第三話 姫椿の毒気⑩
「……あの嬢ちゃんの前世は、ラノベの主人公か何かだったのか?」
「さーな。つーか、テメー。犬の癖にラノベ読んでんのか?」
「別に良いだろうが。女性向けのドギつい十八禁の同人誌読んでる奴に言われたくねーよ」
「はァ!? 今やBLは世界的にも偉大なカルチャーだろうが!!」
「ラノベだって全魔獣種族大興奮の最高なエンタメ作品だバカ野郎!!」
「ラノベはバカにしてねェ!! ラノベ読んでるワン公をバカにしてんだバカ犬!!」
「だとゴラァァァ!!」
刹那、ケルベロスの右の首がジルの頭へと噛み付くのだった。
「……何してるの?」
脱力しながらジャンヌが言う。
「ジャンヌ~、この腐男子の敵めが~」
「青少年の敵が何言ってんだゴラァ!!」
この二人(?)仲良いなぁ……と、思いながらも。
「いや、それより……仕事は良いんですか?」
と、ジャンヌは進言した。
「あっ、忘れてた」
ケルベロスの右の首が、ハッとする。
「バカ犬が」
「覚えてる気も無かった奴に言われたくねーよ」
言いながら、ケルベロスの右の首は黒葛の所までやって来る。
「まずは、憑依を剥がすか……」
と、気だるそうに告げた。
「憑依を剥がすって、悪魔祓い的な?」
ジャンヌは前に、現代の家族と共に見たホラー映画を思い起こす。
エクソシストが、少女に取り憑いた悪魔を払うというその物語は。フィクションである事を忘れてしまうくらい壮絶であった。
「悪魔祓いって、凄く大変な儀式だって――」
と、ジャンヌが言うや否や。ケルベロスの右の首は黒葛の頭にガプリと噛み付き、ズルズルと後退。すると、ケルベロスの右の首の口には黒葛の頭では無く。別の人物の頭が咥えられていた。
「よし! 脱皮完了」
フ~、と。ひと息つきながら告げるケルベロスの右の首だが。
「ちょっ、そんな簡単なんですか!?」
と、ジャンヌは目を剥いた。
「悪魔祓いって、確か……映画やドキュメンタリーとかでは、聖水とか十字架とかが必要で。あと、悪魔の名前とかも聞き出さないと――」
「ジャンヌ~! 聖水も十字架もあったら、先に我らがダメージ負ってしまうじゃないですか!」
笑いながら言うジルに、ジャンヌは「確かに……」と返した。
「聖女サマが言ってるのは、人間用の手法だ。けどオイラは偉大な魔獣、ケルベロスだぜ」
フフンと、得意気な表情で。
「異世界転生した主人公並みのチートスキル持ちだって、おかしくないだろ!」
そう続けるのだった。
(本当に、ラノベ好きなんだ……)
ケルベロスの右の首の嬉々とした様子を見て、ジャンヌの感想は思わずそちらが先行してしまう。
「じゃあ、変態悪魔」
「殺すぞクソ犬」
「さっさと、コイツ連れて。先に地獄に戻ってろ」
当初の目的遂行の指示を出すケルベロスの右の首。
「オイラは、さっきの嬢ちゃん達三人も含めて。此処に居る奴等の記憶も、改竄しとかねーといけねーからな」
彼の言葉に。
(あっ、さっきまで居た人達は皆。悪魔が使う、人が行使出来ない力を使うのを見ちゃったから……)
と、納得するジャンヌ。
「ったく、人使いの荒いワン公だな……」
「ただの真っ当な職務だ。寧ろテメー、さっきから何もしてねーの知ってるからな?」
辛辣に言い放つケルベロスの右の首。
確かに、悪魔の力を無力化してランの反撃の手助けをしたのも。今、黒葛の身体から悪魔を引き剥がしたのもケルベロスの右の首だったし。黒葛と悪魔をまとめて倒したのはランである。今の所、ジルは何もしていなかった。
「はいはい、分かりましたよ~。つーか、コイツ寝てんのかァ?」
突っ伏していた悪魔の身体を、少し乱暴にひっくり返すジル。
「気絶してるだけだ。オイラの力で魔術使えなかったから、嬢ちゃんの攻撃を防御出来ずに諸に食らったんだろ」
「……ランちゃん、凄すぎ」
ケルベロスの右の首の言葉の後に、ジャンヌがポツリと呟く。
しかし、ジルからの応答が無い。彼は、仰向けにした悪魔を見つめながら。何故か微動だにせず固まっていたのだ。
「どうした? ジル」
疑問を浮かべるジャンヌの横で、ケルベロスの右の首は嫌な予感がして。苦い表情で沈黙していた。
――キュンっ!
