第一話 立夏の邂逅①
桜の寿命は短い。
美しい……と、足を止めて見上げた次の日には。大分部の花弁を散らし、昨日見たよりも少し色褪せたように感じてしまう。
そして、新たな生活に慣れ始めた事と相まって。良く見上げていたその樹木に段々と意識が向く事は無くなっていき。薄紅の花弁は、いつの間にか青葉へとその姿を変えてしまっているのだ。
「――歴史的にも世界的にも有名なヒロインである『オルレアンの乙女』ことジャンヌ=ダルクは。農夫の娘として生まれましたが、天使から神の啓示を聞き。当時『百年戦争』でイングランドと戦争を続けていたフランス軍に加わり、敵国に制圧されていた『オルレアン』を解放。劣勢であったフランス軍に起死回生の道を切り開きました」
深緑の板に、白い文字が綴られ。教壇に立つ男性教諭が、書き加えられていく単語達の意味と背景を口頭で説明している。
「この『オルレアン包囲戦』に勝利を収めた事により、ジャンヌ=ダルクは聖女や救世主と称えられましたが。後に、敵国に囚われ火刑に処せられてしまいます」
教諭がそう言った刹那、授業終了を告げるチャイムが鳴った。
その瞬間、真剣に黒板と机上を交互に顔を向けていた生徒も。暖かな陽気にうつらうつらと船を漕いでいた生徒も。皆、そわそわと動き始める。
「じゃあ、今日はここ迄。しっかり復習しておくように」
そう言い残し、教諭は号令が終わると。テキパキと教材を纏めて教室を後にしていく。
そして、午前最後の授業を終えた生徒達は。ゆっくりと思い思いの行動が取れる昼休みに、解放的な気持ちと言葉を友人達と交わし始める。
「ラン~、お弁当食べよう!」
欠伸交じりに教科書とノートを片付けていた少女に、後ろからのんびりとした声が届く。彼女は振り返り。
「うん、食べよう!」
明るい声で同意した。
「……はぁ~、恋がしたい」
そして二人が机をくっ付けて、向かい合わせに昼食を取る中。一人の少女が、ピンクの弁当箱を目の前に。盛大な溜息を溢しながらそうボヤく。
「マリ~、今日もそれ?」
ふんわりとした長い髪を流す小柄な少女――マリが言った言葉に。彼女の眼前に座るもう一人の少女・ランが、苦笑交じりに返す。
「だって、せっかく花の女子高生になったのに。未だに、胸がトキメクような出来事も起こらないし~」
「胸がトキメクような出来事って。例えば、どういう?」
「そりゃあ、少女漫画みたいに。曲がり角でイケメンとぶつかったり、そのイケメンと転校生として再会したり!」
「五月の一学年に、転校生なんて来ないって」
「夢が無いよ、ラン~」
マリはランに、柔らかそうな頬っぺたを膨らませてそう言った。
「ランだって、高校生活では恋してみたい。って、言ってたじゃん!」
「まあ、そりゃあ、そうだけど……」
ランは唐揚げを頬張って飲み込んでから。
「無理に頑張るものでも、無いのかな~……って」
と、告げた。しかし、マリは。
「ランは甘い~」
と、唇を尖らせる。
「待ってるだけじゃ、現実の世界では恋なんて来ないんだよ~」
「さっき、トキメキが起こらないって……」
「それとこれとは別。私だって、二次元と三次元の区別はつけて生きてるし~」
「まあ、漫画みたいな事が。現実で起きるはずないもんね……ちょっと、寂しい気もするけど」
「あっ、漫画といえば! 『恋キミ』の新刊。持ってきたから貸してあげるねー!」
「ホント!? ありがとう!! 続き気になってたんだぁ~。マリはもう読んだ?」
「もち! 買って家帰ってスグ読んだ!」
最高だったよぉ~、と満面の笑みで嬉しそうに言うマリ。
その時、二人が居る教室の外から女子生徒の黄色い声が聞こえて来る。
「あっ、うちの学校のイケメン双璧のお通りか」
「会議室に行くのに、一年の教室の廊下通らないといけないの大変だよね。皆に注目されて」
「もう慣れてるんじゃない?」
「そうかな?」
教室の扉や、廊下の間にある窓へと群がっていくクラスメイトの女生徒達を横目に。二人は席から立ち上がること無く弁当に箸を進めながら、女子達の間から覗き見えた長身の男子生徒達へと視線を向ける。
其処には、眼鏡を掛けた知的な青年と。見た目から物腰の柔らかそうなのが分かる、爽やかなルックスの青年が一際輝いて二人の視界に映った。
「常に学年一位、全国模試も上位クラス。三年の秀才、学園の王子・櫻小路光一生徒会長に」
マリが眼鏡の青年に視線を向けながら言い。
「恵まれた容姿に文武両道、品行方正を行く二年の貴公子・百合園純矢風紀委員」
続いて、ランが爽やかな空気を放つ青年を見ながら言った。
「あの人達は、二次元の人達じゃないのかな?」
と言う、ランの言葉に。
「神様は、不平等で残酷なのよ」
と、冷淡にマリが告げる。
「そうかもねぇ……けど少女漫画に出て来る男子って、あんな感じだよね。マリは恋したいのに、あの先輩達には行かないの?」
「なんかぁ……あんまり、タイプじゃない」
「マリのタイプって一体?」
「……まあ、その話は別にして」
「別なの?」
「あの人達は学年も違うし、雲の上の存在だし~」
「確かに」
ランは小さく笑いながら。
「完全に、住む世界が違うよね」
と、続けるのであった。