第四話 遅桜の秘め事③
一方、その頃。ジャンヌは生徒会室に居た。
風紀委員である彼女が、他委員会室に居るのは異質な様にも感じられるが。ジャンヌは黒葛を退学に追いやった事件以来、手が空いている時には櫻小路生徒会長の手伝いに足繁く赴いているのだ。
ジャンヌとしては、あの事件の際に自身を助けてくれた櫻小路会長の役に立ち。少しでも、恩返しをしたい……そんな思いを抱いていた。
「生徒会じゃないのに、いつも手伝って貰ってごめんね。百合園君」
だが……。
「いっ、いえ! 会長こそ、いつも仕事をされていて……きちんと休まれてますか?」
「昔から、要領が悪い上に鈍くさくてね。僕は人より、数倍頑張らないとダメなんだ」
「学年一位の秀才が、何を言ってるんですか」
眼鏡を掛けた知的な瞳が、端正な顔を少しだけ崩して笑みを浮かべる。
ジャンヌは彼――櫻小路光一と二人で過ごす、この他愛無い時間が好きであった。
それは、ランと過ごす時とはまた違う癒しの時であり。
「文武両道眉目秀麗と。華やかな注目が尽きない百合園君にそう言って貰えるとは、光栄だ」
そう近距離で笑い掛ける櫻小路に、ジャンヌの胸が少し跳ねてから。
(会長……今日も変わらず、紳士的で素敵だ!)
至福を強く感じる。
あの日、あの時。会長に助けられてから、ジャンヌは彼に特別な敬意を抱いていた。
それは、今まで前世で出逢った男性達にも感じられなかった温かな憧憬と感謝。
前世で、聖女ジャンヌ=ダルクは敵国に捕らえられ。“魔女”“異教徒”と罵られながら火刑に処されその生涯を終えた。その際、彼女へ苦痛を与えたのは自身の身を焼いた炎だけでは無く。身を粉にして戦場を駆け抜けたにも拘わらず、自国からの救出がなされなかった事。
不安や疑念を抱きながら待ち続けるというのは、焦燥を大きく募らせて心を強く疲弊させる。肌を裂き、血を流すのとは違う難解な痛みが、身体の内側から彼女を苦しめたのだ。
ジャンヌは、黒葛に退学にされそうになった際。その頃の事を、その時に感じた痛みと共に思い起こした。
全身を叩きつけるような絶望感が彼女に襲い、心が暗く重たい水の中にゆっくり沈んでいき。目の前の景色が、音が、遠くへと離れて行き五感が麻痺していった。
そして現実から逃避して、ジャンヌは自分の感情を無にして与えられる運命を受け入れようとしたのだ。前世の時計が止まる、あの時のように。
しかし、そこに現れ。救ってくれたのが、櫻小路現生徒会長であった。
(委員会は違えど、私は……会長の支えになりたい!)
平民の少女の身ながら戦に赴いたジャンヌは、実績もさることながら男性よりも強い心を持っていなければならず。普通の少女のようなロマンティックな出逢いや交流を男性とする事が叶わぬまま、“ジャンヌ=ダルク”としての生涯は幕を閉じた。
――私、恋をしてみたいんです。
何か一つだけ願いが叶うなら……報われなくても良い。優しくて素敵な人に恋をしてみたい。人を好きになったり、愛するというのはどんな幸福を味わわせてくれるのか知ってみたかった。
諸事情により、前世の記憶を持ったまま男の身体に転生をしてしまい。それは困難な泡沫の夢となってしまったが、その願いは密かにジャンヌの心に大事に残り続け。
(恋人になりたいとか、そんな欲張りな夢は望まないから……会長を傍で、出来るだけ長く見つめさせて欲しい……)
いつの間にか、そんな淡い想いへと変化していた。
「――百合園君」
自身の思考に耽り、少しボーっとしていたジャンヌに櫻小路から声が掛かる。
「はっ、はい!」
と、ジャンヌは慌てた様子で振り返った。
「君にはいつも、本当に感謝しているんだよ」
笑みを浮かべながら告げられた言葉に、ジャンヌは「えっ?」と驚きながらも再び胸を弾ませる。
「清廉で、美しくて、正しくて……君は、本当に素晴らしい人だ」
「かっ、会長!? きゅっ、急にどうしたんですか?」
櫻小路が、優しく自分に賛辞を贈るのはいつもの事だが。いつも言われる言葉達とは違う種類の美辞麗句を受け、ジャンヌは頬を赤らめながら戸惑う。
「顔が、赤いよ」
すると、ジャンヌの頬にそっと手を触れさせて言う櫻小路。
「可愛い」
えっ!? 何コレ!? どういう事!? 私の妄想!? 夢!? と、ジャンヌは内心慌てふためくが。
(でっ、でも……櫻小路会長なら……)
と、心が傾き。櫻小路の相貌を見つめる。
端正な美しさに見惚れながらも、ジャンヌは彼の眼鏡の奥の瞳に。いつもとは違う違和感を覚える。その正体を探りながらも、少しづつ詰まっていくジャンヌと櫻小路の距離。「どうしよう……どうしよう!?」と、心の中だけでジャンヌが葛藤していると。
――ドンッ!!
という、盛大な音が。生徒会室の扉から聞こえてくる。
「えっ!?」
思わず振り返るジャンヌ。その背後で、彼女の耳には届かない程の音量で舌打ちが鳴る。
「……誰か、ふざけてドアにぶつかったのかな?」
「だっ、大丈夫でしょうか? 私、ちょっと見に――」
ジャンヌが扉の方へと歩み出そうとするが。
「大丈夫だよ」
と、櫻小路がジャンヌの手を掴みその行動を阻む。
「きっと、もう行ってしまっているよ。……それよりも、今は。僕の傍に――」
――ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンッ!!!!
だが、櫻小路の言葉を遮り。扉を叩いていると思われる打撃音は、さらに苛烈さを増す。しかも、それだけでは無く。耳を澄ましてみると、人の声が微かにではあるが聞こえた気がした。
――ララララララララララオラッ!!
何を言っているのかは、全く判断がつかなかった。だが、その声は。何だか、ジャンヌには聞き覚えがあった。
「オラオラオラオラオラオラッ――」
すると、打撃を受けていた扉が盛大な音を立てて砕かれ。一人の人物が、生徒会室へと傾れ込んで来る。