ジャンヌがジルの顔を覗き込むと、彼は紅潮させた頬でそんな擬音を発した……気がした。
「えっ!?」と、戸惑いながら。続いてジャンヌは、黒葛に憑依していた悪魔へと視線を移す。そこに居たのは、気絶して両目は閉じられているとはいえ。涼やかな目元と口元を携えた、少し童顔で端正な顔立ちをした黒髪の美青年であった。
ジャンヌの背中に、ゾクリと悪寒が走り抜ける。
「……っ、ク……ソ……」
すると、悪魔がふと目を覚ました。大きめな赤い瞳が、さらに彼の美貌を引き立たせる。
「……あの女め、次は――」
しかし、眼前に飛び込んできた荒い息遣いのジルを見て。悪魔は言葉を失う。
「貴様は転生悪魔?! 何故、こんな所に……離れろ、汚らわしい!!」
「まあまあ、そう言わずに~」
ジルは魔術を使い、赤黒い光で悪魔の上半身と両足を拘束。
「今から俺と、新たな扉を開けに行こうぜ」
無駄にイケメンボイスと表情で、ジルは悪魔へと告げる。
だが、ランの時とは違い。彼の言葉は、その場にいた全員に鳥肌を立てさせた。
「き、貴様、触るなっ!!」
「大丈夫~、悪魔なら死ぬ事は無いから~」
言いながら、ジルは指をパチンと鳴らす。すると地面に黒い靄が立ち込め、マンホールくらいの穴が出現。それは、先日ケルベロスの右の首が出した地獄への入口と同じものだった。
「さあ、天国よりも良い景色を。君に見せてあげるからね~!」
嬉々とした表情でジルは「やめろー!! 放せー!!」と叫ぶ悪魔を抱え、穴の中へと吸い込まれていった。
暫くして、地獄への入口は消え。何事も無かったかのように、土の地面が顔を出す。
「……ケルベロスの右の首様」
「……何ですか、聖女サマ」
「あの……良いん、ですか? ジルの奴、放っておいて」
ジャンヌの質問に、ケルベロスの右の首は一度。青い空を仰いだ。
そして、鼻から「フンー……」とゆっくり息を吐き出し。
「あんまり良くないが……面倒臭い」
と、答える。
「メンドっ!?」
「まあ、どうせ規律違反犯した悪魔だし。人間にも悪魔にも被害のある事件起こしてて罰は受けるし、それがちょっと前倒しになって増加しただけって事で」
「いや、でも……様々な方面で、ダメなのでは……」
戸惑いながらも進言するジャンヌに、今度は盛大な溜息を溢して。
「正直……アイツの特殊性癖の御守り、メッチャ疲れんだよねぇ……ぶっちゃけ、生者の無垢な少年に手を出すよりかは全然良いかなーって。ちょっとくらいなら、別にほっといても良いかなーって……少しくらい、オイラも解放されたいなーって……」
と、ケルベロスの右の首は心底疲れた表情で告げた。
見た事の無い彼の憔悴の様子に、流石にジャンヌは何も言えなくなり。
「そ、そうですね……」
と、自分もジルの凶行を見過ごす事にした。
ランや絢子を襲った悪魔に同情心も無かったし、現在のジルになってしまった原因の一旦が自身にも無い訳では無いと思っているので。余計に、何も言えなくなってしまったのだ。
「聖女サマ」
すると、ケルベロスの右の首が優し気な声音で声を掛ける。
「聖女サマは、前世でも死んでからも今でも。悪意を持って、何かをした事は一度も無いんだ」
だから……と、続けて。
「あんまり、自分の事。責めんなよ」
そう言葉を掛けた。
「……ありがとうございます」
しゃがみ込み、ジャンヌはそっとケルベロスの右の首の頭を撫でる。魔獣とはいえ、毛並みは現世に居る犬と一緒だな……と、思いながら。
「でも、これが私の罰なんです……」
そして、柔らかく優しく。だが、どこか寂しそうに。
「なので私は、ちゃんとそれに準ずるつもりです」
と、告げた。
そんなジャンヌの表情に、ケルベロスの右の首も。どこか沈んだ顔で、彼女を見上げるのだった。
* * *
一方、その頃。
恋のキューピッドを真っ当したと思っているマリはというと……。
「ランと貴公子、上手く行ってるかな~」
委員の仕事で、本日も保健室に在中し。一人で回転式の丸椅子に座り、クルクルと遊びながら独り言を溢す。
「まあ、貴公子とランのラブストーリーが始まったら……ちょっと寂しくなっちゃうけど……」
彼氏が出来たら、それまで付き合いのあった友人とは疎遠になりがちなものだ。しかし、マリはそれも覚悟の上でランの成功を願っていた。
ランの方が上手く行ったら、少しづつ自分の事に着手して行けば良い。お菓子でも食べながら、のんびりと……と、考えながらキャラメルを頬張る彼女の所に。目をハートマークにした絢子を抱きかかえたランがやって来る五秒前……なのであった。
第三章 姫椿の毒気【Fin】