第四話 遅桜の秘め事⑦
「……いや、本当。神とは、あんな連中ばかりではないのだ。本当に」
冷静な口調ではあるが、偉大な大天使様が明らかに動揺しているな……と、その場の全員が察した。
「だっ、大丈夫です! 神様も人間と一緒で、それぞれって事ですもんね!」
苦笑交じりにランが言い。一同も、ランの言葉に「うんうん」と同意した。
「それよりも、ランちゃんに天罰が下るっていうのは本当なのでしょうか?」
焦燥の色を浮かべながら、ジャンヌがミカエルに尋ねる。
「……すまない。それは、恐らく回避出来ないであろう」
非は明らかに神の方にあるとはいえ、一応は“神”という絶対的な存在を殴り飛ばしてしまったので。ランの行為は罪になってしまうのだそうだ。
「私からも干渉を試みて、軽度なものに止めるよう尽力してはみるが……」
「でしたら、私に罰を与えて下さい!」
ジャンヌの凛とした叫びが、室内へと響く。
「ランちゃんは……私を助ける為に、あんな無茶をしてくれたんです! 私の所為で……だから――」
「ジャンヌさん」
必死に訴えるジャンヌに、優しく制止を掛けたのはランであった。
「ありがとうございます」
温かな手がジャンヌの腕に触れる。まるで、宥めるかのように。
「でも、それはダメです。というか、私が絶対に嫌です」
笑顔で優しい口調。だが、強い意思を孕ませながらランは続ける。
「まだまだ未熟な修行中の身ですが、私も武闘家の端くれ。殴り返される覚悟も無く人……あっ、今回は神様でしたけど。拳を振るったりはしません」
ランの言葉にケルベロスの右の首とジルは「えっ、武闘家なの? JKじゃないの? グラップラーなの?」と、少し場の空気感とは違った疑念が頭の中で駆け巡る。
「これは私の罰なので、ジャンヌさんに肩代わりさせる訳にはいきません。大丈夫です! 私、崖から落ちても自力でロッククライミング出来るくらい丈夫ですから!」
この娘は本当に人間なのだろうか……その場の全員が、心の中だけでそう思った。
「だから、安心して下さい」
ジャンヌが戸惑いの色を浮かべる中、そう笑顔で押し切られてしまい。結局、心配気な表情のまま。
「分かった……けど、何かあったら絶対に言ってね?」
と、渋々納得をするのであった。
「嬢ちゃん、今回お前さんを巻き込んだのはオイラ達だ。何かあったらオイラ達も力を貸すぞ」
「アマゾーヌ。貴様には、ジャンヌを救って貰った借りが出来た……だから、俺もクソ犬と同じ意思だ」
上からな態度と物言いだが、礼儀のしっかりしているケルベロスの右の首とは違い。いつも粗暴な態度のジルの殊勝な様子に、ランもジャンヌも思わず目を丸くしてしまう。
「ジルさんのこの様子は……私の天罰は、天から降って来た槍が脳天に命中するとかでしょうか?」
「ランちゃん、それ即死してるって……」
「どういう意味だよアマゾーヌ!!」
「テメーの日頃の行いの所為だろう、変態悪魔」
辛辣にジルに告げてから、ケルベロスの右の首は「それと、もう一つ」と。ミカエルに顔を向けた。
「あの兄ちゃん」
そして、倒れる櫻小路生徒会長へと首をしゃくる。
「もう、神サマが憑依出来ないようにする事は出来ないのか?」
「可能だが、我々には不可能だ」
ミカエルの言葉に、全員は首を傾げた。
「番犬よ。神が憑依可能な人間の条件を知っているか?」
「条件っつーか、坊さんとか聖職者の修行を長年して高い位についた奴だろ?」
「半分正解で、半分不正解だ。どんなに長い期間修行をしたとしても、神が降臨出来る肉体となるには。かなり厳しい条件がある」
それは……と、ミカエルは続けて。
「約十年以上の月日、自分の欲望や煩悩に惑わされずに自己を律し。世の中の規律を守り、他者への思いやりを持ち、清く正しく生きて来た人間だ」
そう告げた。
「会長さんはメッチャ真面目で善い人、って事ですか?」
ランの質問に、ミカエルが。
「彼の人生や心情の深い部分は判らないが。今現在、間違いや罪を犯す事無く生きてきたのは事実だ」
と、平坦な口調で答える。
「会長、聖人君主を地で行く方だったんだ……」
ジャンヌも驚きつつ、しかし尊敬する会長の人物が理想通りである事に安堵する。
「じゃあ、コイツが自分の意思で何かしら間違いを起こさねーと。憑代体で無くなる事は出来ねーって事か?」
「そうだ」
「何かしら、って。盗んだバイクで走り出したり、校舎の窓ガラス割っていったり……とかですか?」
「ランちゃんの非行のイメージそれ!? てか名曲だけど、世代じゃないよね?!」
驚愕するジャンヌに「父が好きな歌手さんなんです」と告げ、「あっ、成る程! お父さんね!」とジャンヌも彼女の言葉に納得した。
「まあ、そんな犯罪染みた事じゃなくて良いと思うぞ。冷蔵庫の名前書かれた他人のプリン勝手に食うとか、職務中にお菓子摘まむとか」
「お前、そんな事やってたのか地獄の番犬」
「しっ、してねーし!! 物の喩えだし!!」
妙に慌てた様子で、ジルに返すケルベロスの右の首。
「番犬の行為の真偽はさておき、実際にその程度の細事で構わぬ。だが十年もの月日、自身を律してきた者に。例え、悪魔が甘い囁きをしようとも……」
