第四話 遅桜の秘め事①
黒葛達と悪魔による学校襲撃未遂事件から、約一月が経った頃。
ランの周囲は大きく変化していた。
当初は「いきなり学校の貴公子(ジャンヌ)と親しくなった目障りな女」として、全学年の女子生徒から悪印象な注目を受けていたランであったが。椿木絢子達を助けた事によって、彼女の評判は悪評から好評に変貌したのだ。
その事実が生徒達の間で広まった事もそうだが。ジャンヌだけでは無く、ランにも懸想をするようになった当の絢子が。友人達と共に親しい間柄の女子達へ良い評判を吹聴し、彼女に抱かれていた敵意は少しづつ弱まっていった。
そして、その半月後。完全に消え去るイベントも発生する。
ラン達の通う高校で、体育祭が行われたのだ。
そこでの彼女の活躍に、全生徒や教員達までもが驚愕し。魅了される事となる。
全員参加の短距離走ではスタートの合図が鳴り、瞬きの間には既にゴールテープを切っており。綱引きや大玉転がしでは、ラン一人の腕力でも事足りてしまう活躍を披露。マリと出走した二人三脚では、運動に全くやる気の無い彼女を抱えて断トツの一位を取り。最後の縦割りリレーでは急遽アンカーを懇願され、前の走者が距離を離されたり転倒したり等のトラブルが重なり半周遅れでバトンを渡されるも。並外れたスピードで激走し、大逆転勝利を収める……という、ドラマまで生み出した。
それから、ランは「イケ女ンの英雄」という二つ名が冠され。女子生徒からは憧憬を、男子生徒からは尊敬の念を抱かれるようになる。
「……それからずっと、マリが機嫌を直してくれないんです」
昼休み、屋上にて。ランは弁当を広げながら、沈んだ表情で告げた。
「まだ許してくれないの?」
苦笑を携えて、傍に座るジャンヌが訊ねる。
「……はい。『私が……せっかく、全面プロデュースして可愛い女の子にしたのにー!!』って半泣きされ、『しばらくランは貴公子とお昼食べて! 絶対、貴公子と食べてよね!』……と」
「なんで、私強制指名!?」
まあ、二人きりなら普段出来ない会話をする事が可能なので。ランとのランチは大歓迎だが……何の理由で自分を指定しているのか、疑問と不安がジャンヌに募る。
「あっ、今日も絢子先輩からお菓子頂いちゃって……ジャンヌさんも一緒に食べましょう」
「ありがとう、ランちゃん。あとで、椿木さんにもお礼言っとかないとなぁ」
そう溢しながら、ジャンヌはランに「今日は何?」と尋ねる。
「夏みかんの和菓子だそうです」
「これも椿木さんの手作りなんだよね?」
「だそうですよ! まだ練習中なので、お店には出せないそうなんですが。それでも全然綺麗だし、いつも美味しくて凄いですよね!」
懐かれてからランが聞いた話のよると、絢子の家は和菓子店だそうで。彼女は将来、店を継ぐため和菓子の作り方を自宅にて勉強中なのだそうだ。
そこで練習に作った和菓子の中でも特に綺麗な出来栄えになった物を、ほぼ毎日のようにランへ持参している。
「いつもいつも、申し訳ないです……今度、私も何かお返ししなければ」
「私も。ランちゃんのついでに、いつも貰っちゃってるからお礼しないとなぁ」
と、笑みを交わし合いながら。二人は艶やかなオレンジ色を放つ菓子を大事に。そして、少し普段よりも優しめにゆっくり食していく。
「そういえば、あの人があの“暴君”と悪名高い黒葛元先輩だったなんて。まだ驚きです」
「……ランちゃん、知る前にぶっ飛ばしちゃったもんね」
ジャンヌの言葉に、ランは「すみません……」と、申し訳なさそうな表情をし。
「父にも『どうして全治一ヵ月に止めなかったのだ!!』と。その後、叱られました……」
「お父さんも叱るポイントそこなんだね!?」
ランによって圧倒された黒葛の仲間達は、一撃での攻撃で伸された為。全治一週間程度の者ばかりであったが、黒葛だけはランの本気攻撃を何発も受け。さらに、協力関係にあり了承をしていたとはいえ。悪魔憑依の代償に普段の数倍も体力を消耗し、身体の自然治癒能力を含めた様々な機能が低下してしまっていたのと相まり。全治四ヵ月という診断を受け、悪魔と共に行った学校襲撃未遂とその他の事件諸々含めた件で罪が確定しているものの。未だに、入院を余儀なくされていた。
「悪魔との取引の代償が大きいのは、黒い執事の漫画とかで何となくは知ってましたけど。身体の免疫力の低下とかもあるんですね」
「ケルベロスの右の首様曰く、憑依したついでに。悪魔が勝手に黒葛元先輩の生気を、少しずつ吸ってたらしいよ」
