら懺悔して切腹する」
「いや、そこまではやり過ぎかと……」
人の意思でどうこう出来ない事に、そこまで責任を感じても……と、思うジャンヌ。
「星菜さんは、北斗を生んで間もなく。風邪を拗らせて、そのまま逝ってしまったんじゃよ」
盤の上空で、次の手を彷徨わせながら歳三が言う。
「あまり、身体が強い方ではなかったみたいでな……」
そして、憂いを帯びた猛の声も聞こえてきた。
「だから、風邪で寝込んだ北斗さんを……」
蘭家の重い事情を知り、静かな声でジャンヌが呟く。
「妻は、自分の具合が悪い事を俺達には言わなかったんだ。気が付いた時には悪化して倒れて、そのままな……」
「あの時、儂らが気が付いて。無理矢理にでも休養を取らせ、病院に連れて行っとたら……と、今でも思ってしまうんじゃ」
行動からは分かりずらかったが、歳三の秘孔による攻撃も猛の滝行も。心から、ランを心配しての行動だったのだとジャンヌは納得した。
「そうだったんですね……」
ジャンヌは心の底から二人が『星菜さん』という女性を大切に想っていたと、彼等の言葉から実感しながら。少し、特異な寂しさをも感じてしまった。
「……きっと遺された人は、その人を想った時。ずっと自分を責めて続けてしまうんでしょうね」
前世の自分が死んだ時、ジルだけではなく。自身の家族や、親しい人達も。そんな風に想い、哀しみに暮れてしまったりしたのだろうか……。
「でも、もし……私が星菜さんと同じ立場だったら、自分を思い出す時は。悲しい思い出よりも、楽しかった事を沢山思い出して貰えた方が……」
ジャンヌはか細く「その……」と続けて。
「嬉しいかも、です……」
と、告げた。
後世に自身の功績が刻まれて、未来永劫讃えられ続けるのはとても光栄な事だが。ジャンヌは自分の大切な人達の記憶の中で、忘れられずに存在させて貰えて。思い起こしてくれた時に、その人達が自然と笑顔を浮かべてくれる存在として遺れていたら――。
きっと、その方がとても幸せだな……と、そう思ってしまったのだ。
「って、すみません!! 赤の他人が、なんか知った風に……」
だが、現在の彼女は十六歳の男子高校生。亡きランの母とも面識が無かったにも関わらず、こんな事を言って。不愉快にさせてしまったのではないか……と、後悔の念に駆られる。
「百合園君」
「はっ、はい!」
重低音の声に、思わず背筋を伸ばすジャンヌ。猛は鮭入りのお粥が盛られた器を、御盆に載せて持って来ながら。
「……ありがとう」
と、そっと優しくジャンヌに告げた。
「お粥、北斗に持って行って貰えるかい」
「えっ、はっ、はい! 私で良ければ!」
「孫の部屋は、この廊下の一番奥の部屋じゃよ~」
「わっ、分かりました!」
ジャンヌはそう言って猛から御盆を受け取ると、歳三に示唆された廊下へと歩いて行く。
「……北斗にしては、随分と華奢な青年を選んだものかと思ってしまったが」
「いやいや~、あやつ。なかなか油断のならん青年じゃぞ~」
ジャンヌが去って行く背中を見ながら言った猛の言葉に、歳三がオセロの盤面を指しながら返す。
見ると、盤上は四つ角全てがジャンヌの石に陣取られ。パッと見でも分かる程に、過半数の白で彩られていた。
「ウチで断トツに小賢しい親父が負けるなんて、珍しいな」
「誰が小賢しいか。儂は腕の立つ切れ者なんじゃい」
「自分で言うな」
実父にばっさりと言い放ってから。
「なかなかどうして……北斗は面白い子を選んだものだ」
「なんだか、星菜さんを思い出す子じゃったの~」
歳三の言葉に、目を見開いて驚きの表情を向ける猛。
「血は争えんの~」
ニタリと口元に笑みを象り、歳三が続ける。
一度咳払いをして、再び台所へと戻っていく猛の背中を見ながら。しかし、歳三の表情にはつい先程までの含み笑いとは違う。優しく、朗らかな笑みが浮かぶのであった。