第三話 姫椿の毒気④
「あっ……はっ、はい!!」
その時、静寂の中に。右手を上げたランの声が弾ける。
「よっ、良かったら。食後のオヤツ、食べませんか!?」
取り繕ったような笑みを浮かべながら、ランはポケットから二つのビニールの小袋を取り出した。
「クッキーです!」
これは、教室で別れる時にマリが「貴公子と一緒に食べな~」と分けてくれたお菓子であった。
「一袋、二枚づつ入っているので……」
ギザギザの側面を破り、小袋から二枚のクッキーを取り出すラン。
「はい! ジルさん、ケルベロスの右の首さん!」
そう言って、笑顔で差し出された小さな円形の焼き菓子を。一人と一匹は、何も言わずに受け取った。
「はい、ジャンヌさん!」
もう一つの袋を開け、ジャンヌへと差し出すラン。
「……ありがとう」
微かな笑みを浮かべて、ジャンヌは彼女の手からクッキーを受け取った。
一口かじると、口に広がったのは。気軽に手に入るような、良くある大量生産された加工菓子の味。しかし、ジャンヌは。このクッキーに、妙にホッとする温かさを覚える。
「あっ、あの! そういえば、悪魔の規律違反って。具体的には何なんですか?」
クッキーを食べながら、ランが再び話題を転換させる。
皆、ランの行動により既に気持ちも切り替わっていたのと。ランの気遣いを汲んで、その話題へと乗っかった。
「私利私欲の為に、自分の力を使用する事だ」
そうケルベロスの右の首が答える。
「“悪魔”と一口でいっても。全個体が、この変態猟奇殺人鬼みたいに悪意を持ってる訳じゃあない」
「オイ、クソ犬」
「事実ですよ」
「事実だろう」
「えっ、ちょっ、ジャンヌまで~!」
ジャンヌに縋り付こうとするジルを、ランが拳で牽制。
「悪魔の成り立ちは、人から悪魔になった転生者と。悪魔同士の交配で生まれる純血統の悪魔が居るんだが、その純血統の悪魔の中のエリートが。人に誘惑を与える役職に付いている」
「まさか、筋トレ千回セットのトレーニングを投げ出したくなったあの時も悪魔の……」
「いや……それは悪魔の誘惑じゃなくて、身体からの悲痛な叫びじゃないかな?」
神妙な面持ちのランに、ジャンヌが苦笑交じりに突っ込む。
「人間から悪魔への転生は、地獄の刑罰で懲りてない奴が殆どだ。偶に、特殊な事情や魔術によって変貌する奴もいるが。まあ、基本的には現世での活動を赦されてはいない」
「それで、ジルさんにはケルベロスの右の首さんがお目付けしてるんですね」
「そうだ。でないと、生者に何するか分からんからな」
「はっ! ジャンヌが居るのに、他の奴等の事など――」
「ウチのクラスでは、誰が一番タイプですか?」
「前から五番目、右から一列目の席の山下だ」
「アウトですね」
ランが言った後に、ジャンヌが「山下君? って、どんな子?」と尋ね。ランは「クラスの男子内では一番小柄で、端正なベビーフェイスの声楽部です」と答えた。
そして、ジャンヌは白い目をジルへと向けた。
「いやっ、違っ、だって、タイプって……アマゾーヌ、貴様っ……!!」
悔しそうに歯噛みするジルであったが、ケルベロスの右の首は構わず説明を続けた。
「だから、現世の往来を許可され。人間を誘惑する職務に付けるのは、純血統の悪魔から更に厳選されたエリートで上級の悪魔のみだ」
行使できる魔術の種類、現世の理を大きく崩さない為の知識。何事にも、臨機応変に対応できる柔軟性と思慮深さ。
そして人間を誘惑する仕事をしながら、自身が誘惑に負けてしまう事の無い精神力等が高い悪魔のみが。この職種に就く事が出来るそうだ。
「じゃあ……その悪魔のどなたかが、誘惑に負けて違反行為を?」
ランがそう尋ねると。
「どうやらそのようでな……ここ最近。この近辺で悪魔の魔力が、何の隠蔽魔術の行使も無く使用されている上に。生者達にも被害が出ている」
「被害、って……」
「暴力事件や、器物破損。窃盗や強盗とかだ」
「そんな事が……」
「捜査に当たっていた悪魔達は全部、大怪我で送還されてきた」
と、ケルベロスの右の首が答える。すると、続いてジルが意気揚々と言葉を紡ぐ。
「それで、ジャンヌの戦友で元軍人の俺が。その悪魔の捕縛に抜擢された、という訳だ!」
「強いのも理由っちゃ理由だが、コイツが怪我しようがどうなろうがどーでも良いっつーのが一番の理由だな」
「裂くぞクソ犬!!」
一悪魔と一獣のやり取りを見ながら、ランは「ジルさん、イジメられてるんですかね?」と言い。ジャンヌは「罪に対しての罰……じゃ、ないかな……?」と、何とも言えない表情で言う。
「でも、その悪魔。お強いんですね! なんか私、ワクワクします!」
「いや、生者の嬢ちゃん。これは、オイラ達の世界の問題だ。関わっちゃいけねー」
利き手の拳を、反対の掌で受け止めて包むランに。ケルベロスの右の首が、真面目な声音で告げる。
「いくら無駄に一応強い、変態猟奇殺人鬼の悪魔拷問官をぶっ飛ばしたっつっても。悪魔と生身の人間じゃ、スペックが全然違うからな」
「オイ、クソ犬。何だその無駄に長い嫌味な呼称は」
「そうだよ、ランちゃん! 怪我したら危ないよ! ジルに任せよう」
「フッ、ジャンヌに期待されてしまっては。何としても成果を上げなけれ――」
「ジルなら悪魔だし、手足の一本や二本無くなっても。きっと大丈夫だから」
「ご安心をジャンヌ! 貴女の為なら、手足の一本や二本等。全く惜しくありません!」
「いや、お前。聖女サマにも雑な扱いされてんぞ」
嬉々としているジルに、ケルベロスの右の首が冷静な言葉を放つが。彼の耳には一切入っていなかった。
「……分かりました」
ジルの様子など全く気に止めずに、ランが言う。
「私はこの件には首を突っ込みません。偶然、出くわさない限りは」
「いや、最後のフレーズは突っ込む気満々の人の台詞だよね?」
ジャンヌの言葉に、しかしランは。
「いえいえ! 本当に、自分から調査したり~とかはしませんよ! ただ……」
そう言ってから。
「その規約違反されている悪魔の方が、私の目の前で他の人を傷つけるような事をしていた場合は。見過ごせませんので、その時は悪しからずという事で!」
と、笑みを浮かべた。
「なんかフラグっぽいから止めてよ……」
顔色を曇らせるジャンヌに、ランは「大丈夫ですって!」と。あっけらかんとした声を出す。
「人生で悪魔と偶然関わり合いになるなんて、そうそう無いですし」
「オイ、俺はれっきとした悪魔だぞ」
「オイラなんか怪物だぞ。結構、強くて偉いんだぞ」
「菓子に釣られて囚人逃がしてっけどな」
「誰のせいだコラァァァァァ!!!!」
そう叫びながら、怒りに任せてジルへと噛み付くケルベロスの右の首。
「イデっ!! ……っの、クソ犬がァァァァァ!!」
そして、勃発するジルとケルベロスの右の首の喧嘩。
ランとジャンヌは。
「仲良いですね~」
「トムジェリみたいだね」
「なっ、かっ、よ~くケンカしな♪ 的なですね!」
と、ほのぼのとした会話をし。平和な昼休みの一時を過ごすのであった。