「なるほど! さすが悪魔ですね」
「さすが、って……まあ、そうだね」
不思議な感想を述べるランに、ジャンヌが戸惑いながらも笑みを溢す。
「その悪魔さん、五百年の禁固刑のあと。無期限で、下級悪魔がやるキツい労働を一生科せられるんですよねぇ」
「そっ、そうだねぇ……」
ランの言葉に同意をしながら、ジャンヌは心の中で少し……ほんの僅か、一ミクロン程だけ悪魔に同情の念を抱いてしまう。
彼女の耳には入れていないのだが、彼はジルによる調教と拷問等々その他諸々十八禁的な所業の被害者となった事で。ランと戦った時と、かなり様子が変貌し。とても大人しくなったそうで、取り調べもスムーズに行えた……と、ジャンヌはケルベロスの右の首から報告を受けていたのだ。
悪行をし、同級生の椿木達に行った事は許し難いが。さすがに、少し可哀想だ……という気持ちが生まれてしまうジャンヌであった。
「でも、悪魔さんの動機が『優秀な自分が、自身より無能な人間達の為に誘惑をするだけなんて納得がいかない』という理由だったとは」
上級エリート悪魔達が行う“誘惑”という行為は、ケルベロスの右の首曰く。悪魔達の道楽の為では無く。人間の死後、その誘惑を跳ねつけたり耐えたり、或いは負けた数や内容によって。天国行きか地獄行きかの判断の指針にする為、なのだそうだ。
「……本当に。そんな動機で凶行を起こして、大切なものを失ってしまうなんて……」
「大切なものですか?」
「貞そ……いや、高収入の仕事と高い学歴、かな……」
「なるほど。これで、高身長であれば理想の男性像の3Kですね」
無邪気に笑うランに、ジャンヌは「ホントだねえ……」と少しギコチない笑みを溢した。
「つっ、黒葛元先輩も! 今回の事に懲りて、もう二度と悪事をしないよう。今度こそ、きちんと更生してくれると良いなあ~!」
悪魔の事がいたたまれなくなり、ジャンヌは話題を変えようと話しを振る。
「そうですね。そういえば黒葛元先輩って、ジャンヌさんと今の生徒会長さんが学校から追い出したんですよね?」
「……そうだよ」
返答したジャンヌは、その表情を少しだけ曇らせ。
「先日の事に勝るとも劣らない悪行を、黒葛元先輩はこの学校の生徒会長として行っていた。けれど……それでも、追い落として追い出した時は。心が痛んだなあ……」
今も昔も。例え他者の為の善行であったとしても、どんなに非道な人間であっても。相手を貶めるというのは、気持ちの良いものではない……と、ジャンヌは思う。
「去年の五月くらいに、椿木さんが黒葛元先輩に酷い目に遭わされそうになった現場に。私が偶然、居合わせてね」
咄嗟に飛び込み、黒葛を殴り飛ばしたそうだ。だが、その後。黒葛がジャンヌに対し「理不尽に暴力を振るわれた!!」と騒ぎ立て、ジャンヌを退学へと追い込もうとしたという。
「あの人、本当に最低ですね!!」
「しかも、親が地位も権力もある人だったから。学校の先生達も、黒葛元先輩には逆らえなくてね」
「なんて性質の悪い!!」
お陰で、彼が在学していた期間は『暗黒時代』と呼ばれているそうだ。
「でも、私のことを椿木さんが庇ってくれて」
――彼は、私を助ける為にしてくれたんです! ……と、彼女はしっかり証言してくれたという。
「絢子先輩……素敵です!」
「凄く勇気のいる事だったと思うよ」
全生徒、全教師。誰も逆らう事の出来ない黒葛に、真っ向から意見したのだ。
「それに、現生徒会長の櫻小路会長が。黒葛元先輩の悪行の証拠を、集めて用意してくれててね!」
ジャンヌは嬉しそうな笑みを浮かべながら続ける。
「私が先生達に呼び出された会議室に、椿木さん。そして、会長が来て下さって。黒葛元先輩が影で行っていた、部費の横領や職務怠慢、自分が壊した備品の罪を他生徒に着せたり……」
「クズですね!!」
「そんな沢山の証拠を、櫻小路会長が動かぬ証拠付きで突き付けてくれて。私は晴れて無罪放免、黒葛元先輩は退学処分となりました」
「めでたしめでたし、ですね!」
これが後に、『聖なる叛乱』という名称で称えられ。“高潔の王子”櫻小路光一現生徒会長と、“廉潔の貴公子”百合園純矢の名が校内の隅々まで広まる切っ掛けとなったのだ。
「あの時、櫻小路生徒会長が来て下さらなかったら。私はどうなっていたか……」
言いながら、ジャンヌの表情は明るく穏やかな笑みを花開かせていた。その様子に、ランも何だか嬉しくなり。
「会長さん、噂に違わぬ素敵なお人なんですね!」
と、言葉を紡ぐのであった。