「そう簡単には靡かねー、か……」
神妙な面持ちになるケルベロスの右の首とミカエルに。
「なあ」
と、ジルが声を掛け。
「なら、俺が新たな世界へと誘って。内に秘めたる欲望を解放さ――」
ケルベロスの右の首が、ジルの尻にガブリと噛み付く。
「ってーな!! 何すんだ、クソ犬!!」
「お前、それ、ただのお前の煩悩と欲望だろーが!!」
「はぁ?! 俺は親切で言ってやってんだよ!! 全然コイツ、俺のタイプじゃねーから!! 出来れば十年前に出逢いたかったわ!!」
「しっかり狙ってんじゃねーか変態悪魔が!!」
ギャーギャーと騒ぎ始めるジルとケルベロスの右の首に。
「彼は自分の悪行を、全く反省していないな」
呆れた様子でミカエルが呟く。
「す、すみません……」
何となく、居た堪れなくなったジャンヌが思わず謝る。すると、横でランが「ジャンヌさんが謝る事無いですって!」と、あっけらかんと言う。
ひっ散らかり始める現状に、ミカエルが咳払いをしてから。
「とにかく、私の方でも出来る事はしよう。だが、そちらも用心してくれ」
そう告げ。
「では、私は失礼する。破損した物と、憑代体にされた彼のダメージ。それに……」
と、言いながら。ミカエルは、ランへと右手を翳し。
「そなたの怪我は、こちらで修復しておこう」
と、眩い光を放った。
「って、ランちゃん! 怪我してたの!?」
再び、ジャンヌの驚愕の声が響く。
「いや~、でも、そんな大した事は――」
「肋骨にヒビを入れ、血管を何本か切っていても“大した事”ではないとは。流石はジャンヌの友だな」
ミカエルの言葉に「肋骨!? 血管!?」と声を上げるジャンヌ。
「と、いうかミカエル様! 私の友というのは……」
「そなたとて、首に矢傷を負っても戦場に立ち続けたではないか」
そう告げるミカエルの言葉に。
「アレは今でも伝説的な勇姿だった」
と、ジルが誇らしげに頷く。
「そうなんですか! ジャンヌさんの方が無茶してるじゃないですか~」
そして、ランが少し茶化すように言う。
「やっ、やめて下さいー! もう、もの凄い昔の事なので忘れて下さいー!」
そうジャンヌが赤面するが。
「いやいや、聖女サマ。歴史書やネットにも載っちまってるから、それは無理だ」
と、ケルベロスの右の首から無情な宣告を受けてしまう。
「では、ジャンヌもその友も。無茶は程々にするのだぞ」
大天使は少し柔らかな声でそう言うと、降臨した時と同じように眩い光を纏いながら。落ちては溶けるように消えていく白い羽根を、雪のように舞い散らせ。その神々しい姿を消し去るのであった。
「……神様はアレでしたけど、天使様マジ天使様で良かったです」
「……うん、私も。前世の私を導いて下さった天使様が、ミカエル様で本当に良かったって。今、凄く思った」
ミカエルの居なくなった空間を、少し呆然と見つめながら。ランとジャンヌが呟く。
「おっ、本当にドアも直ってんぞ。さすが大天使様」
「オイラだって、ドアくらい直せるぞ」
傍では、ランに破壊され。ミカエルによって修繕されたドアを見ながら、呑気な会話を交わすジルとケルベロスの右の首。
「じゃあ、会長も……」
ジャンヌの言葉で、皆の視線が壁に背を預けて意識を失っている櫻小路へと向けられる。
すると、ケルベロスの右の首が鼻先を微かに動かしながら彼の顔を覗き込んだ。
「普通に気を失ってるだけだし、天使の言った通り。憑依による体力の消耗も、嬢ちゃんにぶん殴られたダメージも回復してるだろうから。その内、目覚めんだろ」
ケルベロスの右の首の言葉に、ジャンヌとランはホッとした表情になり。
「良かったぁ……会長に大事が無くて」
「良かった……会長さん、何も悪く無いのに殴っちゃったから……本当に申し訳ないです……」
「結構、思いっきりぶっ飛ばしてたからな。見てるだけで、痛そうだったぞ」
気まずそうな表情をするランに、追い打ちを掛けるような台詞を言うジル。
「ジル! そんな言い方……ランちゃんは、私の為にやってくれた事で……」
「お前も一回ぶっ飛ばされてるから、気持ちが良く分かるだろ」
「そう言われんのはムカつくけど、その通りだ」
「あの時は……ジルさんが悪いです」
「ランちゃん、そこははっきり言うんだね。まあ、その通りだけど」
などと、一同は呑気な会話を繰り広げる。
「目が覚めるまで床の上は可哀想だから、保健室に連れて行こうか。私が会長をおんぶして――」
「それなら、私にお任せ下さい!」
意気揚々と、ランは軽くヒョイと長身男子である櫻小路の身体を横抱きにして持ち上げる。
「そんな猫抱き上げるみたいに軽々と……てか、ランちゃんー!! その持ち上げ方で行くのは止めて上げてー!!」
いくらランに“英雄”という雄々しい二つ名が冠されているとはいえ。自身より小柄な女子生徒にお姫様抱っこで抱えられて校内を歩き回られたのでは、生徒会会長であり王子と崇められ称えられる櫻小路の男心を傷つけてしまう……と、ジャンヌは生徒会室を出ようとするランを必死で制止するのであった。